数日前、
中央教育審議会が大学入試を「総合型」にする案を答申しました。
思考や表現力を問う面接を重視する、ということらしいです。
入試に面接というと、必ず出るのが「公平性に疑問」という批判ですが、
実際、大学受験生の長女は、このニュースに開口一番、
「面接官の好みとかあるよね」と言いました。
でもそれ、大学が一方的に受験者を選別してると思うから、なんですよね。
大学ともなれば、
入学希望者は自らすすんで学問する意志をもっているという前提(もしくは理想論)で言いますが、
受験生の側が大学の面接官を面接して、
「こんな教授や職員がいる大学なんて、こちらからお断りだ」と、
入学を拒否するという考えもあるんじゃないでしょうか。
一般論として、
日本では、大学も会社も同年代が大挙して枠を争うというカタチなので、
面接官に対してウケを良くしなければ、と考えるのも仕方ないのが現実なんでしょうけど、
本当は、もっと対等に「面接」したらいいと思います。
「公平」な試験で枠内に入ったとしても、
そこが自分の肌に合わないとしたら、それは不幸です。
誰だって、
学問そのもの、仕事そのものに打ち込める大学や会社で過ごしたいはずですよね。
中央教育審議会が大学入試を「総合型」にする案を答申しました。
思考や表現力を問う面接を重視する、ということらしいです。
入試に面接というと、必ず出るのが「公平性に疑問」という批判ですが、
実際、大学受験生の長女は、このニュースに開口一番、
「面接官の好みとかあるよね」と言いました。
でもそれ、大学が一方的に受験者を選別してると思うから、なんですよね。
大学ともなれば、
入学希望者は自らすすんで学問する意志をもっているという前提(もしくは理想論)で言いますが、
受験生の側が大学の面接官を面接して、
「こんな教授や職員がいる大学なんて、こちらからお断りだ」と、
入学を拒否するという考えもあるんじゃないでしょうか。
一般論として、
日本では、大学も会社も同年代が大挙して枠を争うというカタチなので、
面接官に対してウケを良くしなければ、と考えるのも仕方ないのが現実なんでしょうけど、
本当は、もっと対等に「面接」したらいいと思います。
「公平」な試験で枠内に入ったとしても、
そこが自分の肌に合わないとしたら、それは不幸です。
誰だって、
学問そのもの、仕事そのものに打ち込める大学や会社で過ごしたいはずですよね。
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