【からはだふくらか】によって、全ての生命は、死ぬその時まで、快い身体で、愉しく、悦びにあふれた毎日を過ごします。
わたしは、死ぬ瞬間まで成長し続け、全ての生命から感謝を受けて、豊かな暮らしをすることができます。
ありがとうございます。
これは、ちょっとスゴい考察なので、ご紹介させていただきます。
日本韓氏意拳学会、代表。
国際武学研究会、代表。
の卓越した考察をご堪能下さい。
ここに出て来る「鬼」になる人たちは、鬼に「鬼の血」を分けてもらい鬼になると病むこともなく、怪我をしても直ぐに再生し、幾ら自らの身体(存在)に如何なる冒涜を働いても太陽の光さえ浴びなければ死ぬこともなく不老不死を得る訳だが、これは近代科学/医療技術.テクノロジー.薬物とも言える。
— 光岡英稔 (@McLaird44) November 29, 2020
結局は自然治癒力、自分の身体との付き合い方、身体性、身体観、集注観などを何処まで信じれるかどうかが自分の本当の実力とも直結する。それは自然の働きや生命活動、身体(自分)を心の底から信じることでもある。そして、それは天命天寿に従い自然と死に行くことにも繋がる。
— 光岡英稔 (@McLaird44) November 29, 2020
そもそも薬物でなくとも摂取することで見返りを求めるが如く、何かを食べて強くなろうとすること自体が小賢しく魂胆が悪いと私などは感じてしまうのだが、あまり言うと少なからずの人には迷惑になるので言わないが、そのような考えは常にある。 “食は美味いから食う”ただそれだけである。
— 光岡英稔 (@McLaird44) November 29, 2020
いただけるものや御縁のある食べ物は美味しくいただき、それで充分だ。 それ以上の見返りは私には必要ない。
— 光岡英稔 (@McLaird44) November 29, 2020
人間であることの儚さと美しさは人間が自分の身体一つで最後まで自分の生き方を全うすることにある。
— 光岡英稔 (@McLaird44) November 29, 2020
身体の修練もあれば、身心を駆使しても如何にもならない領域もある。 武の技や術に携わらなくても、生きてるだけで苦は向こうから勝手にやって来る。 そこで、最後の最後に「鬼の血=テクノロジー、薬物、科学技術」につい手を出してしまいたくなる私も出てくるかも知れない。
— 光岡英稔 (@McLaird44) November 29, 2020
改めて「鬼の血(薬物、テクノロジー、ドーピング)を頼りに延命したり弱さを補い強さを獲得しようとする自分が居るかどうか」を様々なシナリオで現実的に考えてみたり想定してみたが、そのような自分はマダ居ないようである。今のところ私には「鬼の血」は必要ない。
— 光岡英稔 (@McLaird44) November 29, 2020
本当に天、両親、祖先から授かった身体(自分)を鬼殺隊のように信じれるのか。 それか自らの弱さから鬼の誘惑に乗り「鬼の血」に手を出してしまうのか。その辺りのことになると人類の大半が既に「鬼の血=科学薬/ワクチン」に手を出してしまい「太陽=生命」が信じられなくなっているのかも知れない。
— 光岡英稔 (@McLaird44) November 29, 2020
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帯裏
第一章 なぜ昔の農婦は米五俵を担げたのか
第二章 東洋文化と西洋文化を決定的に分ける身体観の違い
第三章 近代文明化した西洋の身体観に支配された明治以降の日本
第四章 気と健康と死を身体観から考える
第五章 これからを生きるための身体観
見返し
自分に向いている目がぼやけてしまった今、 改めて自らに焦点を合わせ、 自分の輪郭を鮮明に捉えるためには、 武術、職人の技術、芸能などの古典から過去の教えを振り返る必要があります。 そこに今の時代を生きるためのヒントと可能性が眠っています。
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韓氏意拳の哲学
目次
1 韓氏意拳は武学をめざす
2 感覚は世界をリアルに伝える
3 確認から体認へ
4 站椿-能力を求める仮の方法
5 時間と記憶
6 限りない自由を得るために
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内田樹氏との生存教室に関する対談
帯裏
はじめに 「戦争の切迫」というアクチュアルな状況で考える生存の知恵 内田樹
第一章 生存のために文化とはなにか
第二章 古の身体文化
第三章 生存のための学びと教えの作法
第四章 古の身体に帰って見える未来
おわりに 生存のための文化の本質を求めて 光岡英稔
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内田樹氏との対談
帯表
荒れた世にこそ武術の知恵は生きる!
内田樹×光岡英稔
武人対談
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藤田一照氏との共著
帯表
禅と武術、衝撃の邂逅。
帯裏
江戸時代に佐渡の人が手漕ぎの船で「江戸まで二日かかる」と記しています。
現代人は同じことができるでしょうか?
禅はレッスンをマイナスから始める。
それを道元禅師は「回向返照の退歩」と言っています。
見返し
禅と武術に共通するのは、 「何を行うか」ではなく「いかに何かをしないか」
削ぎ落とされた無心での動きと行いである
「型稽古」から生まれる
「人間が本来持っている力と働き」を見つめるなかで、 現代人が生き残るための指針を探り出す。
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