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神台会は神田神社の裏手に位置します。
昭和39年に町名変更が実施されるまでは「台所町」と呼ばれていました。
明暦の大火(1657)までは日蓮宗の幸龍寺や曹洞宗の万隆寺の寺領でした。
明暦の大火後、江戸幕府の火災対策の政策により、かつては寺が立ち並んでいた神田神社の裏手も、城内の御台所御賄方の武家屋敷として再建されました。
御台所町という旧地名は、このときに始まるものと考えられています。
さらに寛文12年(1672)、この場所に住んでいた武士たちの希望もあり、町内に「町屋」が作られました。
以降、御台所町は町人の町として発展を遂げていきました。
文政7年(1824)に書かれた「江戸買物独案内」には、町内に足袋屋や呉服屋、小間物屋があったことが記されています。
神田明神に近いという事から、「神田明神下御台所町」と長い名前が付いていましたが、明治5年(1872)に「神田台所町」となりました。
現在の「神台会」の名称は明治27年から使われています。
神台会は、現在も神田明神のお膝元としての誇りを強く持っている町会です。
町会の該当区域は、外神田二丁目5番地1~12号に加え、7番地1号・4号を除く、6~9番地となっています。
神社拝殿前石段を舞台に奉納舞を行います。
その直後、神台会の大小の神輿の宮入参拝を行います。
その後、正午過ぎには秋葉原駅前中央通り「お祭り広場」へと場所を移し、外神田連合12基、岩本町東神田連合3基と大田市場大神輿と協力して、神輿天国を盛り上げていきます。