岩本町【いわもとちょう】は「旧岩本町と東龍閑町【ひがしりゅうかんちょう】と東松下町の一部」が合併して、昭和8年に誕生しました。
江戸時代の初め、この界隈【かいわい】は沼地で、雁渊【かりふち】や笹原【ささはら】と呼ばれていました。
この地域に最初に住んだのは、大名や旗本【はたもと】などの武士たちでした。江戸時代の後半になると、商人や職人で町も栄えはじめます。さらに神田川の南側の柳原【やなぎはら】土手の周辺では、古着を扱う露店が集まるようになりました。
その伝統は、明治維新後も引き継がれました。明治14年(1881)、現在の岩本町三丁目の一部から神田岩本町の一部にまたがる古着の大市場【だいいちば】が開設されます。「岩本町古着市場【いわもとちょうふるぎいちば】」と呼ばれたこの市場には、多いときには400軒もの古着屋が軒【のき】を連ねていたといわれています。
その後は、戦前、戦後を通じ既製服の一大集散地となり、全国のデパートや小売店にはこの町から出荷された商品が並びました。
現在は数こそ少なくなってきましたが、岩本町三丁目を支え、町の礎【いしずえ】を築いてきたのは繊維業者であり、岩本町は日本の繊維業界とともに発展してきた町です。
町会の該当区域は、岩本町三丁目及び神田岩本町全域となっています。
当町会の神輿は、東京浅草の当代一級【とうだい いっきゅう】の神輿師【みこしし】、宮本重義【みやもと しげよし】氏の第一号特注品です。昭和28年5月に完成しました。台輪幅【だいわはば】は2尺5寸、高さは7尺8寸になります。
作風は唐破風漆塗【からはふ うるしぬり】神社型、鳥居他、昇り龍、降り龍【おりりゅう】彫刻、極彩色【ごくさいしき】仕様となっています。豪華絢爛【ごうかけんらん】で神田明神氏子、百八ヶ町【ひゃくはっかちょう】でも最高の傑作となっています。