まずは素直に読んで下さい。
東京オリンピック・パラリンピックの会場となる新国立競技場の現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで新しい計画を作りなおす。そう決断致しました。
オリンピック・パラリンピックは、国民みんなの祭典です。何よりも優先されるべきは、国民の皆さん、アスリートの皆さんから祝福されるものとすることです。
国民の声に耳を傾け、1か月ほど前から現在の計画を見直すことができないか検討してまいりました。本日、オリンピック・パラリンピックまでに工事を完了できるとの確信が得られましたので、決断を致しました。
新国立競技場を世界の人々に夢と感動を与えるような場とするため、できる限りコストを抑制し、現実的にベストな計画を進めていく決意です。新しい計画づくりに直ちに取りかかるよう、関係大臣に指示致しました。
ラグビー・ワールドカップには新競技場は間に合いませんが、大会が成功するよう、国としてしっかりと支援してまいります。
以上、首相会見の一部です。
もし時間が許すなら、
全編、真っ更な気持ちで聞いてみて下さい。
*政府インターネットテレビ→http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg12090.html
どんな感想を持ってもイイんです。
どんな意見でも構わないと思います。
ただ、
何処かの誰かが発した二次情報に惑わされてはいけません。
例えば、
(↓)こんなモノ、朝日新聞社説です。
興味のない方はスルーでOKですが、
一応全文引用します。
新国立競技場問題―強行政治の行き詰まりだ
安倍首相の言葉が空々しい。
「国民の声に耳を傾けて」「世界から称賛される大会に」
2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の計画見直しに、首相がやっと重い腰を上げた。
わずか1週間前、国会で「時間的に間に合わない」と否定したのは、首相自身だった。
急な心変わりは、審議を重ねるほど異論が高まった安全保障関連法案を、衆院で強引に採決したタイミングと重なり合う。
せめて競技場の問題では、民意にこたえる指導者像を演じることで内閣支持率の低落傾向に歯止めをかけたい。そんな戦術と勘ぐられても仕方ない。
空前の財政難のなか、競技場に無謀な巨費を投じる愚策だった。丁寧な説明と合意づくり、完成後もにらんだ長期の収支計画など、公共事業に求められる水準にほど遠い代物だった。
「白紙に戻し、ゼロベースで見直す」(首相)との方針転換は至極当たり前の決定である。
政府と東京都、大会組織委員会など各関係組織は、五輪・パラリンピックを成功させる国際責任を果たすとともに、後世の国民スポーツの底上げに資する堅実な計画を練り直すべきなのは言うまでもない。
■あいまいな責任所在
問題の核心はむしろ、なぜ、この土壇場まで決断ができなかったのか、である。誰の目にも明らかな問題案件であり続けたにもかかわらず、なぜ止められずにここまできたのか。
そこには、日本の病んだ統治システムの姿が浮かび上がる。すなわち、責任の所在のあいまいさである。
下村文科相は情報が上がってくるのが遅れたと逃げ、事業主体の日本スポーツ振興センターは、計画変更の判断は文科省に責任があると押しつけあった。
3千億円でも4千億円でも立派なものをと主張してきた大会組織委の森喜朗会長はきのう、「僕は元々、あのスタジアムは嫌だった」「誰も責任はない」と言い放った。
当初予算からほぼ倍増した建設費と、完成後の維持費をどう工面するのか。政府の説明にはいくつも疑問が突きつけられ、あやふやに終始した。
