この界隈【かいわい】は、昭和40年代のはじめまで神田松枝町【かんだまつえだちょう】と呼ばれていました。名前の由来は、江戸城の大奥にいた「松ヶ枝【まつがえ】」という老女の名に由来します。
旧松枝町あたりを中心にして、江戸のころまで、「お玉【たま】が池【いけ】」という広大な池がありました。桜の名所だったことから、当初は「桜ヶ池【さくらがいけ】」と呼ばれ、池畔【ちはん】に茶屋が建っていました。「お玉」というのは、この茶屋にいた看板娘の名前です。
景勝地【けいしょうち】・お玉が池の周辺には、江戸の文人【ぶんじん】や学者が多く暮らしていました。その一人である伊東玄朴【いとうげんぼく】ら蘭方医【らんぽうい)達が、安政【あんせい】5年(1858)、種痘館【しゅとうかん】を設立しました。このお玉が池種痘所【しゅとうしょ】が、いまの東大医学部の出発点、だといわれています。
町会の該当区域は、岩本町二丁目5~7番地、10~12番地となっています。
当町会は神輿ばかりではなく、山車【だし】にも御注目下さい。当町会の山車は唯一宮入りする羽衣【はごろも】の山車です。昭和13年に製作された極彩色【ごくさいしき】の神輿とともに新調された金色に輝く冠をつけ、宮入りする姿をぜひご期待下さい。なお今年、人形の面【おもて】を新調いたしました。若き能面作家による作品です。ご注目ください。