この地が「大和町【やまとちょう】」と呼ばれるようになったのは、享保【きょうほう】年間(1716~1736)の頃です。内神田にあった大和町の人々が移ってきたため、大和町代地【やまとちょうだいち】となりました。
幕末のころには、この町から隣の東竜閑町【ひがしりゅうかんちょう】にかけて、駄菓子問屋【だがしとんや】が数百軒ほど軒【のき】をつらね、ずいぶん賑わっていたといわれています。またここには、蝋燭【ろうそく】や、べっこう細工、箪笥【たんす】などをつくる職人も多く住んでいました。
明治2年(1869)、大和町代地は合併して、神田大和町【かんだやまとちょう】となりました。
明治44年(1911)に町名は大和町と変わりますが、昭和22年、神田区と麹町【こうじまち】区が合併し千代田区になると、ふたたび神田大和町に戻ります。そして昭和40年、住居表示の実施により周辺の町の一部と合併して岩本町二丁目【いわもとちょうにちょうめ】になりました。
町会の該当区域は、岩本町二丁目13~17番地、19番地となっています。
当町会の神輿は、昭和13年に宮本重義【みやもと しげよし】により作られました。総勢400名の担ぎ手により、宮入れを行います。
唐破風屋根金梨地塗り【からはふやね きんなしじぬり】、二重勾欄【にじゅうこうらん】神輿です。屋根には「黄金の鳳凰」が飾られています。是非、ご注目下さい。
私にしては、顔が細いような?