私たちが住む金山地区は「吉野川」が南北に縦断、河岸に集落が点在している中山間集落です。
この度、山形新聞の橋シリーズの取材があり、地区内の吉野川に架かっている橋を改めて調べて見ました
北のほうから原橋、在家橋、白山在家橋、穴戸橋、片岡橋、中北橋、寺橋、尾島橋、金山橋、平館橋の10脚です
ほとんどが付近の地区名から橋の名が付けられていることが判ります。
中でも在家橋は付近に白山在家、黒在家、畑在家が在り、南陽市史資料編13号には雀在家の地名も掲載されていました
私が知っている限りでは、尾島橋は金山橋が完成したあかつきには取り壊される予定でした。
それが、付近の方々から存続の強い要望が出され、時の市長大竹俊博さんが壊さないで残してくれた経緯があります。
橋は作るのも壊すのも莫大な経費がかかります
尾島橋はあの時点で取り壊せばすべて県費で対応できたわけですから市としても大きな決断だったことでしょう
一つひとつの橋の位置や形を見てみるとその役割や地区民に与える影響等が判って大変勉強になりました
橋にまつわる面白い話があったら是非聞かせて欲しいものです
この度、山形新聞の橋シリーズの取材があり、地区内の吉野川に架かっている橋を改めて調べて見ました
北のほうから原橋、在家橋、白山在家橋、穴戸橋、片岡橋、中北橋、寺橋、尾島橋、金山橋、平館橋の10脚です
ほとんどが付近の地区名から橋の名が付けられていることが判ります。
中でも在家橋は付近に白山在家、黒在家、畑在家が在り、南陽市史資料編13号には雀在家の地名も掲載されていました
私が知っている限りでは、尾島橋は金山橋が完成したあかつきには取り壊される予定でした。
それが、付近の方々から存続の強い要望が出され、時の市長大竹俊博さんが壊さないで残してくれた経緯があります。
橋は作るのも壊すのも莫大な経費がかかります
尾島橋はあの時点で取り壊せばすべて県費で対応できたわけですから市としても大きな決断だったことでしょう
一つひとつの橋の位置や形を見てみるとその役割や地区民に与える影響等が判って大変勉強になりました
橋にまつわる面白い話があったら是非聞かせて欲しいものです