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#ANYAさんは活発に邪馬台国論を発表されていますので、時々反論コメントして、最初はお返事くれたのですが、最近は無視されて残念です。消すことまではしないのは紳士的ですが、ちょっとこの先が心配になりましたので、申し訳ないですがしつこく以下の動画にコメントしました。
よろしければまたお付き合いください(#^.^#)
③【阿波説 討論】 歴史妄想 VS ANYA
(注1)この本のレビュー「日本神話はトンデモない!? 豊饒な「日本書紀」、天皇が発する「勅語」という神話」(2017.2.8)がありますのでどうぞ(;^ω^)。しかし、記紀神話が偏狭なナショナリズムを生み出し、多くの日本国民を不幸にした大東亜戦争とその敗戦の元凶のように考えられていますが、それも一方的な偏った見方ではないかと思います。その時代にはその時代の考え方があり、封建社会から近代化に向かい、列強が支配する世界の荒波の中を生き抜く知恵として記紀神話が使われたことも事実です。歴史を知ることは未来を如何に賢く生きるかを教えてくれるものですから、前向きにポジティブ思考で考えてゆけばいいのだと思います(^_-)-☆
今、一番興味を持っている霊ライン解明の糸口になるかと思い、田畑誠(まこちん)「宇宙一わかりやすい「量子力学」大全」KADOKAWA 2024)を読み始めたのですが、すべての現象は各自の脳内で素粒子が作り出す情報でしかないと知って、少しショックを覚えています。学生時代には量子力学を独習しようとして途中で投げ出した覚えがあります。でも、もう一度勉強しなくてはならない予感がしています。頭が錆びついていますのでもう遅いかも知れませんが(;^ω^)
(注2)日本書紀が完成した翌年養老五年(721年)が最初とされますが、この時は講師を決めずにお披露目しただけです。その後、弘仁三年(812年)・承和十年(843年)・元慶二年(878年)・延喜四年(904年)・承平六年(936年)・康保二年(965年)の計7回行われたものと、史料などから考えられています。その弘仁三年の講師が多人長です。サブテキストとして古事記の存在を明らかにしましたが、序文はその内容から人長が書いたものとされています。通説では本文は、何らかの原本があったと見られていますが、すでに大和岩雄「古事記成立考」(大和書房 1974)や岡田英弘「倭国の時代」(文芸春秋 1976)で偽書と論証されているのです。これらを受け入れられないのは、多くの方が「記紀が天皇の歴史書」だという思い込みからでしかないのです(詳細は「【刮目天の古代史】日本書紀のひみつ?( ^)o(^ )」参照)。
古事記は、日本書紀が隠した史実を、日本書紀に沿いながら違えることによってそれとなく史実を暴露する暗号書だったのです。以下に主な内容を示します。
新唐書・宋史が記した王年代紀で示した初代奴国王天御中主を、日本書紀で高天原に最初に登場する神として古事記でも登場させ、日本書紀の神代七代前に五代の別天神を紹介することによって、神代の高天原の神々が、宋史王年代紀に記載した倭国を支配した奴国王のことだと示唆した(詳細は「王年代紀は記紀神話を正した!」参照)
高天原を追放された乱暴者の神が、八百万の神々に髪の毛をむしられ、手足の爪を剥がされ、全財産を没収されて追放されたと書くことによって、107年に後漢に朝貢した倭の伊都国王師升が第十八代奴国王スサノヲを殺して倭国を奪った史実を示唆した(詳細は「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?」参照)。
日本書紀の神武東征神話が真の初代応神天皇の即位の史実を誤魔化す話であることを示唆した。日本書紀で登場するナガスネヒコの別名をトビヒコと明かすことにより、トビヒコの正体の大国主がヤマトのニギハヤヒ大王の子孫に殺された後に大国主の祟りにより、大国主の子(応神天皇)が祭祀王として纏向遺跡に呼ばれてヤマト王権が成立した史実を示唆した(詳細は「ナガスネヒコの正体は大国主トビヒコだよ!」参照)。
日本建国の主役であったスサノヲの子孫の出雲・丹後王三代の王八束命(出雲国風土記の神八束水臣津野命の略称)・日高彦(大国主高野御子の父)の正体を日本書紀は日向三代の神話で隠したことを示唆する神名を与えた。八束命は淤美豆奴神(オミズヌノカミ)とした。またその子日高彦(穂高彦)を天之冬衣神(アメノフユキヌ)としたが、冬の季語がホダ(木切れ)なので八束命と日高彦が木霊イタケルの子孫であることを暗示した(詳細は「日向三代神話は出雲三代がモデルだった!」参照)。
(5)空白の世紀と倭の五王の謎
空白の四世紀の謎を解明するためのヒントを与えた。仁徳天皇が、応神天皇の皇太子菟道稚郎子(ウジノワキノイラツコ、宇治天皇)を暗殺して皇位を奪った史実や卑弥呼の弟赤坂比古(記紀の日触使主、詳細は「卑弥呼は日食で殺されたムナカタの姫巫女だろう」参照)の孫の菟道稚郎子の妹八田皇女と仁徳天皇の子住吉仲津彦(住吉天皇)が即位した後、異母兄弟たち(履中天皇・反正天皇)に暗殺された史実に加えて、倭の五王の系譜を示唆するために日本書紀と異なる崩年干支を記載した(「空白の世紀と倭の五王の謎(その1)~(その3)」参照)。これによって富雄丸山古墳の被葬者が判明した(詳細は「【刮目天の古代史】今年の大発見第1位!(^_-)-☆」参照)。
日本書紀が隠した天智天皇の真の系譜に気付かせるヒントを与えた。日本書紀が天智天皇の祖父とした押坂彦人大兄の妃糠手姫皇女(ヌカデヒメノヒメミコ)が、日本書紀が天智天皇の母とした宝皇女(タカラノヒメミコ、皇極・斉明天皇)と同じ名前の宝王(タカラノヒメミコ)だったことを明かすことで天智天皇(中大兄、中津王)の真の母が糠手姫皇女であったことを示唆した(詳細は「天智天皇とは何者だ?( その4 )」参照)。
【関連記事】
10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として倭国から日本に国号を変えたことが正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのですよ(#^.^#)
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