平成24年の1月頃、
東京大学が秋入学への全面移行を検討するという話がありました。
一時は、他の大学、企業も巻き込んで、
「日本の大学も、ついに変わるか」という空気があったんですが・・・
3年経った今日、
結局、当初から懸念されていたように、
企業の採用、各種の国家試験など、
変えなければならないことが多すぎて、一部導入に留まった、という状況です。
そこで私、思うのですが、
日本における「岩盤規制」の最たるものは、
入学、卒業、就職、資格取得、等など、
ほとんどの事柄について回る「年齢絶対主義」なんじゃないでしょうか。
あるいは「同年齢一括主義」と言いましょうか。
同じ年齢の集団を同一視して一律に扱う。
それは確かに効率が良いことではありますが、
その分、異能の人には応えられず、状況の変化にも応じられません。
年齢の呪縛から解き放たれたら、どれだけの人が幸せになれるだろうかと想像します。
就学や進級年齢に融通が効くなら、
Slowlearner(簡単に言えば大器晩成の人)にとっては救いであり、
Gifted(ものすごく簡単に言えば天才)にとっては福音となります。
高校生や大学生の就職活動圧力もかなり減るはずです。
一旦社会へ出て、そこで自分の不足を知って大学で勉強する。
休学して世界を見、また復学し学問に励み、それを社会で活かす。
そういう本来の、そして当たり前の姿に近づけます。
資格取得の年齢制限がなくなれば、
まだまだやれる、もっと頑張れる、という人もたくさんいるでしょう。
何より、
結婚前にある程度地歩を築いておかないと、と考えて無理をしてしまう女性が、
むしろ、若く体力のあるうちに結婚、出産し、
子供から手が離れるにつれて徐々に社会進出する、
という選択が可能になります。
高齢出産のリスクが減るし、多産への余裕も生まれます。
誰しも、自分が関わる何かを変えるのは面倒です。
総論賛成各論反対というヤツです。
けれど、
変えなければならないことが多すぎる、だから変えられないと言っていたら、
変わることなんて出来ないし、問題が解決することもありません。
ここら辺り、人の意識ですから簡単なことで、そして難しいんですよね。
ああ、この結論も「昔」と変わってないや。
東京大学が秋入学への全面移行を検討するという話がありました。
一時は、他の大学、企業も巻き込んで、
「日本の大学も、ついに変わるか」という空気があったんですが・・・
3年経った今日、
結局、当初から懸念されていたように、
企業の採用、各種の国家試験など、
変えなければならないことが多すぎて、一部導入に留まった、という状況です。
そこで私、思うのですが、
日本における「岩盤規制」の最たるものは、
入学、卒業、就職、資格取得、等など、
ほとんどの事柄について回る「年齢絶対主義」なんじゃないでしょうか。
あるいは「同年齢一括主義」と言いましょうか。
同じ年齢の集団を同一視して一律に扱う。
それは確かに効率が良いことではありますが、
その分、異能の人には応えられず、状況の変化にも応じられません。
年齢の呪縛から解き放たれたら、どれだけの人が幸せになれるだろうかと想像します。
就学や進級年齢に融通が効くなら、
Slowlearner(簡単に言えば大器晩成の人)にとっては救いであり、
Gifted(ものすごく簡単に言えば天才)にとっては福音となります。
高校生や大学生の就職活動圧力もかなり減るはずです。
一旦社会へ出て、そこで自分の不足を知って大学で勉強する。
休学して世界を見、また復学し学問に励み、それを社会で活かす。
そういう本来の、そして当たり前の姿に近づけます。
資格取得の年齢制限がなくなれば、
まだまだやれる、もっと頑張れる、という人もたくさんいるでしょう。
何より、
結婚前にある程度地歩を築いておかないと、と考えて無理をしてしまう女性が、
むしろ、若く体力のあるうちに結婚、出産し、
子供から手が離れるにつれて徐々に社会進出する、
という選択が可能になります。
高齢出産のリスクが減るし、多産への余裕も生まれます。
誰しも、自分が関わる何かを変えるのは面倒です。
総論賛成各論反対というヤツです。
けれど、
変えなければならないことが多すぎる、だから変えられないと言っていたら、
変わることなんて出来ないし、問題が解決することもありません。
ここら辺り、人の意識ですから簡単なことで、そして難しいんですよね。
ああ、この結論も「昔」と変わってないや。
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