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昨日のライブ、有難うございました。方保田東原遺跡のことをもっと語って欲しかったのですが(^^;)そういいながら、お邪魔したのは申し訳ありませんでした(;^ω^)
この遺跡やうてな遺跡のコメントが出ていますが、二世紀末の倭国大乱で大きな役割を果たした集落だと分かりました。この時期の鉄鏃・銅鏃の出土状況を調べると、環濠や溝から出土する矢じりは集団戦の痕跡と考えられます(^_-)-☆
方保田東原集落・うてな遺跡と筑紫平野・佐賀平野などの北部九州の集落からしか戦争の痕跡はありませんでしたから、倭国大乱の舞台でしょう。ここを詳しく見ていくと卑弥呼が登場する話も推理できます。よろしければ、「【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」をご参照ください(#^.^#)
二世紀後半の鉄鏃・銅鏃の出土状況を調べると、戦いの痕跡が北部九州(佐賀平野・筑紫平野など)の環濠集落と熊本県山鹿市付近の菊池川流域の方保田東原遺跡やうてな遺跡で発見しました。そして後者には山陰や畿内の土器が出土しています。北部九州にはほとんど見られませんから、北部九州に倭国があって、それと敵対する勢力の根拠地が畿内や山陰にあったということです。
そして、大分県大野川流域と菊池川上流の阿蘇山麓の住居跡から板状の鉄素材が多数見つかり、住居跡から鉄鏃も大量に鉄鏃が発見されていますので、これらの地は鉄製武器を供給するコンビナートと考えられます。そして菊池川の集落を最前線基地として倭国に攻め入った様子が分かります。福岡平野の西部や伊都国の王宮の三雲遺跡があった糸島平野にも痕跡が見られますから、倭国の相当奥深くまで攻め寄せたようです。
倭国の福岡平野の集落から銅鏃が出土していますので、鉄が欠乏し、青銅器を溶かして矢じりを製作した様子が分かります。そして菊池川の集落の環濠から銅鏃が発見されているので、弱体化していた倭国勢が逆襲したと分かります。204年に公孫氏が半島を平定し、帯方郡を設置したので倭国が息を吹き返したと推理しました。
そのため油断していた敵対勢力の大将が戦死したと推理しました。この人物が魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗です。狗奴国王よりも先に登場しますから重要人物なのです。通説では菊池の地名から菊池彦とされていますが、違います。豊岡市久久比神社の祭神の久々遅彦だと分かりました。この神は全国の上棟式の祭神でもあり、木の神なのです。つまり、スサノヲの王子イタケルが木の霊ですから、その子孫ということです。久々遅彦は山陰や丹後半島などの縄文海人ムナカタ族を束ねる王の襲名です。記紀では五代の天皇に仕えた三百歳の武内宿禰と誤魔化されています。ここで戦死した王は、イタケルの孫の日高彦です。
この後も先日記事にしました「乱暴者の神スサノヲは実在人物だった?!」をご参照ください。
【関連記事】
消された出雲・丹後王国の謎!(その1)八束命の話
消された出雲・丹後王国の謎!(その2)日高彦の話
最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!
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