角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

#132 共に在りたい、のだけれど・・・

2016-04-20 06:31:15 | メディア論
『PRAY FOR JAPAN -3.11 世界中が祈りはじめた日-』

(講談社BOOK倶楽部→http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062170185

『特別縮刷版 3・11東日本大震災 1カ月の記録』

(河北仙販SHOP→http://www.senpan.co.jp/shop/product.php?id=170

『闘う日本 東日本大震災1カ月の全記録』

(hontoネットストア→http://honto.jp/netstore/pd-book_03399788.html

東日本大震災の折、私が購入したものです。

あの時、
東海地方に、直接の被害はほとんど無かったのですが、
けれども、ごく自然に「自分のこと」のように思えました。

この度の熊本・大分地震でも、
被災された方々への想いは変わらないつもりですが、

それにしても、マスメディアの報道や、ネット上の言説には、
何となく、付いていけないものを感じてます。

給油の列に割り込む、
時間帯関係なしにヘリを飛ばす、
避難所では無遠慮に照明を当てる・・・

真偽不明の情報を右から左へ拡散する、
都合のいいところを切り取って、
自分の正しさを証明しようとやっきになる・・・

思うに5年前は、
少なくとも、地震発生から2、3週間は、
マスもネットも「正気」でした。

関東地方も相当に被害があり、
東京キー局、東京本社の人間自身が被災者だったからでしょうか。

計画停電によって、
好むと好まざるとに関わらず、皆「共に在った」からでしょうか。

けれどこの数日、送り手も受け手も、
(もちろん全てではないけれど)
所詮「ネタ」としか思ってないんじゃないか、
そういうものが、行間やフレームの端に滲み出てる気がするんです。

私とて、受け手として「被災地の今」を、
詳しく知りたいし、知らなきゃいけないと思います。
出来る限り、被災者と「共に在りたい」とも思います。

だからこそ、
送り手となる人々に考えてもらいたい。

自分たちは何者で、
如何にあるべきか、
如何に伝えるべきか、

我先にと現地に入るよりも、
我先にと特異な出来事を追うよりも、
大切なことがあるのではないか?

物珍しく、人目を引く「絵」を求めるのではなく、
「非日常の中の当たり前」を丹念にすくい取るべきではないのか?

此処から遠い九州での出来事ですが、

トヨタの生産ラインが止まるというので、
今日から、自分の仕事(関連部品配送)でも荷量が減りました。
(トヨタグローバルニュースルーム:工場稼働に関するお知らせ
 →http://newsroom.toyota.co.jp/jp/detail/11811462/

東名高速道路では、
災害派遣の印を付けて西へと向かう、
自衛隊の車両を見ました。
(陸上自衛隊公式WEBサイト:平成28年 熊本地震 災害派遣 記録写真
 →http://www.mod.go.jp/gsdf/index.html

どこにいても、
やっぱり関わってくるんですね。

〈私たちは被災の現場で、何が起きたのか、何が起きているのか、伝えていかなければならない声、人々の動きがある-との姿勢で報道を続けている。被災地域は広く、被災した人も膨大だ。それぞれの地域で被災状況は異なるし、住む人たちが陥った困難な状況も違う。震災を多角的に捉え、多くの場所で人々の声を数多く取材する。「今を伝える」。そんな紙面を、家庭や避難所に届けて読んでもらう。それが、震災からの再生に向け、私たちができる一番の仕事だと考えている〉
(『特別縮刷版 3・11東日本大震災 1カ月の記録』編集後記)

東日本大震災の記憶をたどると、
ならば私自身、どうすれば良いのか、どう係われば良いのか、
そんなことを、ちょっと思います。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・

Pray for Japan Film - Official PV


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