怠惰なアジアに芸術家はいない
私は此の世のものではない芸術家なので、アジアの地に根付かないらしい。
私を抜き去る事しかしないアジア人に、芸術は相応しくないのだろう。
ろくに芸術を知らないモノが芸術家に為りたがっても、ろくに芸術を知らない芸術家にしかならない。あの木何の木?の歌の通りだ。
ものまね芸術家が、まねした相手を嘲笑い、あれはコジローだと言ったら、それを信じる脳無しや低脳の集りでは、芸術が根付かない地だという証明だ。
怠惰なアジアに芸術家はいない
私は此の世のものではない芸術家なので、アジアの地に根付かないらしい。
私を抜き去る事しかしないアジア人に、芸術は相応しくないのだろう。
ろくに芸術を知らないモノが芸術家に為りたがっても、ろくに芸術を知らない芸術家にしかならない。あの木何の木?の歌の通りだ。
ものまね芸術家が、まねした相手を嘲笑い、あれはコジローだと言ったら、それを信じる脳無しや低脳の集りでは、芸術が根付かない地だという証明だ。
低脳漢字文化国
漢字が書けるから、他民族より優れていると思い込んでいるせいか、漢字文化国は低脳だ。
私は他人の優れた部分を尊重しているので、大人に為るまで、周囲の友人は自分よりもすごい!と思っていた。
みんな自分より可愛い!とまではいかないが、体格が良くてクールだなとか、女らしい体つきだなとか、運動能力がすごいなとか、優しいなとか、様々な良さを認め、彼らを好んだ。
気づくと、彼女らが少しずつ奇妙に変化し、友人付き合いもめっきり無くなった。
彼らにも何か人に言えない苦悩が有るのか、私は自分の辛い人生を友人と分け合うことができずに、友人付き合いも戸惑いの中で消失した。
漢字文化は、あくまで中国大陸にいた中国語を話す人々が作り上げた文化だ。現代人の私は、ただ彼らの作った文化の流れに身を任せているだけだ。
なので、特に西洋のアルファベット文化より優れているとは思わないし、漢字文化を作った人々の「便利でおもしろい文字」に感謝するのみである。
歌も、出来合いのモノで、私は喜んで聞いては歌っている。それを、私がさくらさくらを作ったの!とか言い出さないし、できもしない曲作りで突然有名人に為ろうとも思わない。
先人への敬いの気持ちが無ければ、その跡を辿ることはできない。
忘れるな。