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いい話題の動画を見つけたのでコメントしましたが、前回のコメント同様、営業妨害とみなされて削除されています。ただ他の方とのコメントはまだ削られていませんでした。よろしければお付き合いください(;^ω^)
日本の古代遺跡で衝撃の発見!縄文・弥生文明の謎を解き明かす発掘品とは?
(2月25日までの限定公開)三橋TV
人と人が殺し合うことは人類が生まれてから起こったことだと思います。縄文時代は、殺傷能力の低い武器だったので出土する受傷人骨も少ないですが、殺人はあったと考えられます。集団間で殺し合う戦争は確かに弥生時代に起こったことのようです。しかし、はっきりしている本格的な戦争は弥生末期(2世紀末)の倭国大乱からです。北部九州とその周辺以外の列島各地では起こっていないことが鉄鏃・銅鏃の出土状況から判明しています(詳細「鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有」参照)。
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(左クリックでMyMapにジャンプ)
<倭国大乱の戦場>
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弥生時代でも対立するような強い王権が生まれていない時期は戦争という形態はないようです。古墳時代の直前に戦争による首長権の拡大が起こって、それまでの穀霊・祖霊信仰から首長霊信仰に変わっています。弥生後期後半の出雲で見られた大型四隅突出型墳丘墓の出現からです(詳細は「西谷墳墓群の被葬者は?(^_-)-☆」参照)。
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写真の2号墓はスサノヲの王子イタケルと一緒に出雲に奴国のクーデターから逃れた二人の姉妹の墓と推定。下図に示した3号墳がイタケルの墓、最大の9号墳が出雲の国引き神話の八束水臣津野命こと海神豊玉彦の墓と推定しています。詳細は上の記事を参照(^_-)-☆
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水田稲作が導入された弥生時代になって起こった戦争の原因を、人口の増加・資源不足(適地や水の奪い合い)・蓄積された富の略奪・思考的変化とするのが従来の定説のようになっていました。しかし受傷人骨の数と甕棺の数を福岡平野・宝滿川上・中流域で調査して、従来の弥生時代開始の年代観(紀元前5世紀から前4世紀)では人口密度が高いほど受傷人骨が多いことは言えたようですが、弥生時代が紀元前10世紀に始まる歴博の年代に変わり、そのようなことは言えないことが分かってきました(中田朋美等「弥生時代中期における戦争」情報考古学Vol.24No.1-2,2019)。つまり戦争の原因は通説とは全く異なると思います。詳しくは「弥生人は戦争好き?ウソですよ( `ー´)ノ」をご参照ください。お邪魔しました(#^.^#)
@tk-zg9gl
縄文期にも堀や生垣など戦争の痕跡が残っており棍棒でも人は殺傷できる。農業は人類が採用した生存についての選択肢であり、人が攻撃性をもって生き残ってきた動物である以上、戦争は不可避だ。
刮目天
ほとんど賛成です。しかし集団間の抗争は、人口密度が少ないことから余り考えられませんが、集団内でタブーを侵した人間への制裁や、少数の人間同士の殺し合いもあったはずです。でも、戦争という形態はずっと後の古墳時代直前だと分かりました。上で述べましたのでご参照ください(#^.^#)
【付録】
王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆日本神話は不比等が創作したことが分かります。江戸時代まで多くの人は伊勢の神と三輪の神は同じヘビの化身(天照皇大神大国主命)と信じていました。神仏習合、修験道や道教の影響を受けた記紀神話と全く違う神話が語られていたのですよ(^_-)-☆。
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通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
応援をしていただき、感謝します。
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