いつも応援ありがとうございます。
よろしければまたポチっとお願いします( ^)o(^ )
トヨウケの謎、宗像三女神とは?/きーさんと語る日本古代史の謎04
もぎせかチャンネル@YouTube
関裕二さんに嵌って古代史を真剣に考えるようになった「くち」です。本屋で見つけると直ぐに買ってしまい、時には自宅の本棚に同じ本が並ぶこともありました。さすが小説家ですので、後を引くように上手に書かれますね。でも、最終的に知りたい肝心な答えが出てこないので、関さんをヒントにして自分で考えて、十年かかって、とうとうたどり着きました(;^ω^)。
きーさんは、神話をよく勉強していますね(^_-)-☆
しかし、神話は史実へのヒントを与えてくれますが、神話そのままのストーリが史実にならないので注意が必要ですよ。日本神話は八世紀に藤原不比等が、藤原氏の繁栄のために都合の悪い日本建国の史実を神話に隠し、話は藤原氏に都合の好いストーリーに変えていたのですよ(詳しくは「【刮目天の古代史】日本書紀のひみつ?( ^)o(^ )」参照)。
だから何を隠したかったのかを考えて、仮説を作って、事実、つまり考古学や民俗学などの成果で検証していく、最近注目されるようになったアブダクションという科学的な推論法によって真相が現れてきますよ(詳細は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」参照)。
日本神話に宗像三女神が出てきますが、卑弥呼だったのですよ。不比等の時代は、三世紀の日本建国時代に活躍した豪族の末裔が生きていましたから、日本書紀の中で一書を沢山作って曖昧にしているのはそういう事情もあったからですよ。
でも、三女神降臨の伝承地の中に正解を見つけました。宇佐市安心院町下毛宮ノ原遺跡の三女神社がそのひとつです。藤原氏が後でいろいろと伝承地を作りましたので、誤魔化されますが、卑弥呼の墓「径百余歩の冢(ちょう)」の有力な候補「三柱山古墳」を発見しましたよ(#^.^#)
なぜ、分かったのかは弥生後期後半の倭国大乱について考古学の成果をしっかりと調べたからです(^_-)-☆
まだ、まだ続きがありますが長くなったので、よろしければ拙ブログ「刮目天の古代史」をご覧ください。お邪魔しました(;^ω^)。
卑弥呼は倭国大乱の結果に登場する女王となっていますが、殺し合いをしている最中にひとりの女性が止めなさいと言ってみんな止めると思いますか?
魏志倭人伝の中で、247年の卑弥呼の死の後に男王が立って、それに不服な勢力と殺し合いになって千人が死んだ後に13歳の台与が卑弥呼の後継の女王とされた話があります。女王を立てたのは戦いの勝者でしょう。ですから、卑弥呼の場合も、倭国大乱の中で何らかの事件があり、戦った両者が女王を共立したということだと分かります(詳細は「【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」参照)。
つまり、卑弥呼に統率力や権力があるわけではなく、鬼道とされていますが、縄文時代からの海人族の信仰だった太陽神の神託を伝える姫巫女なのです。密室で卑弥呼に太陽神が憑依し、巫(かんなぎ、シャーマン王)がお告げを聞いて、それを解釈して、民に伝えて政治を行う形態だったと推理しました。イセというのがシャーマン王のことだと分かりました(詳細は「倭人語解明のヒントだ!(^_-)-☆」参照)。奈良盆地の唐古・鍵遺跡の絵画土器に鳥の衣装を着けた巫・巫女が見られます。太陽信仰と鳥信仰は密接につながっているようです(#^.^#)
ムナカタ海人族は縄文時代から山陰などの日本海沿岸部を拠点として沖縄や半島や沿海州などにも黒曜石などを持って丸木舟で渡って交易していた人々です。太陽や鳥は航海の指標なのです。半島東海岸では彼らの信仰の名残が今でも残っています。韓国の江陵市江門洞で海娘神としてお堂の中で祀られています。
三女神というのは、中央の海娘神卑弥呼を誤魔化すために神話の中で左右に居る侍女も含めて三女神と呼んだと推理しました。宗像三女神の主神は宇佐神宮の比売大神とされた市杵島姫命です。あとの二柱は古事記や先代旧事本紀で大国主の妃「タゴリヒメ」「タギツヒメ」とされていますが、台与(記紀の神功皇后)のイメージから話が創られたのです。後に大国主が天照皇大神として伊勢神宮の内宮で、台与が豊受大神として外宮で祀られていますよ。(^_-)-☆
そうです、そうです。先ほどの卑弥呼の死後の内戦の勝者が大国主「高野御子」(倭国大乱の英雄日高彦の御子の隠語)です。宗像明神とも呼ばれていた、ムナカタ族を束ねた王で、豊岡市久久比神社の祭神久々遅彦(倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗、奴国大王スサノヲの子孫、王の襲名)だったのです。卑弥呼の墓の遥拝所「ヒカケ三女神社」の摂社がヒントで卑弥呼と大国主は「いとこ」だったと突き止めています(詳細は「卑弥呼の墓の遥拝所に何がある?」参照)。
狗奴国を裏切って、列島のほとんどの地域に展開していたムナカタ族を傘下に入れたので、記紀神話で大国主と呼ばれた建国の主役だったのです。