「誰が責任をとるのか」。舛添要一・都知事が漏らした怒りの声はもっともだったが、その知事も含めて今に至るも、誰が最終責任者なのかが見えない。
本紙が報じた国会議員の発言は驚くほかなかった。「責任の行き着く先は、安倍晋三と森喜朗という2人の首相になるから誰も鈴を付ける人がいない」
権力を握った者がにらみをきかせれば、無理が通る――。露呈したのは、首相や有力政治家が絶対君主のようにふるまい、たとえ同じ政党のメンバーでも異論を言えない。そんな日本の政界の有り様である。
■民意軽視が常態化
世論に押された末の今回の決定は、安倍流政治の行き詰まりも物語っている。
競技場問題が迷走した過程で一貫していたのは、異論を遠ざける姿勢だった。政策決定の責任者たちが、国民の声に耳をふさぐことが常態化している問題は深刻だ。
「デザインが景観にそぐわない」「巨大すぎる」「工費が膨れあがりかねない」。国際コンペで採用されたデザインについては当初から、建築界や市民団体から異論が噴出していた。
昨年5月に基本設計案を了承した時も含め、見直す機会は何度もあった。デザインが決まったのは「民主党政権のときだ」と下村文科相は責任転嫁めいた釈明もした。
だが、ことごとく引き返すチャンスを逃してきたのは安倍政権だったことを猛省すべきだ。
■安保と原発にも通底
民意を顧みず、説明責任を避け、根拠薄弱なまま将来にわたる国策の決定を強行する――。
それは競技場問題に限った話ではない。国民が重大な関心を寄せる安保関連法案や、原発関連行政にも通底する特徴だ。
首相や閣僚らが意味不明な国会答弁を重ね、国民の疑問は置き去りにされている安保法案。国民の安全に関する最終責任がどこにあるのか見えないまま、再稼働に突き進もうとしている原発の問題。
そのいずれでも国民の多数がはっきりと強い懸念を示している。国民の命と安全に直結する問題だというのに、首相は国会での数の力で押し通し、異論に敬意を払おうとしない。
政治権力者が民意に耳をふさぐなら、学者や市民の異議申し立てが熱を帯びるのは当然だ。これ以上、政治と国民の距離を広げてはならない。
急に競技場計画を見直す理由として、首相は「主役は国民一人ひとり、アスリートの皆さんです」と語った。ならば安保も原発も、あらゆる政治課題でも、主役は国民一人ひとりであることを悟るべきだ。
今回の競技場問題から、くむべき教訓は広く、重い。
(2015・7・18)
はあ、相変わらず、
心洗われるというか、タメイキが出るというか、
いや、よくぞここまで、というか・・・
「やっと重い腰を上げた」「急な心変わり」
悪意に満ちた形容。
「せめて競技場の問題では、民意にこたえる指導者像を演じることで内閣支持率の低落傾向に歯止めをかけたい。そんな戦術と勘ぐられても仕方ない」
いや、仕方がないも何も、勘ぐっているのは他でもない貴方ですがな。
「権力を握った者がにらみをきかせれば、無理が通る――。露呈したのは、首相や有力政治家が絶対君主のようにふるまい、たとえ同じ政党のメンバーでも異論を言えない。そんな日本の政界の有り様である」
また、何処の誰とも知れない人の言葉を使って虚像を結んでます。
「世論に押された末の今回の決定」
言い方のイヤラシイは置いといて、それはつまり、世論に耳を傾けたってことになるのでは?
「ことごとく引き返すチャンスを逃してきたのは安倍政権だったことを猛省すべきだ」
ギリギリ引き返すことが出来たのだから、まずはそこを評価しましょうよ。
「国民の命と安全に直結する問題だというのに、首相は国会での数の力で押し通し、異論に敬意を払おうとしない」
敬意を払うに値する異論がどこにあったのですか?
「今回の競技場問題から、くむべき教訓は広く、重い」
野党とマスメディアの身勝手さを示すモノとしてなら、仰る通りです!
