去年の3月11日の私の話です。
午前中から、一人で浅草に行きました。
目的は、浅草寺雷門わきの和紙の店。
買い物をして、近くのアミューズ・ミュージアムに寄りました。
刺し子やボロが常設してあって、入場料はすこしお高いですが、
ボロは自由に触ることもできで落ち着いたミュージアムです。
二回目っだったのですが、屋上から、スカイツリーが見えますと張り紙があり、
スカイツリーには興味がない私ですが、上がってみることにしました。
それほど広くなく高さもない屋上ですが、仲見世が上から見えて
見晴らしはよかったです。
確かにスカイツリーがビルの間に見えました。
その時の写真です。
その日は休業でしたが、夏にはビア・ガーデンになるようで
ここから、スカイツリーも含め、下町の夜景を見ながら
ビールを飲むのもわるくないかもなどと想像しました。
正午過ぎになったので、近くでお昼を食べようと思ったのですが、
美味しそうな天ぷら屋さんやうなぎ屋さんがありましたが、
ちょっとその日の昼食には重いなと、地下鉄で日本橋に出て、
日本橋コレドで、軽い昼食をとりました。
そして、また、地下鉄に乗り帰路につきました。
地震にあったのは、高田馬場。
地下鉄の車両は、音も無く船のように揺れました。
日中なので乗客も疎らで騒ぐことも無く、
安全なのでそのままでお待ちくださいというような内容の
アナウンスが入りました。
とはいっても、すぐには動くことはないだろうと思い、地上に出ました。
高田馬場は、地下鉄、JR、西武新宿線が通っていてどれに乗っても
最寄の駅、もしくは、バスを使えば帰れる駅へ出られます。
でもどれも止まってしまい、歩くには土地勘が無く、
取り合えずバスで帰れる駅までタクシーに乗ろうと
タクシー乗り場に並んだのが3時頃。
初めは、数分ごとに来ていたタクシーが、1時間位経ってからは、パタリと来なくなり、
30分に一台くらい。私は、前の方だったのですが、3時間待ちました。
もうこの時点ではお金がかかっても自宅まで乗るつもりでしたので、
吉祥寺方面へ帰宅する人を募って
4人でシェアして、帰宅したのは9時半でした。
タクシー乗り場に聞こえてきた「宮城県沖」が震源地らしいというような情報しかなく、
街は、停電も火事もなくいつもと同じ。
ひとつ違うのは、人がぞろぞろ歩いているということだけ。
ですから、帰宅して目にしたテレビの映像に唖然としました。
経験していない第二次世界大戦、体験していない阪神淡路大震災でも
未だに癒えない心や体の傷を抱えている人がいます。
報道などでそのことを改めて考える機会があるたびに
忘れてはいけないと思います。
今回の震災は、家族も家も無事ではあっても、今までにない揺れを体験し、
その後の多くの問題は、まだ、現在進行中です。
午前中から、一人で浅草に行きました。
目的は、浅草寺雷門わきの和紙の店。
買い物をして、近くのアミューズ・ミュージアムに寄りました。
刺し子やボロが常設してあって、入場料はすこしお高いですが、
ボロは自由に触ることもできで落ち着いたミュージアムです。
二回目っだったのですが、屋上から、スカイツリーが見えますと張り紙があり、
スカイツリーには興味がない私ですが、上がってみることにしました。
それほど広くなく高さもない屋上ですが、仲見世が上から見えて
見晴らしはよかったです。
確かにスカイツリーがビルの間に見えました。
その時の写真です。
その日は休業でしたが、夏にはビア・ガーデンになるようで
ここから、スカイツリーも含め、下町の夜景を見ながら
ビールを飲むのもわるくないかもなどと想像しました。
正午過ぎになったので、近くでお昼を食べようと思ったのですが、
美味しそうな天ぷら屋さんやうなぎ屋さんがありましたが、
ちょっとその日の昼食には重いなと、地下鉄で日本橋に出て、
日本橋コレドで、軽い昼食をとりました。
そして、また、地下鉄に乗り帰路につきました。
地震にあったのは、高田馬場。
地下鉄の車両は、音も無く船のように揺れました。
日中なので乗客も疎らで騒ぐことも無く、
安全なのでそのままでお待ちくださいというような内容の
アナウンスが入りました。
とはいっても、すぐには動くことはないだろうと思い、地上に出ました。
高田馬場は、地下鉄、JR、西武新宿線が通っていてどれに乗っても
最寄の駅、もしくは、バスを使えば帰れる駅へ出られます。
でもどれも止まってしまい、歩くには土地勘が無く、
取り合えずバスで帰れる駅までタクシーに乗ろうと
タクシー乗り場に並んだのが3時頃。
初めは、数分ごとに来ていたタクシーが、1時間位経ってからは、パタリと来なくなり、
30分に一台くらい。私は、前の方だったのですが、3時間待ちました。
もうこの時点ではお金がかかっても自宅まで乗るつもりでしたので、
吉祥寺方面へ帰宅する人を募って
4人でシェアして、帰宅したのは9時半でした。
タクシー乗り場に聞こえてきた「宮城県沖」が震源地らしいというような情報しかなく、
街は、停電も火事もなくいつもと同じ。
ひとつ違うのは、人がぞろぞろ歩いているということだけ。
ですから、帰宅して目にしたテレビの映像に唖然としました。
経験していない第二次世界大戦、体験していない阪神淡路大震災でも
未だに癒えない心や体の傷を抱えている人がいます。
報道などでそのことを改めて考える機会があるたびに
忘れてはいけないと思います。
今回の震災は、家族も家も無事ではあっても、今までにない揺れを体験し、
その後の多くの問題は、まだ、現在進行中です。