と、いうわけで、
東京五輪エンブレム使用中止のため、
プロモーション動画は当然削除です。
ホームページも「お探しのページは見つかりません」
と相成りました。
なので、拙ブログ〈#086 「東京五輪エンブレム」トホホ〉にも、
ちょっとした追記をしておきました。
が、
なんか・・・
あくまでも個人的な感情として、
もう少し「スッキリ」するかと思ったのですが、
どちらかと言うと「気分悪い」んです。
で、
こういうのは精神衛生上良くないので、
ちょっと文章にして、
気持ちを整理しようかな、という次第です。
あまり、理論的なモノではなくなる予感がしますが、
優しく、広い心で読んでいただければ幸いです。
エンブレム発表当時は、
さあ、これから、というムードが一応あったと思います。
(Web産経ニュース:五輪公式エンブレム発表 東京の「T」や平等を表す「=(イコール)」をイメージ
→http://www.sankei.com/sports/news/150724/spo1507240049-n1.html)
そりゃ、それぞれに、
「ダサい」と思った人や「辛気臭い」と思った人、
「気に入らない」とお怒りの人もいたでしょうけど。
それは、もう仕方のないことです。
良し悪しではなく、好き嫌いの話です。
ところが、皆さんご存知の通り、
一週間と経たないうちに厄介なことが起きまして・・・
(Web産経ニュース:東京五輪エンブレム、ベルギー劇場ロゴと酷似 デザイナーが弁護士と対応協議
→http://www.sankei.com/world/news/150729/wor1507290038-n1.html)
で、
そこから「模倣」「パクリ」「盗用」疑惑が続出。
最後は、
本来公表する「作品」ではなく、
審査用の「資料」であるにしても、
「無断借用」が発覚。
これが決定打となりました。
(Web産経ニュース:相次ぐ疑惑…佐野氏、画像の無断転用認める
→http://www.sankei.com/affairs/news/150901/afr1509010026-n1.html)
結局、
「盗用はないと信じているが、一般国民の理解は得られない」(組織委員会)
「全くのオリジナル作品だと確信していたが、看過できない問題が生じた」(組織委員会事務総長)
「展開図に使った写真は(審査委員会に示しただけの)内部資料で、クローズの審査の場ではよくあることだが、公になるときには権利者への許可が要る。それを怠った」(佐野氏)
「自分はデザイナーとして五輪に関わるのが夢であったが、今や五輪に悪影響を及ぼしてしまう」(同上)
ということで、
デザイナー自ら「取り下げた」というカタチで落着したわけです。
(Web産経ニュース:写真無断転用で急転 組織委「看過できない」
→http://www.sankei.com/sports/news/150901/spo1509010039-n1.html)
さて、
ことの経緯はそういうことなんですが、
実際、
エンブレムへの評価は別として、
ここまで騒動が大きくなってしまっては、
振り出しに戻った方が良いのかも、
と私も思いました。
ですが、
使用中止決定から2日、3日と、
何か気持ちがモヤモヤとして落ち着かないのです。
何でだろう、と、じっくり考えました。
エンブレムそのものに対する私の評価は、
まあ「コレはこれでいいんじゃないの」くらいでした。
気に入らない人がいるのも仕方ない、とも思いました。
それは、どこまで行っても「好き」「嫌い」の話ですから。
ただ、今にして思えば、
純粋に「もっと良いモノを」という人の他に、
どんなデザインであったにしても、
ただケチを付けたいだけの人、
あえて言えば、政治的意図をもって、
批判のための批判をしていただけの人も、
紛れていたような気がするんです。
そこへ、海外から「援軍」が現れました。
今、
改めてハッキリ言えば、
この程度で「驚くほど似ている」「酷似」している、
と騒ぎ出したら、
グラフィックデザインは、
殊にシンプルなものについては、
もう成り立たなくなる、と私は思います。
このふたつのデザイン、
個々のパーツは似ていても、
全体としては、明らかに別物です。
上から目線とかそういうことではなしに、
この2つを見間違えるって有り得ますか?
劇場や、そのロゴデザイナーに、
何か不利益が発生しますか?
