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神田佐久二平河町会

2009-05-10 17:24:08 | 平成21年 神田祭
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この界隈は、江戸時代の早い時期から商人や職人が集まる町でした。
「佐久」という名前は、佐久間 平八という材木商が住んでいたことから生まれました。
江戸時代初期の慶長年間(1596~1615)に、江戸城築城のための材木を供給したのも佐久間町でした。
古くから幕府に仕えた町ということで、将軍家に祝い事があるときは、町人たちにも能の見学が許されていたといいます。

江戸時代から続いた神田佐久間町二丁目は、たび重なる火災で町が南北に分断されていましたが、明治2年(1869)にその間の武家地を編入し、明治44年(1911)、神田を取って佐久間町二丁目と改称しました。
しかし昭和22年には、その名を神田佐久間町二丁目に再び戻しました。

一方、神田平河町も、防災と深い関わりを持った町です。
享保12年(1727)、防火のため、麹町平河町一丁目が火除地に設けられました。
そこに住んでいた人々のための代地が神田佐久間町の隣に置かれ、麹町平河町一丁目代地と呼ばれました。
その後、明治2年に神田平河町、明治44年には平河町と名を変え、昭和22年、ふたたび神田平河町と改名しました。
昭和28年に、佐久間二丁目と神田平河町が合併、名称を佐久二平河町会として発足し、現在は神田佐久二平河町会となりました。

町会の該当区域は、佐久間二丁目、神田平河町、佐久間河岸45~55番地となっています。


当町会の神輿は昭和27年に名工、後藤 直光により製作され、一本彫りの繊細な彫刻が特徴であり、一昨年修復されました。
是非ご注目ください。



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2 コメント

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当町会で先導しておりました。 (まつ)
2009-05-18 16:21:09
当町会で先導しておりました。
今年は坂下より鳥居前、宮入と結構スムースに進行できて良かったです。
それにしても宮入の時は担ぎ手のテンションが最高潮になるので神輿をコントロールするのが大変です。
当町会は宮入の後、秋葉神社参拝ということで、秋葉原駅構内に神輿を入れるのですが、今年もここで再び盛り上がりました。

また2年後楽しみです。
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まつさん、先導ご苦労様でした。 (ブログ記者八)
2009-05-18 19:01:14
まつさん、先導ご苦労様でした。
どこの町内会さんも宮入は担ぎ手の皆さんのテンションが最高潮になりますね。
秋葉原駅構内に神輿が入るのは、写真で拝見したことがあります。
宮入の日は、八は境内から動けないのですが直接みたいものです。
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