角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

PROM.23 「相対的貧困」/「絶対的貧困」

2016-03-06 07:20:48 | 私の嫌いな言葉
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(日本国憲法 第25条 1項)

この考え自体は否定しません。
憲法がそれを保障していることを、
国民の一人として誇りにも思います。

ですが、今般取り沙汰されている、
「子供の貧困」については、
特に、それを「社会問題」として一般化する議論については、
どうにも引っ掛かるものがあります。

「18歳未満の子どもの貧困率は約16%」

日本の現状を批判するものとして、しばしば耳にします。
ここで言ってるのは「相対的貧困」ですね。

一方で、

貧困が社会問題であり、
「こんなに苦しい思いをしている人がいる」
という例として挙げられるのは、
真に、衣食にも困っているような「絶対的貧困」と言うべきものです。

そこに救いの手を差し伸べなきゃいけないのは、
もう、仰る通りです。

けれど、
そこまで悲惨で惨めな状態にある人が6人に1人いる、
そこまで国がおかしくなっている、
という話ではありませんね。

相対的に貧しい、というのは、
つまり、人と比べて貧しい、人と同じ生活をするのは難しい、
という意味でしかないんですから。

そういう贅沢な悩み(!)を社会問題であるかのように言われると、
「そこまで面倒見なきゃいけないの?」
という気分になって、ちょっと、引いちゃうんですよね。

いつも言っていることですが、
救いの手を必要とする人は、実際、いるんです。
そういう人々は、全力で救済すべきです。

政治家や評論家が、
(政府批判とか、巷での評判とか、を抜きに)
真実、彼らを救いたいとだけ望むのなら、

その全てが政策的・社会的救済を必要とするのか、
という疑念を抱かせるような統計上の数字、
16%とか、6人に1人とか、ではなく、

まず、
絶対的な貧困にあえぐ人々が置かれた状況を、その現実を、
事実として伝えて欲しいなあと、
そう感じます。

「生活保護は立派な社会保障制度のひとつです
 国民なら誰でも利用する権利があるんです」

「お世話になる」ではなく「権利だから利用する」


苦しみの中にある人が、
自ら救いを求める勇気を持てるように。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・

*冒頭画像、青字引用文は『神様の背中〜貧困の中の子どもたち〜』さいきまこ(秋田書店)です。
 秋田書店:神様の背中〜貧困の中の子どもたち〜
 →http://www.akitashoten.co.jp/comics/4253106412 

*貧困と生活保護については、これも良いと思います。
 小学館:健康で文化的な最低限度の生活
 →http://www.shogakukan.co.jp/books/09186357

*相対的貧困率
 〈食糧がなく生活環境が劣悪で生命の危機がある「絶対的貧困」と比較して用いられる。所得中央値の一定割合(50%が一般的。いわゆる 「貧困線」)を下回る所得しか得ていない者の割合。つまりある国や地域の大多数よりも貧しい相対的貧困者の全人口に占める比率〉
 SITK子供貧困サミット:学ぶツアー/日本の現状/日本の貧困率 より
 →http://contest.japias.jp/tqj18/180072/4.html


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