むしろ逆でしょう。
何より、この時点で、
たとえ制限のかかった「公募」だったにしても、
また、手順が不透明な「審査」であったにしても、
既に「コレで行こう」と決まり、動き出していたモノです。
「僕らの五輪エンブレム」だったんです。
日本国民としては、
外国の、一地方劇場ロゴデザイナーの「言いがかり」に対して、
「僕らの五輪エンブレムにケチをつけるのか」
と、怒って見せるのが正解だったんじゃないでしょうか。
ところが、この「外圧」が、
「好み」の問題でしかなかったところへ、
「正邪」の要素を加えたことで、
後ろ向きのエネルギーに火が付いてしまいました。
「負の連鎖」と言っても良いし、
「イジメの様相」さえありました。
「酷似画像」を見つけ出すことが、
「正義」だと言わんばかりでした。
その中には、確かに「正解」もありました。
組織委員会やデザイナーの対応も良くなかった。
けれどそれらのことも、
こんな騒ぎになったからこそです。
エンブレムそのものとは別のところで、
そんな「追求」やら「批判」やらを繰り返す度に、
私たちは、そうと気づかない内に、
「僕らの五輪エンブレム」に傷をつけていたんです。
結局、使用中止に至りましたが、
「勝ったな」
「(佐野氏は)終わったね」
「擁護してた人達はどう出るのかな?」
というような反応には、正直うんざりしました。
これから付き合っていこうと決めた彼女を前にして、
前の彼女のほうが良かった、とか、
ちょっと見かけたあの娘のほうが素敵だ、みたいなことも、
一度や二度ならともかく、
度重なってくると不愉快でした。
「ネット上で〜」
というカタチの報道に終始していたマス・メディアは、
中止が決まると「待ってました」とばかりに、
スポンサー企業の困惑、外国の反応などを伝えました。
そんなの、予想できたことでしょう。
ホント、卑怯だと思います。
〈日本は五輪開催国として信頼できるとみられていたが、五輪会場となる新国立競技場の見直し問題も含め、ぶざまな成り行きになった〉
(Web産経:エンブレム白紙撤回「ぶざま」「極めて異例」と英BBC
→http://www.sankei.com/world/news/150902/wor1509020006-n1.html)
今にして思います。
私たちは、
何をしているか全く判っていなかったんじゃないか。
元を正せば、一外国人の言うことを真に受けて、
ディスカウント・ジャパンに、
手を貸してしまったんじゃないでしょうか。
渦の中心には、
ひょっとして薄ら笑いを浮かべている奴がいるかもしれません。
私の「気分の悪さ」は、
その辺りの疑問からくるんだと、
自分の中では、なんとなく整理ができました。
感情論、印象論、結果論、
そういう自覚もあります。
けれど、そういう反省をしておかないと、
次、決まるであろうエンブレムで同じ轍を踏むんじゃないかと、
それが心配なのです。
「気に入らない」のは仕方ない。
けれど、
そこに正義の衣を纏って「間違いだ」と叫んでいては、
何時になっても、何度やり直しても、
「僕らの五輪エンブレム」は生み出せないと思います。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
決して納得して欲しいと言うのではありません。
「ああ、このブログの筆者はそう考えたんだな」と、
そう受け止めていただければ、それで十分です。
東京五輪エンブレム使用中止のため、
プロモーション動画は当然削除です。
ホームページも「お探しのページは見つかりません」
と相成りました。
なので、拙ブログ〈#086 「東京五輪エンブレム」トホホ〉にも、
ちょっとした追記をしておきました。
が、
なんか・・・
あくまでも個人的な感情として、
もう少し「スッキリ」するかと思ったのですが、
どちらかと言うと「気分悪い」んです。
で、
こういうのは精神衛生上良くないので、
ちょっと文章にして、
気持ちを整理しようかな、という次第です。
あまり、理論的なモノではなくなる予感がしますが、
優しく、広い心で読んでいただければ幸いです。
エンブレム発表当時は、
さあ、これから、というムードが一応あったと思います。
(Web産経ニュース:五輪公式エンブレム発表 東京の「T」や平等を表す「=(イコール)」をイメージ
→http://www.sankei.com/sports/news/150724/spo1507240049-n1.html)
そりゃ、それぞれに、
「ダサい」と思った人や「辛気臭い」と思った人、
「気に入らない」とお怒りの人もいたでしょうけど。
それは、もう仕方のないことです。
良し悪しではなく、好き嫌いの話です。
ところが、皆さんご存知の通り、
一週間と経たないうちに厄介なことが起きまして・・・
(Web産経ニュース:東京五輪エンブレム、ベルギー劇場ロゴと酷似 デザイナーが弁護士と対応協議
→http://www.sankei.com/world/news/150729/wor1507290038-n1.html)
で、
そこから「模倣」「パクリ」「盗用」疑惑が続出。
最後は、
本来公表する「作品」ではなく、
審査用の「資料」であるにしても、
「無断借用」が発覚。
これが決定打となりました。
(Web産経ニュース:相次ぐ疑惑…佐野氏、画像の無断転用認める
→http://www.sankei.com/affairs/news/150901/afr1509010026-n1.html)
結局、
「盗用はないと信じているが、一般国民の理解は得られない」(組織委員会)
「全くのオリジナル作品だと確信していたが、看過できない問題が生じた」(組織委員会事務総長)
