江戸時代、この界隈【かいわい】には武家屋敷が立ち並んでいました。明治5年(1872)に表神保町【おもてじんぼうちょう】 、裏神保町【うらじんぼうちょう】などの町が誕生しました。大正11年(1922)に通神保町【とおりじんぼうちょう】と改称した後、表神保町、表猿楽町【おもてさるがくちょう】等とともに、昭和9年(1934)、神保町一丁目【じんぼうちょういっちょうめ】となりました。さらに昭和23年(1948)、神田区と麹町区【こうじまちく】が合併して千代田区ができると、現在の神田神保町一丁目になりました。
町名の由来は、元禄【げんろく】年間(1688~1704)のころ、旗本【はたもと】の神保 長治【じんぼう ながはる】が広大な屋敷をかまえ、そこを通っていた小路【こうじ】が「神保小路【じんぼうこうじ】 」と呼ばれるようになったためといわれています。
神保町一丁目町会は、靖国通りの南側にあり、町の東西に古書店街で有名な「神田すずらん通り【どおり】」が走っています。
この通りの名前は街路灯がスズラン式に変わったことから名付けられました。街路灯【がいろとう】が変わった理由は、明治20年頃、この辺りの道は「おばけ横町」や「怪物横町【かいぶつよこちょう】」と呼ばれたくらいに、人通りのない恐い道であり、暗く恐い道を少しでも明るくしようとしたものだといわれています。現在ではそのスズラン灯も無くなってしまいましたが、その名前だけは今も変わらずに残り、広く愛されています。
神保町は神田すずらん通りに代表されるように、『本の街』ともいわれています。大型新刊書店や大小無数の古書店がひしめいて、独特の雰囲気を醸【かも】し出しています。その他にも、各国料理店、寿司、ラーメン屋など、食の充実にも目を見張るものがあります。戦前、戦後の歴史とともに歩んできた多くの老舗【しにせ】は、再開発で街の景観が一変した今も、なお健在です。
町会の該当区域は、神保町一丁目1~41番地までの奇数番地、101・103・105番地となっています。
平成15年江戸開府400年を記念し、浅草、宮本卯之助【うのすけ】商店より新調しました。台座【だいざ】2尺3寸、重量330キロ、担ぎ手200名で宮入します。神田中央連合の宮入参拝の帰途、午後2時頃より駿河台下【するがだいした】交差点にて神田中央連合が集結し、神輿振り【みこしぶり】が行われます。