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隋書の「俀王以天為兄以日為弟(天は倭王の兄、日は倭王の弟)」というのが、600年に隋の文帝に使者を送ったアメノタリシヒコが伝えたヤマトの大王の政治理念です。607年にはアメノタリシヒコは次の煬帝に「日出ずる所の天子、書を日没する所の天子に致す。」と手紙を送っています。これはとても違和感があります。
天子は兄の子孫であって、弟の子孫ではないという意味に取れますから、同じアメノタリシヒコでも最初の大王の政治理念と外れます。従って、最初が弟の系統で次が兄の系統の二人のアメノタリシヒコが存在したと推理できます。
兄と弟というのはヤマト王権成立以前のヤマトの大王の祖先の話だと考えられます。この先はヤマト王権の成立過程とその後の話なので、長くなりますからブログ記事にしました。よろしければ拙ブログをご参照ください。お邪魔しました。
【わかった!】アメノタリシヒコの正体!
この記事に詳しく述べていますが、三世紀末の初代ヤマトの祭祀王応神天皇の時代から倭の五王の時代、飛鳥時代の乙巳の変、そして天智天皇の治世までの話は日本書紀がかなり力を入れて史実を改ざんしていますので、以下の記事をお読みいただくと、概略がご理解いただけると思います。ご面倒をおかけして恐縮ですがよろしくお願いいたします。
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【関連記事】
天智天皇とは何者だ?( その1 )
天智天皇とは何者だ?(その2)
天智天皇とは何者だ?( その3 )
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初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!
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ゆっくり拝読します
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ゆうべは早めに寝てしまい失礼しました。
貴YouTube動画でいつも勉強させていただいています。精力的に活動され、古代史の幅広い知識をお持ちですので、とても参考になります。不躾なコメントを差し上げて申し訳ありません。
当方は定年退職後の趣味で十年ほどやってまして、記事を書き散らかしていますので読みにくいと思います。遠慮なく分かり難いところをご指摘くださると、研究が進みます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。