続いて、神保町一丁目町会が宮入りしてまいりました。
江戸時代、この界隈には武家屋敷が立ち並んでいました。そこに表神保町(おもてじんぼうちょう)、裏神保町(うらじんぼうちょう)などの町が誕生したのは、明治5年(1872年)のことです。裏神保町は、大正11年(1922年)に通神保町(とおりじんぼうちょう)と改称したのち、表神保町、表猿楽町(おもてさるがくちょう)などとともに、昭和9年、神保町一丁目(じんぼうちょういっちょうめ)となりました。さらに昭和23年、神田区と麹町区(こうじまちく)が合併して千代田区ができると、現在の神田神保町一丁目になりました。
町名の由来は、元禄(げんろく)年間(1688~1704)のころ、旗本(はたもと)の神保長治(じんぼうながはる)が広大な屋敷をかまえ、そこを通っていた小路が「神保小路(じんぼうこうじ)」と呼ばれるようになったためといわれています。
神保町一丁目町会は、靖国通りの南側にあり、町の東西に「神田すずらん通り」が走っています。
この通りの名前は街路灯がスズラン式に変わったことから名付けられました。街路灯が変わった理由は、現在の賑わいからは考えられないことですが、明治20年頃のこの辺りの道は「おばけ横町」や「怪物横町」と呼ばれたくらいに、人通りのない恐い道であり、暗く、恐い道を少しでも明るくしようとしたものだと言われています。現在ではそのスズラン灯も無くなってしまいましたが、その名前だけは今も変わらずに残り、広く愛されています。
町会の該当区域は、神保町一丁目1~71番地までの奇数番地となっています。