卑弥呼の死後に男王に立った人物は狗奴国の有力者で、狗奴国王卑弥弓呼(記紀の崇神天皇)と同じニギハヤヒ大王(最後の奴国王スサノヲの弟、詳細は「【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?(*^▽^*)」参照)の子孫だったのです。狗奴国の王都だった纏向遺跡の外来土器の半数近くが東海の土器なので推理しました(詳細は「【邪馬台国問題】狗奴国の正体がキモ?(#^.^#)」参照)。狗奴国軍を率いて倭国(奴国あたり)に到着したのですが、卑弥呼(琉球神道の「をなり神」)の死によって弟赤坂比古(和邇氏の祖、記紀の日触使主)が戦意を失ったので、倭国王(景初三年に帯方郡に行った倭大夫難升米)は「親魏倭王」の金印を持って半島に逃亡したと推理しています。
倭国を無傷で手に入れた狗奴国軍の大将が尾張王乎止与命(ヲトヨノミコト、記紀の仲哀天皇)でした。郡使張政の甘言によって倭国王に立ったのですが、副将の大国主が不満を表明したので、卑弥呼の弟赤坂比古がかつての主筋の大国主の味方になったので、力のバランスが一気に崩れました。尾張勢が沢山討たれて乎止与命は南に敗走し、鳥栖市付近で追いつかれて赤坂比古勢に討たれたと推理しました。鳥栖市永吉町赤坂にある九州最古級の前方後方墳赤坂古墳に葬られたと推理しています。
この事件は記紀の「仲哀天皇の熊襲征伐」で、住吉大神(スサノヲ)の神託を信じないために突然崩御した話とされていることが関裕二さんのヒントから分かりました。三百歳の老臣武内宿禰が大国主です(;^ω^)
狗奴国を裏切った大国主を恨んで、狗奴国勢が大国主傘下の日本海沿岸の無防備な交易都市「青谷上寺地遺跡」などを襲い、老人や女性や赤ちゃんまで虐殺しています(詳細は「【検証8】青谷大量殺人事件の真相は?(;´Д`)」参照)。
そして父を殺された尾張王建稲種命(熱田神宮祭神)が九州に遠征して、苦難の末に大国主・台与と卑弥呼の弟赤坂比古を討ちました(詳細は「【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)~(その4)」参照)、その後大国主の傘下を平定する途中、駿河で戦死しましたので建国の英雄として創作された日本武尊のモデルとされています(詳細は「【検証26】建稲種命の終焉の地は?」参照)。
この仇討ち話は記紀の大国主の国譲り神話とされていますが、タケミカズチが建稲種命でフツヌシは建稲種命に従った物部勢です。タケミカズチの父が火の神カグツチとされている秋葉神社の祭神で乎止与命です。愛知県や岐阜県で数多く祀られています。卑弥呼の弟赤坂比古は愛宕権現として祀られていますが、カグツチも一緒に祀るところもあります。建稲種命は途中で戦死しますが、尾張王を継いだ尻綱根命らが全国を平定し、狗奴国王が日本を建国したのです。記紀で崇神天皇がハツクニシラススメラミコトと呼ばれた理由です。
しかし、ヤマト王権成立までに、もう少し話があります。
280年に西晋が呉を討って三国志の時代が終わりました。呉を後ろ盾にしていたと推理した狗奴国王は、西晋に朝貢していた台与の倭国を討ったので、仕返しを怖れました。これが日本書紀の崇神天皇紀にある三輪山の大物主大神(大国主)の祟りによって半数以上の民が死んだ話です。大国主が天皇の夢に現れ、自分の子に祀らせれば祟りは収まるということから、台与との間の子オオタタネコを探し出してヤマトの初代祭祀王応神天皇に即位させたということです。
そして狗奴国が卑弥呼・台与の後継国であるというために、狗奴国をヤマト(邪馬台国)と呼ぶことにしたのです。卑弥呼の鏡ということにして三角縁神獣鏡もたくさん作らせたと推理しました(詳細は「【刮目天の古代史】三角縁神獣鏡の謎?(^_-)-☆」。
これが推理した日本建国の史実ですが、日本書紀ではデタラメな神話を創作したのです。
では、なぜ神話を創作しなければならなかったのかの話があります。これは日本書紀に何故卑弥呼が登場しなかったのか?ということと関係しています。つまり不比等が権力を握るために行った悪行を隠すためだったと考え、古事記をヒントにして応神天皇崩御から空白の四世紀、そして五世紀の倭の五王、その後の七世紀のアメノタリシヒコや天智天皇の出自などを解明して「不比等の秘密」がほとんど分かりました。詳しくは「【刮目天の古代史】日本書紀のひみつ?( ^)o(^ )」をご参照ください(;^ω^)
最後までお付き合いくださり、感謝いたします(^_-)-☆
よろしければ、古代史ランキング・タグをポチっとお願いします( ^)o(^ )
通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
よろしければ、またポチ・ポチ・ポチっとお願いします( ^)o(^ )古代史ランキング
「藤原不比等」ですが、
「不比等」って、「不人」って事ですね、
余りに酷いことをしたので
後世に、第三者が名付けた名前で、
本名は別に「藤原・・」と有る
なんて、空想して見ました
不人?
最初漢字変換して出てきました(*´Д`)
人でなし!と思った当時の人間は数多くいたと思いますね(;^ω^)
空想で楽しむのが人間の特権ですから、
カネもかからないし、じゃんじゃん空想しましょう!
でも、それに凝り固まると妄想ですから、自分を見失わないように楽しみましょう。どうも有難うございました( ^)o(^ )