角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

#029 竹島の日

2015-02-21 08:54:23 | 来し方、行く末
(昭和)40年6月21日、
椎名外相と李東元外務部長官との会談で、
李長官は
「独島は本来韓国領土であり、日韓交渉の議題ではない」
という韓国側の原則的見解を表明し、
椎名外相は
「日韓両国間の国交正常化には問題を残したくない。
 従って竹島問題ということではなく、
 両国間で現在未解決の懸案および将来起り得る外交上の諸問題を処理していく方法として
 相互の解決法を確保したい」
と述べている。
これは韓国側の国内事情を考慮して、竹島処理の表現を避け、
一般的懸案処理という形での処理方法をとろうとの日本側の妥協的提案である。
かくして、翌6月22日、日韓基本条約、その他協定が正式調印され、
14年間に亘る日韓交渉に終止符が打たれた。

上は、昭和40年刊行、平成8年復刻、
『島根県竹島の新研究』田村清三郎(↓)からの引用です。


今日、
島根県隠岐郡隠岐の島町竹島は、韓国に不法占拠されているわけですが、
これも「韓国側の国内事情を考慮して」要らぬ配慮をしたことが、
問題を余計にややこしくしたっていう話のひとつですね。

同書のあとがきは、

「竹島問題は、土俵のない、
 行事(原文ママ)のいない角力のような状態にあるのであって、
 いくら我が方が動かない証拠を示しても、
 負けたことを認めない相手ととっつくんでいる(原文ママ)ようなものである」

と指摘して、

「本書が広く一般に精読され、
 我が国民の竹島問題の理解が進められ、
 誤りのない世論の形成に寄与することができれば幸いである」

と望んでいます。

昭和40年当時と比べたなら、
日韓間に「領土問題」が存在する、
という理解はかなり進んだと思います。

ただ残念なことに(というかホントは素晴らしいこと)、
日本人は基本おとなしいので、ちゃんと怒れないんですよね。

理論的に相手を圧倒する知識を持つのは、
もちろん大切で必要なことです。

ですが同時に、上手にぶつからないと。
「知行合一」ですね。

「ぶつかる」と言っても、実力行使ということではありませんよ。
(半島有事の際に、拉致被害者奪還と合わせ竹島をも取り返す、
 そういう作戦を内密に練っておくのはアリだと思いますが)

アチラが、日本漁船の拿捕に始まり、桟橋、ヘリポート建設、観光地化、
果ては大統領上陸と、段階を踏んで既成事実を重ねてきたように、

コチラは、島根県による「竹島の日」制定、記念行事、そこへ政府政務官の派遣、
(今日、ここまで押し返した)
そして副大臣、大臣の出席、政府による記念日化、政府主催の記念式典開催へと、
(適度に相手を刺激しながら=領土問題の存在を国際社会に知らしめながら)
進めていけばいいんです。

(平和的解決を望むという前提で言えば)
最終的には国際司法裁判所に判断してもらうしかないわけですから。

「安倍政権にして歩みが遅い」「韓国に配慮する必要なんかない」
とお怒りの方も沢山お見受けしますが、
それは、多分正しくないですね。

安倍さんは、韓国に配慮なんてしていないと思います。
そう見えるのは、国内世論が自分の考えに追いつくのを待っているからでしょう。
鬱憤を晴らして溜飲を下げても、結果、竹島を取り戻せないなら意味は無いですし。

Web竹島問題研究所など、
その気があれば、いくらでも事実を調べられる時代です。

逆に面倒だと思えば何も知らないままに終わることもあります。

私としては、

「不法占拠」の発端が、1952年1月18日、
彼の国が李承晩ラインを一方的に設定したことにあって、

事実としてこの日が、
サンフランシスコ講和条約調印の1951年9月8日と、
同、発効の1952年4月28日との狭間にあること、

この一点だけでも、再度、確認しておきたいところです。


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