朝日の社説については、
ざっと読んだだけでもこれだけ突っ込めるのですが、
参考までに、他の新聞からも、
見出しとキモだけ引用しておきます。
新国立競技場 やっと常識が通ったか
〜とはいえ、国民の反対の声に真摯(しんし)に向き合った結果だと、だれが素直に信じられようか。
「違憲立法」の疑いが濃い安全保障関連法案の衆院通過を見計らったかのように持ち上がった計画の見直し論でもある。政府全体とすれば遅すぎた判断ともいえる。
東京新聞:タイトルからして意地が悪い。
(全文→http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2015071802000111.html)
「新国立」白紙に 混乱招いた決断の遅れ
政府が一転見直す方針を固めたことが明らかになったのは、国民の幅広い同意が得られていない安全保障関連法案を衆院本会議で強行採決した日だった。安保法案が支持率低下の要因となる中、国民の支持をつなぎ留めたいとの思惑があったのではないか。
毎日新聞:毎度のことながら、朝日と同工異曲。
(全文→http://mainichi.jp/opinion/news/20150718k0000m070134000c.html)
新競技場の見直しは当然だ
気になるのは、安倍政権への支持のかげりと時期を合わせるようにして新競技場を見直す考えが政府・与党内で浮上したことだ。
日本経済新聞:これは発表前日の見込み記事でした。でも勘ぐってます。
(全文→http://www.nikkei.com/article/DGXKZO89419450X10C15A7EA1000/)
新国立競技場 計画の白紙撤回を評価したい
財政難の中、2520億円もの巨費を投じて建設に突き進むことには、そもそも無理があった。「ゼロベースで計画を見直す」とする首相の決断を評価したい。
読売新聞:コチラはごく素直だと思います。
(全文→http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150717-OYT1T50175.html
「新国立」白紙に 祝福される聖地を目指せ
安倍首相は「五輪の主役は国民一人一人であり、アスリートの皆さんだ」と述べ、その主会場である新国立の建設計画を白紙撤回する理由とした。新たな計画には、五輪招致時に掲げた「アスリートファースト(選手第一)」の理念に立ち返ることが望まれる。
産経新聞:首相会見の言葉をキチンと伝えています。
(全文→http://www.sankei.com/column/news/150718/clm1507180002-n1.html)
さて、ここまで言っておいて、
最後に何なんですが・・・
実のところ、
報道として新聞をアテにしているのは、
70代でやっと2割そこそこだということですし、
(#074 まだまだテレビ?参照)
その新聞記事の中で最も読まれないのが社説だ、
という話もあるくらいですので、
あまりアツくなることではないかも、ですね。
批判を飯のタネにしている社説こそが、
もはや話のネタみたいなモノですし、
新聞自体、
遠からず絶滅する「産業」とも言われてますし。
ともあれ、この件に関しては、
実際、白紙に戻すという決断をしたその行動と、
「何よりも優先されるべきは、国民の皆さん、アスリートの皆さんから祝福されるものとすることです」
というその言葉において、
私は日本国の首相を信じます。
東京オリンピック・パラリンピックの会場となる新国立競技場の現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで新しい計画を作りなおす。そう決断致しました。
オリンピック・パラリンピックは、国民みんなの祭典です。何よりも優先されるべきは、国民の皆さん、アスリートの皆さんから祝福されるものとすることです。
国民の声に耳を傾け、1か月ほど前から現在の計画を見直すことができないか検討してまいりました。本日、オリンピック・パラリンピックまでに工事を完了できるとの確信が得られましたので、決断を致しました。
新国立競技場を世界の人々に夢と感動を与えるような場とするため、できる限りコストを抑制し、現実的にベストな計画を進めていく決意です。新しい計画づくりに直ちに取りかかるよう、関係大臣に指示致しました。
ラグビー・ワールドカップには新競技場は間に合いませんが、大会が成功するよう、国としてしっかりと支援してまいります。
以上、首相会見の一部です。
もし時間が許すなら、
全編、真っ更な気持ちで聞いてみて下さい。
*政府インターネットテレビ→http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg12090.html
どんな感想を持ってもイイんです。
どんな意見でも構わないと思います。
ただ、
何処かの誰かが発した二次情報に惑わされてはいけません。
例えば、
(↓)こんなモノ、朝日新聞社説です。
興味のない方はスルーでOKですが、
一応全文引用します。
新国立競技場問題―強行政治の行き詰まりだ
安倍首相の言葉が空々しい。
「国民の声に耳を傾けて」「世界から称賛される大会に」
