同朋町会は、明暦の大火以前までは寺地でしたが、明暦の大火(1657)後に寺地を外に移し、幕府同朋衆の屋敷としました。
「同朋」というのは、室町時代に始まり、幕府の雑務、茶事を務めた僧体の小史のことを言います。
江戸幕府では、城中における大名の案内・更衣・刀剣の上げ下げ・茶弁当の世話をし、将軍外出の際には、長刀を持って従っていました。
同朋町会北隣の妻恋坂を挟んで妻恋神社があります。
この神社は同朋町と文京区の妻恋町(湯島三丁目)の二町会で昭和52年から共同管理しています。
同朋町は妻恋神社の氏子町会にもなっていて、平成8年3月に新調した神輿の屋根紋には、妻恋神社、神田明神両方の御紋を付けて、同年5月の神田明神例大祭に「担ぎ初め」をしました。
また、「南総里見八犬伝」の著者として有名な、曲亭馬琴(滝沢馬琴)は、文政7年(1824)に、九段中坂からこの同朋町に移り、天保7年(1836)までこの町に住んでいました。
町会の該当区域は、外神田二丁目10~15番地、蔵前橋通りをはさんで6丁目1・2番地及び3番地3・4・7・8号となっています。
当町会の神輿は平成8年に新しく作り直しました。
宮本 重義の作品です。
当連合の中でも、一番新しい神輿です。
美しい仕上がりの中にも下町の落着きを調和した風情になっています。