角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

#107 対米英宣戦の日

2015-12-06 08:03:10 | 「国」を想う
〈朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ〉
(wikisource:米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書より引用。以下同じ。→https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%9C%8B%E5%8F%8A%E8%8B%B1%E5%9C%8B%E3%83%8B%E5%B0%8D%E3%82%B9%E3%83%AB%E5%AE%A3%E6%88%B0%E3%83%8E%E8%A9%94%E6%9B%B8

(私はここに米国及び英国に対し、戦いを宣言する。陸海の将兵は全力をふるって戦いに当たり、武官や役人たちはその職務に励みつとめ、国民もそれぞれの本分をつくし心を一つにし、国家の総力を挙げて、間違いなく戦いの目的を達成するよう期してほしい)
(geocities:開戦の詔書/現代語訳より引用。以下同じ。
 →http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1941_kaisen_shosho.html

ちょっとフライングして、
先の対米英戦争について、です。

言うまでもない(と信じたい)ことですが、
12月8日は、今を遡ること74年、
米国、英国に対して日本が宣戦布告した日です。

昭和16年、1941年になりますね。

無謀、陰謀、奇襲、騙し討、
まあ、色々と批判されるばっかりで、
多くの人の思考が「何故?」まで届かない「記念日」です。

何時の頃からか、
政府の公文書は信用出来ないものの典型、
みたいな扱いを受けるようになってしまいましたが、

本来は、
後々に至るも瑕疵が残らぬよう、
細心の注意を払って練り上げられるものです。
(いわゆる村山談話除く、と言っておこう)

故に、
12月8日の「何故?」を虚心坦懐、改めて考え直してみるのなら、
まずは、その日渙発された「宣戦の詔書」(開戦の詔書とも)を読むべきでしょう。

〈今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ〉
(今、不幸にして米英両国と戦いを始めるに至ったことは、実にやむを得ぬことであり、私の意志であろうはずがない)

何であれ、
後から、ああすれば、こうすれば、と言うのは簡単ですが、

人に「そうとしか生きようのない人生がある」ように、
国にも、そうとしか有り得なかった歴史がある、というのが、
私の見方です。

〈重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス〉
(重慶に残存する政権(蒋介石政府)は米国、英国の庇護(ひご)に期待して仲間内の争いをやめようとしない。
 米英両国はこの残存政権を支援し、東亜の乱を助長し、平和の美名にかくれて東洋を制覇しようという誤った望みを持とうとしている)


当時の大陸に「中国」はなく、
日本が宣戦布告する以前から、
米英両国は自分たちの都合で(!)支那事変に介入し、
その終結を妨害していました。

〈斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ〉
(事態がこのまま推移すると、東亜の安定についての日本の長年の努力はことごとく水泡に帰し、日本の存立も危機に瀕してくる。ここに至って、日本は自らの存立と自衛のために蹶然(けつぜん)と起ち、すべての障害を打ち破るほかないのである)


これは、
後に連合国軍最高司令官マッカーサーも認めたことです。

ところで、
詔書が第一級の公文書なら、
御告文(陛下が皇祖皇宗に対して奏上するもの)は、
第一級の私文書(?)だと私は思うんですが、どうでしょう。

『昭和天皇の祈りと大東亜戦争』(勝岡寛次、明成社)という素敵な本が出てます。

(→http://meiseisha.com/%E5%95%86%E5%93%81%E6%A1%88%E5%86%85/%E4%B8%80%E8%88%AC%E6%9B%B8%E4%B8%80%E8%A6%A7/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%81%A8%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89/

ちなみに、これは産経新聞の書評。


ということで、勝岡さんはこの本で、
対米英開戦翌日の御告文を紹介しています。

ふりがなカッコ書きの引用で、かなり読みにくいのですが、
基本、祝詞と同じでいわゆる大和言葉しか使ってないので、
幾度か声に出せば胸に響いてくると思います。

心を静めて、じっくり読んでみください。

大東亜戦争開戦に際し、宮中三殿に奉された御告文(昭和16年12月9日)
挂巻(かけまく)も恐(かしこ)き此大前(これのおおまえ)に恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(もう)さく、朕天津日嗣知食(あれあまつひつぎしろしめ)ししより以来(このかた)、皇祖(すめみおや)を始め御代御代(みよみよ)の聖謨(おおみはかりごと)の随(まにま)に、四海(よつのうみ)皆同胞(はらから)と、弥睦(いやむつ)びに睦び、弥(いや)親しみに親しましめむと、夙夜(あけくれ)心を竭(つく)し身を致ししに、由久利奈(ゆくりな)くも去(いに)し12年(とおあまりふたとせ)、支那の事変起りぬ。故(かれ)、一速(いちはや)く大東亜を和(なご)めむと、関係(かかわり)浅からぬ国々に事謀(はか)りしに、其(そ)の甲斐なきのみかは、阿多奈(あだな)ふ影、年に月に深まりぬれども、猶(なお)もと、有りと有る手段(すべ)を尽ししも、日に異(け)に風荒(すさ)み浪(なみ)高く、遂に我国さへ危殆(あやう)くこそは成(なり)にけれ。斯(か)くし有れば、甚(はなは)だ遺憾(うれわ)しくは有れど、已(や)むべくも有らぬ事となも思(お)ぼし食(め)し、今度(こたび)米国と英国とに対(むか)ひて、戦(いくさ)を開く事と成(な)りにき。是(ここ)を以(も)て大前に斎(いつ)き祭りて、此由(このよし)を告奉(つげまつ)る事を、平(たい)らけく安(やす)らけく聞食(きこしめ)して、海に陸(くが)に空に射向(いむか)ふ敵等(あだども)を、速(すみやか)に伐平(うちたい)らげ、皇御国(すめらみくに)の大御稜威(おおみいつ)を四表八方(よもやも)に伊照(いて)り徹(とお)らしめ給(たま)ひて、無窮(とこしえ)に天下(あめのした)を調(ととの)はしめ給へと、恐(かしこ)み恐みも白(もふ)す。


その辺の一般人(!)が、
独り言を書き付けたのとは、重みが違いますね。

あ、それと、
「ジョンレノンの命日も12月8日で同じ日ね」って言う人がたまにいますけど、
真珠湾攻撃は12月7日(米国時間)なので、1日違うんですよ。

ま、細かいし、どうでもイイ(いや、良くはないか)ことです。

ついで感満載でスミマセン。一応言っときたかったもので。


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