2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の計画見直しに、首相がやっと重い腰を上げた。
わずか1週間前、国会で「時間的に間に合わない」と否定したのは、首相自身だった。
急な心変わりは、審議を重ねるほど異論が高まった安全保障関連法案を、衆院で強引に採決したタイミングと重なり合う。
せめて競技場の問題では、民意にこたえる指導者像を演じることで内閣支持率の低落傾向に歯止めをかけたい。そんな戦術と勘ぐられても仕方ない。
空前の財政難のなか、競技場に無謀な巨費を投じる愚策だった。丁寧な説明と合意づくり、完成後もにらんだ長期の収支計画など、公共事業に求められる水準にほど遠い代物だった。
「白紙に戻し、ゼロベースで見直す」(首相)との方針転換は至極当たり前の決定である。
政府と東京都、大会組織委員会など各関係組織は、五輪・パラリンピックを成功させる国際責任を果たすとともに、後世の国民スポーツの底上げに資する堅実な計画を練り直すべきなのは言うまでもない。
■あいまいな責任所在
問題の核心はむしろ、なぜ、この土壇場まで決断ができなかったのか、である。誰の目にも明らかな問題案件であり続けたにもかかわらず、なぜ止められずにここまできたのか。
そこには、日本の病んだ統治システムの姿が浮かび上がる。すなわち、責任の所在のあいまいさである。
下村文科相は情報が上がってくるのが遅れたと逃げ、事業主体の日本スポーツ振興センターは、計画変更の判断は文科省に責任があると押しつけあった。
3千億円でも4千億円でも立派なものをと主張してきた大会組織委の森喜朗会長はきのう、「僕は元々、あのスタジアムは嫌だった」「誰も責任はない」と言い放った。
当初予算からほぼ倍増した建設費と、完成後の維持費をどう工面するのか。政府の説明にはいくつも疑問が突きつけられ、あやふやに終始した。
「誰が責任をとるのか」。舛添要一・都知事が漏らした怒りの声はもっともだったが、その知事も含めて今に至るも、誰が最終責任者なのかが見えない。
本紙が報じた国会議員の発言は驚くほかなかった。「責任の行き着く先は、安倍晋三と森喜朗という2人の首相になるから誰も鈴を付ける人がいない」
権力を握った者がにらみをきかせれば、無理が通る――。露呈したのは、首相や有力政治家が絶対君主のようにふるまい、たとえ同じ政党のメンバーでも異論を言えない。そんな日本の政界の有り様である。
■民意軽視が常態化
世論に押された末の今回の決定は、安倍流政治の行き詰まりも物語っている。
競技場問題が迷走した過程で一貫していたのは、異論を遠ざける姿勢だった。政策決定の責任者たちが、国民の声に耳をふさぐことが常態化している問題は深刻だ。
「デザインが景観にそぐわない」「巨大すぎる」「工費が膨れあがりかねない」。国際コンペで採用されたデザインについては当初から、建築界や市民団体から異論が噴出していた。
昨年5月に基本設計案を了承した時も含め、見直す機会は何度もあった。デザインが決まったのは「民主党政権のときだ」と下村文科相は責任転嫁めいた釈明もした。
だが、ことごとく引き返すチャンスを逃してきたのは安倍政権だったことを猛省すべきだ。
■安保と原発にも通底
民意を顧みず、説明責任を避け、根拠薄弱なまま将来にわたる国策の決定を強行する――。
それは競技場問題に限った話ではない。国民が重大な関心を寄せる安保関連法案や、原発関連行政にも通底する特徴だ。
首相や閣僚らが意味不明な国会答弁を重ね、国民の疑問は置き去りにされている安保法案。国民の安全に関する最終責任がどこにあるのか見えないまま、再稼働に突き進もうとしている原発の問題。
そのいずれでも国民の多数がはっきりと強い懸念を示している。国民の命と安全に直結する問題だというのに、首相は国会での数の力で押し通し、異論に敬意を払おうとしない。
政治権力者が民意に耳をふさぐなら、学者や市民の異議申し立てが熱を帯びるのは当然だ。これ以上、政治と国民の距離を広げてはならない。
急に競技場計画を見直す理由として、首相は「主役は国民一人ひとり、アスリートの皆さんです」と語った。ならば安保も原発も、あらゆる政治課題でも、主役は国民一人ひとりであることを悟るべきだ。
今回の競技場問題から、くむべき教訓は広く、重い。
(2015・7・18)
はあ、相変わらず、
心洗われるというか、タメイキが出るというか、
いや、よくぞここまで、というか・・・
「やっと重い腰を上げた」「急な心変わり」
悪意に満ちた形容。
「せめて競技場の問題では、民意にこたえる指導者像を演じることで内閣支持率の低落傾向に歯止めをかけたい。そんな戦術と勘ぐられても仕方ない」
いや、仕方がないも何も、勘ぐっているのは他でもない貴方ですがな。
「権力を握った者がにらみをきかせれば、無理が通る――。露呈したのは、首相や有力政治家が絶対君主のようにふるまい、たとえ同じ政党のメンバーでも異論を言えない。そんな日本の政界の有り様である」
また、何処の誰とも知れない人の言葉を使って虚像を結んでます。
「世論に押された末の今回の決定」
言い方のイヤラシイは置いといて、それはつまり、世論に耳を傾けたってことになるのでは?
