角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

#089 続「東京五輪エンブレム」トホホ

2015-09-06 06:14:13 | 感性と理性と
と、いうわけで、
東京五輪エンブレム使用中止のため、
プロモーション動画は当然削除です。


ホームページも「お探しのページは見つかりません」
と相成りました。

なので、拙ブログ〈#086 「東京五輪エンブレム」トホホ〉にも、
ちょっとした追記をしておきました。

が、
なんか・・・

あくまでも個人的な感情として、
もう少し「スッキリ」するかと思ったのですが、
どちらかと言うと「気分悪い」んです。

で、
こういうのは精神衛生上良くないので、
ちょっと文章にして、
気持ちを整理しようかな、という次第です。

あまり、理論的なモノではなくなる予感がしますが、
優しく、広い心で読んでいただければ幸いです。

エンブレム発表当時は、
さあ、これから、というムードが一応あったと思います。

(Web産経ニュース:五輪公式エンブレム発表 東京の「T」や平等を表す「=(イコール)」をイメージ
 →http://www.sankei.com/sports/news/150724/spo1507240049-n1.html

そりゃ、それぞれに、
「ダサい」と思った人や「辛気臭い」と思った人、
「気に入らない」とお怒りの人もいたでしょうけど。

それは、もう仕方のないことです。
良し悪しではなく、好き嫌いの話です。

ところが、皆さんご存知の通り、
一週間と経たないうちに厄介なことが起きまして・・・

(Web産経ニュース:東京五輪エンブレム、ベルギー劇場ロゴと酷似 デザイナーが弁護士と対応協議
 →http://www.sankei.com/world/news/150729/wor1507290038-n1.html

で、
そこから「模倣」「パクリ」「盗用」疑惑が続出。

最後は、
本来公表する「作品」ではなく、
審査用の「資料」であるにしても、
「無断借用」が発覚。

これが決定打となりました。

(Web産経ニュース:相次ぐ疑惑…佐野氏、画像の無断転用認める
 →http://www.sankei.com/affairs/news/150901/afr1509010026-n1.html

結局、

「盗用はないと信じているが、一般国民の理解は得られない」(組織委員会)
「全くのオリジナル作品だと確信していたが、看過できない問題が生じた」(組織委員会事務総長)

「展開図に使った写真は(審査委員会に示しただけの)内部資料で、クローズの審査の場ではよくあることだが、公になるときには権利者への許可が要る。それを怠った」(佐野氏)
「自分はデザイナーとして五輪に関わるのが夢であったが、今や五輪に悪影響を及ぼしてしまう」(同上)

ということで、
デザイナー自ら「取り下げた」というカタチで落着したわけです。
(Web産経ニュース:写真無断転用で急転 組織委「看過できない」
 →http://www.sankei.com/sports/news/150901/spo1509010039-n1.html

さて、
ことの経緯はそういうことなんですが、

実際、
エンブレムへの評価は別として、
ここまで騒動が大きくなってしまっては、
振り出しに戻った方が良いのかも、
と私も思いました。

ですが、
使用中止決定から2日、3日と、
何か気持ちがモヤモヤとして落ち着かないのです。

何でだろう、と、じっくり考えました。

エンブレムそのものに対する私の評価は、
まあ「コレはこれでいいんじゃないの」くらいでした。

気に入らない人がいるのも仕方ない、とも思いました。
それは、どこまで行っても「好き」「嫌い」の話ですから。

ただ、今にして思えば、
純粋に「もっと良いモノを」という人の他に、

どんなデザインであったにしても、
ただケチを付けたいだけの人、
あえて言えば、政治的意図をもって、
批判のための批判をしていただけの人も、
紛れていたような気がするんです。

そこへ、海外から「援軍」が現れました。

今、
改めてハッキリ言えば、
この程度で「驚くほど似ている」「酷似」している、
と騒ぎ出したら、

グラフィックデザインは、
殊にシンプルなものについては、
もう成り立たなくなる、と私は思います。

このふたつのデザイン、
個々のパーツは似ていても、
全体としては、明らかに別物です。

上から目線とかそういうことではなしに、
この2つを見間違えるって有り得ますか?

劇場や、そのロゴデザイナーに、
何か不利益が発生しますか?
むしろ逆でしょう。

何より、この時点で、
たとえ制限のかかった「公募」だったにしても、
また、手順が不透明な「審査」であったにしても、
既に「コレで行こう」と決まり、動き出していたモノです。
「僕らの五輪エンブレム」だったんです。

日本国民としては、
外国の、一地方劇場ロゴデザイナーの「言いがかり」に対して、
「僕らの五輪エンブレムにケチをつけるのか」
と、怒って見せるのが正解だったんじゃないでしょうか。

ところが、この「外圧」が、
「好み」の問題でしかなかったところへ、
「正邪」の要素を加えたことで、
後ろ向きのエネルギーに火が付いてしまいました。

「負の連鎖」と言っても良いし、
「イジメの様相」さえありました。

「酷似画像」を見つけ出すことが、
「正義」だと言わんばかりでした。

その中には、確かに「正解」もありました。
組織委員会やデザイナーの対応も良くなかった。

けれどそれらのことも、
こんな騒ぎになったからこそです。

エンブレムそのものとは別のところで、
そんな「追求」やら「批判」やらを繰り返す度に、
私たちは、そうと気づかない内に、
「僕らの五輪エンブレム」に傷をつけていたんです。

結局、使用中止に至りましたが、
「勝ったな」
「(佐野氏は)終わったね」
「擁護してた人達はどう出るのかな?」
というような反応には、正直うんざりしました。

これから付き合っていこうと決めた彼女を前にして、
前の彼女のほうが良かった、とか、
 

ちょっと見かけたあの娘のほうが素敵だ、みたいなことも、


一度や二度ならともかく、
度重なってくると不愉快でした。

「ネット上で〜」
というカタチの報道に終始していたマス・メディアは、
中止が決まると「待ってました」とばかりに、
スポンサー企業の困惑、外国の反応などを伝えました。
そんなの、予想できたことでしょう。

ホント、卑怯だと思います。

〈日本は五輪開催国として信頼できるとみられていたが、五輪会場となる新国立競技場の見直し問題も含め、ぶざまな成り行きになった〉
(Web産経:エンブレム白紙撤回「ぶざま」「極めて異例」と英BBC
 →http://www.sankei.com/world/news/150902/wor1509020006-n1.html

今にして思います。

私たちは、
何をしているか全く判っていなかったんじゃないか。

元を正せば、一外国人の言うことを真に受けて、
ディスカウント・ジャパンに、
手を貸してしまったんじゃないでしょうか。

渦の中心には、
ひょっとして薄ら笑いを浮かべている奴がいるかもしれません。

私の「気分の悪さ」は、
その辺りの疑問からくるんだと、
自分の中では、なんとなく整理ができました。

感情論、印象論、結果論、
そういう自覚もあります。

けれど、そういう反省をしておかないと、
次、決まるであろうエンブレムで同じ轍を踏むんじゃないかと、
それが心配なのです。

「気に入らない」のは仕方ない。
けれど、
そこに正義の衣を纏って「間違いだ」と叫んでいては、

何時になっても、何度やり直しても、
「僕らの五輪エンブレム」は生み出せないと思います。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・

決して納得して欲しいと言うのではありません。
「ああ、このブログの筆者はそう考えたんだな」と、
そう受け止めていただければ、それで十分です。


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