刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

古代史解明の科学的方法とは?(#^.^#)

2024-07-01 00:00:09 | 古代史
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邪馬台国90度回転説の謎!なぜ方角がズレた?魏の使者が騙された理由
古代ずんだミステリ@YouTube 10日前


これはいい発見です。しかし、申し訳ないですが、誰がなぜ行程記事を書いたかを推理する必要があります。でもその前に、邪馬台国の場所を魏志倭人伝の行程記事からではなく、考古学から推理する必要があります。倭国大乱は二世紀後半の鉄鏃・銅鏃の出土状況を調査するとその痕跡が見つかりました(詳細は「【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」参照)。

そういう事実に基づいて推理すると真相に近づけます。多くの方は文献に基づいて仮説を立てるので、事実と合わなくてもちゃんと解釈すれば正解にたどり着けるはずという信仰があるようです。まったく非論理的な発想なのです。事実に基づいて、文献にウソが書かれた目的を考え、仮説を立てて、検証していくと真相に近づけます。アブダクションという第三の推論法です。よろしければ、【刮目天の古代史】古代史を推理するをご参照ください!

なお、行程記事を書いたのは倭国王帥升の孫の難升米だと分かりました(詳細は「伊都国の意味がヒントだった?」参照)。卑弥呼が居た場所で魏志倭人伝にある日本最大の円墳「三柱山古墳」も発見しています。どうもお邪魔しました(;^ω^)


【関連記事】
陳寿も邪馬台国の位置を知らなかった!(^_-)-☆
文献史学者が間違った原因は、陳寿ですら邪馬台国の正確な位置を理解していないながら、自らが想像した場所にそれとなく後代の史学者を誘導したのが原因ではないかと思います。それは、陳寿も帯方郡の報告書の中の邪馬台国への行程記事がデタラメだと気づいていたのですが、西晋の創業者の司馬懿が作らせた文章をあからさまに否定するなどできなかったからなのでした。

投馬国へ水行してみませんか?



【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆
古代史を解明するための基本的な考え方と科学的な推論方法アブダクションを解説しました。


【邪馬台国問題】真実に合理的に迫るには!(^_-)-☆
文献に矛盾があるということは、原因は著者(または編纂者)の意図かさもなければ著者は気付いていたが不可抗力なのか?あるいは著者が気付かなかったか?ですが最後の可能性はほとんどないとすれば、先の二つのうちのひとつです。
どうやって真実に到達できるかを考えると、二つの仮説でそれぞれ何故なのかを合理的に説明できる仮説を選ぶべきです!
そして、それぞれの仮説を事実、つまり考古学や民俗学などの成果によって検証するとどちらが有望なのか分かってきます。
有望な方をさらに検証し続けると、仮説が信念に変わってきます。
信念がどのようにして形成されるかについてはC.S.パースが論文「信念の固着」(The Fixation of Belief 1877)で分析していますが、このような科学的手法から生まれた信念は多くの人々に受け入れやすくなります(詳細は「なぜ邪馬台国問題が解決しないのか?( ゚Д゚)」参照)



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