「ことごとく引き返すチャンスを逃してきたのは安倍政権だったことを猛省すべきだ」
ギリギリ引き返すことが出来たのだから、まずはそこを評価しましょうよ。
「国民の命と安全に直結する問題だというのに、首相は国会での数の力で押し通し、異論に敬意を払おうとしない」
敬意を払うに値する異論がどこにあったのですか?
「今回の競技場問題から、くむべき教訓は広く、重い」
野党とマスメディアの身勝手さを示すモノとしてなら、仰る通りです!
朝日の社説については、
ざっと読んだだけでもこれだけ突っ込めるのですが、
参考までに、他の新聞からも、
見出しとキモだけ引用しておきます。
新国立競技場 やっと常識が通ったか
〜とはいえ、国民の反対の声に真摯(しんし)に向き合った結果だと、だれが素直に信じられようか。
「違憲立法」の疑いが濃い安全保障関連法案の衆院通過を見計らったかのように持ち上がった計画の見直し論でもある。政府全体とすれば遅すぎた判断ともいえる。
東京新聞:タイトルからして意地が悪い。
(全文→http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2015071802000111.html)
「新国立」白紙に 混乱招いた決断の遅れ
政府が一転見直す方針を固めたことが明らかになったのは、国民の幅広い同意が得られていない安全保障関連法案を衆院本会議で強行採決した日だった。安保法案が支持率低下の要因となる中、国民の支持をつなぎ留めたいとの思惑があったのではないか。
毎日新聞:毎度のことながら、朝日と同工異曲。
(全文→http://mainichi.jp/opinion/news/20150718k0000m070134000c.html)
新競技場の見直しは当然だ
気になるのは、安倍政権への支持のかげりと時期を合わせるようにして新競技場を見直す考えが政府・与党内で浮上したことだ。
日本経済新聞:これは発表前日の見込み記事でした。でも勘ぐってます。
(全文→http://www.nikkei.com/article/DGXKZO89419450X10C15A7EA1000/)
新国立競技場 計画の白紙撤回を評価したい
財政難の中、2520億円もの巨費を投じて建設に突き進むことには、そもそも無理があった。「ゼロベースで計画を見直す」とする首相の決断を評価したい。
読売新聞:コチラはごく素直だと思います。
(全文→http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150717-OYT1T50175.html
「新国立」白紙に 祝福される聖地を目指せ
安倍首相は「五輪の主役は国民一人一人であり、アスリートの皆さんだ」と述べ、その主会場である新国立の建設計画を白紙撤回する理由とした。新たな計画には、五輪招致時に掲げた「アスリートファースト(選手第一)」の理念に立ち返ることが望まれる。
産経新聞:首相会見の言葉をキチンと伝えています。
(全文→http://www.sankei.com/column/news/150718/clm1507180002-n1.html)
さて、ここまで言っておいて、
最後に何なんですが・・・
実のところ、
報道として新聞をアテにしているのは、
70代でやっと2割そこそこだということですし、
(#074 まだまだテレビ?参照)
その新聞記事の中で最も読まれないのが社説だ、
という話もあるくらいですので、
あまりアツくなることではないかも、ですね。
批判を飯のタネにしている社説こそが、
もはや話のネタみたいなモノですし、
新聞自体、
遠からず絶滅する「産業」とも言われてますし。
ともあれ、この件に関しては、
実際、白紙に戻すという決断をしたその行動と、
「何よりも優先されるべきは、国民の皆さん、アスリートの皆さんから祝福されるものとすることです」
というその言葉において、
私は日本国の首相を信じます。
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