8月は、私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いを致すことを求めます。
3年前の8月14日、「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」の報告を踏まえ、閣議決定された「内閣総理大臣談話」を発表する安倍さん・・・
政治は歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。戦後70年という大きな節目に当たって、先の大戦への道のり、戦後の歩み。20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか。深く思索し、構想すべきである。私はそう考えました。
同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない。このことも私の強い信念であります。
ですから、談話の作成に当たっては、21世紀構想懇談会を開いて、有識者の皆様に率直かつ徹底的な御議論をいただきました。それぞれの視座や考え方は当然ながら異なります。しかし、そうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた。私はこの提言を歴史の声として受けとめたいと思います。そして、この提言の上に立って、歴史から教訓を酌み取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。
*首相官邸:平成27年8月14日 内閣総理大臣記者会見
→http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0814kaiken.html
と語りかけ、
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
で始まる談話それ自体を、ゆっくりと読み上げました。
当時、談話が発表されるまで、マスメディア、ネットともに、相当に盛り上がってたはずなんですけど、
*#077 「過ち、潔く認めるべきだ」「お前もな!(ハロ風に)」
→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/0686d423ebb7bd4e1be160858a7c8744
3年経った今、「安倍談話」について何か物申す人はいません。静かです。良いことです。
本来、人それぞれ、いろんな歴史観・認識があって、故に、過去の出来事について個人的に(!)国を代表して(?)何かを語ろうとした村山談話にこそ無理があったわけです。しかもそれは、短期間でバタバタと、見方によっては閣僚を騙すようにして閣議決定された代物ですからね。
だからこそ、じっくり時間をかけ、しかっり手続きを踏んで、首相談話の「上書き」を果たした安倍さんは偉いと思います。その意図するところは、ここに尽きるでしょう。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
*首相官邸:平成27年8月14日 内閣総理大臣談話
→http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html
今後、80年、90年、100年と節目がやってきますが、その度、戦後生まれの割合は増え、やがて10割となります。その時、首相が何か言うとしても、もう「謝罪」は必要ありません。古今東西、たとえ過ちを犯したとしても、謝り続ける人など存在しなかったわけですから。国も同じです。
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「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」の「報告書」全文はこちら。
→https://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/pdf/report.pdf
ちなみに(↓)は「報告書」本文の3ページ目。懇談会メンバーの良心あるいは誠意の現れ?
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