角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

#103 読書週間ということで・・・Ⅱ

2015-11-08 09:01:02 | ぶらり図書館、映画館



#102に続いて、
「読書週間ということで・・・Ⅱ」です。

リサイクル書店でたまたま出会ってしまった(!)、
『痴愚神礼讃』(エラスムス)。


〈痴愚女神の自慢話から無惨にも浮かび上がる人間の愚行と狂気。それは現代人にも無縁ではない。エラスムスの奇跡的な明晰さを新鮮なラテン語原典訳で堪能されたい〉

という、なかなかにソソる本です。
(中公文庫:『痴愚神礼讃』
 →http://www.chuko.co.jp/bunko/2014/01/205876.html

エラスムス、
名前だけは聞いたことがありますね。

Wikipediaによると、
〈『ユートピア』を著したトマス・モアとの親交や自由意志に関するマルティン・ルターとの論争でも知られる〉
ってことなんですが、
「へ〜、そうなんだ」と言うしかありません。
(Wikipedia:デジデリウス・エラスムス
 →https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%87%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%A0%E3%82%B9

ま、著者さんの人となりはともかくとして、
一読、自分解釈で(!)、
オモシロイなあと思ったところを抜書きしていきましょう。

歴史家の書を覗いてみれば、哲学かぶれの者や文学に耽った者が支配権を握ったときほど、国家にとって禍となったときはないということが、当たり前のことながら、おわかりになるでしょう。

これ、鳩山さんのこと?

賢者たちがおっしゃいます。票を得ようと辞を低くして民衆にへつらい、金銭をばらまいて人々の歓心を買い、あまたの馬鹿者たちの拍手を追い求め、喝采を浴びて悦に入り、勝利を得たとなると、民衆にみてもらおうと、何か神像ででもあるかのように担ぎ回られ、銅像となって広場に突っ立つほど馬鹿げたことがあろうかと。〜中略〜しかしなが、これを源として、数々の雄弁な人士たちが筆をふるって天にもとどけと持ち上げた、英雄たちの事績が生まれたのです。こういった痴愚が都市社会を生み、支配権も、統治制度も、宗教も、議会も、司法も安泰を保っているのですから、人間の生活などは痴愚女神のたわむれのようなものにほかなりません。

こちらは、菅さんと取り巻きとそれを批判する人たち?

ところが同じくエウリピデスが言うように、賢者は舌を2枚持っておりまして、一枚は真実を言うのに用い、もう一枚は、時と場を見計らって使うのです。白を黒と偽り、同じ口から冷たいものも熱いものも吐き出し、心の底で思っていることと、口にすることとでは、天と地ほども違うのです。

岡田さん。

学者仲間で第一等の地位を占めて当然と思っているのは、法律学者たちです。なにぶん、この連中ほど自己満足にひたりきっている者はおりません。シシュポスの岩を懸命になって転がしているようなもので、それと同じ意気込みで、当該事項とまったく関係ないことに関して六百もの条文を捏ね上げ、注解の上に注解を、見解の上に見解を山と積み重ね、自分たちの学問こそが諸学のうちで最も困難だと思わせようとしています。

この連中のお仲間に、弁証法学者と詭弁学者も入れることにいたしましょう。これはドドナの青銅の釜のどれよりもやかましく、そのうち誰をとっても、姦しさにかけては選り抜きの二十人の女たちを相手にしても打ち勝てるほどですが、彼らがただ単に饒舌なだけならずっと幸せなはずなのに、恐ろしく喧嘩好きときています。山羊の毛1本をめぐって執拗に舌戦を繰り広げ、口論に夢中になるあまり、大方は心理などは見失ってしまうのです。


ヒロユキくんとキヨミちゃん・・・

思うにこのパウロの例に倣って、神学者ノ息子タチはあちこちから四つ五つのちょっとしたことばを引き剥がしてきて、必要とあらばそれを自分に都合のいいようにひん曲げてしまいます。それも、前後の脈絡にまったく関係なくとも、ときには矛盾齟齬していようとも、全くお構いなしにやるのです。あまりにもぬけぬけと厚顔無恥な態度でこれをやりますので、しばしば法律家たちの妬みを買っているほどです。

本来は、教会や神学者に対する批判ですが、
これは、今日で言うマスメデイアに相当しますでしょうか?

・・・さて、

『痴愚神礼讃』の「解説」には、

〈博学無双で卓抜な人間観察者としてのエラスムスが、当時の社会を冷徹な眼で見つめ、人間というものがいかに愚かな存在で、愚行に明け暮れているかということを、痴愚女神の口を通じておもしろおかしく、しかし同時に辛辣極まる諷刺によって語らせたものだということになろう〉

という説明があります。

ま、その通りですね。

で、まさしくそれ故に、
私がしたような、我儘勝手な読み方(!)も許されそうで、
とても楽しめました。

ところで、
エラスムス自身は、この著作がもとで、

〈以後望まぬままに、宗教改革の渦中に引き込まれていく〉
(『痴愚神礼讃』解説より)

ことになりました。

ですが、いわゆる「守旧派」「改革派」の、
どちらに与することもなかった故に、

かくてエラスムスは新・旧両派から激しい十字砲火を浴びながら、なお彼の掲げる「キリスト教人文主義」を信じ、腐敗堕落したカトリック社会を立て直し、不毛のスコラ神学からキリスト教を開放し、福音書を中心とする本来の姿に還らせることを夢見た〉
(同上)

という生涯を送ったということです。

ホント、人生色々難しい。


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