「展開図に使った写真は(審査委員会に示しただけの)内部資料で、クローズの審査の場ではよくあることだが、公になるときには権利者への許可が要る。それを怠った」(佐野氏)
「自分はデザイナーとして五輪に関わるのが夢であったが、今や五輪に悪影響を及ぼしてしまう」(同上)
ということで、
デザイナー自ら「取り下げた」というカタチで落着したわけです。
(Web産経ニュース:写真無断転用で急転 組織委「看過できない」
→http://www.sankei.com/sports/news/150901/spo1509010039-n1.html)
さて、
ことの経緯はそういうことなんですが、
実際、
エンブレムへの評価は別として、
ここまで騒動が大きくなってしまっては、
振り出しに戻った方が良いのかも、
と私も思いました。
ですが、
使用中止決定から2日、3日と、
何か気持ちがモヤモヤとして落ち着かないのです。
何でだろう、と、じっくり考えました。
エンブレムそのものに対する私の評価は、
まあ「コレはこれでいいんじゃないの」くらいでした。
気に入らない人がいるのも仕方ない、とも思いました。
それは、どこまで行っても「好き」「嫌い」の話ですから。
ただ、今にして思えば、
純粋に「もっと良いモノを」という人の他に、
どんなデザインであったにしても、
ただケチを付けたいだけの人、
あえて言えば、政治的意図をもって、
批判のための批判をしていただけの人も、
紛れていたような気がするんです。
そこへ、海外から「援軍」が現れました。
今、
改めてハッキリ言えば、
この程度で「驚くほど似ている」「酷似」している、
と騒ぎ出したら、
グラフィックデザインは、
殊にシンプルなものについては、
もう成り立たなくなる、と私は思います。
このふたつのデザイン、
個々のパーツは似ていても、
全体としては、明らかに別物です。
上から目線とかそういうことではなしに、
この2つを見間違えるって有り得ますか?
劇場や、そのロゴデザイナーに、
何か不利益が発生しますか?
むしろ逆でしょう。
何より、この時点で、
たとえ制限のかかった「公募」だったにしても、
また、手順が不透明な「審査」であったにしても、
既に「コレで行こう」と決まり、動き出していたモノです。
「僕らの五輪エンブレム」だったんです。
日本国民としては、
外国の、一地方劇場ロゴデザイナーの「言いがかり」に対して、
「僕らの五輪エンブレムにケチをつけるのか」
と、怒って見せるのが正解だったんじゃないでしょうか。
ところが、この「外圧」が、
「好み」の問題でしかなかったところへ、
「正邪」の要素を加えたことで、
後ろ向きのエネルギーに火が付いてしまいました。
「負の連鎖」と言っても良いし、
「イジメの様相」さえありました。
「酷似画像」を見つけ出すことが、
「正義」だと言わんばかりでした。
その中には、確かに「正解」もありました。
組織委員会やデザイナーの対応も良くなかった。
けれどそれらのことも、
こんな騒ぎになったからこそです。
エンブレムそのものとは別のところで、
そんな「追求」やら「批判」やらを繰り返す度に、
私たちは、そうと気づかない内に、
「僕らの五輪エンブレム」に傷をつけていたんです。
結局、使用中止に至りましたが、
「勝ったな」
「(佐野氏は)終わったね」
「擁護してた人達はどう出るのかな?」
というような反応には、正直うんざりしました。
これから付き合っていこうと決めた彼女を前にして、
前の彼女のほうが良かった、とか、
ちょっと見かけたあの娘のほうが素敵だ、みたいなことも、
一度や二度ならともかく、
度重なってくると不愉快でした。
「ネット上で〜」
というカタチの報道に終始していたマス・メディアは、
中止が決まると「待ってました」とばかりに、
スポンサー企業の困惑、外国の反応などを伝えました。
そんなの、予想できたことでしょう。
ホント、卑怯だと思います。
〈日本は五輪開催国として信頼できるとみられていたが、五輪会場となる新国立競技場の見直し問題も含め、ぶざまな成り行きになった〉
(Web産経:エンブレム白紙撤回「ぶざま」「極めて異例」と英BBC
→http://www.sankei.com/world/news/150902/wor1509020006-n1.html)
今にして思います。
私たちは、
何をしているか全く判っていなかったんじゃないか。
元を正せば、一外国人の言うことを真に受けて、
ディスカウント・ジャパンに、
手を貸してしまったんじゃないでしょうか。
渦の中心には、
ひょっとして薄ら笑いを浮かべている奴がいるかもしれません。
私の「気分の悪さ」は、
その辺りの疑問からくるんだと、
自分の中では、なんとなく整理ができました。
感情論、印象論、結果論、
そういう自覚もあります。
けれど、そういう反省をしておかないと、
次、決まるであろうエンブレムで同じ轍を踏むんじゃないかと、
それが心配なのです。
「気に入らない」のは仕方ない。
けれど、
そこに正義の衣を纏って「間違いだ」と叫んでいては、
何時になっても、何度やり直しても、
「僕らの五輪エンブレム」は生み出せないと思います。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
決して納得して欲しいと言うのではありません。
「ああ、このブログの筆者はそう考えたんだな」と、
そう受け止めていただければ、それで十分です。
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