ミニ絵画・京都展が、ギャラリーLittle houseで今日26日から始まります。
http://motoaki.jimdo.com/
個人的な都合と重なっているため長時間の在廊はしませんが、何回かは顔出しをするつもりです。
こんな不肖の私の代わりにうちのペンギンたちは、毎日皆様とのすてきな出会いを心待ちにしています。
どうぞ足をお運びくださいませ
ミニ絵画展・京都には、東京からたくさんの作家が参加されています。関西の作家も存知あげない方がたくさんいます。
逆を言うと私のことを知らない人もたくさんいるだろうと思います。
そこで自己紹介を兼ねて「真珠の耳飾りの少女×ペンギン」を再度描きました。
これで3回目、今回は大変小さい作品です。
真珠の耳飾りの少女を初めてパスティーシュしたのは2004年の初個展の直前、次が2009年の京都・東京巡回展の直前。今回も展覧会の直前、つまり一番最後に描きました。私にとってはとても思い入れのある大切な作品です。ぜひミニ絵画展・京都にてご覧下さい。
折しもちょうど本物が今週末には東京に、秋には神戸に来ますよね
実は私はこの「真珠の耳飾りの少女」には日本で2度会ってます。
2回目は2000年の春、社会現象にもなった例の大阪市立美術館です。長蛇の列に並んで見ました。人の頭越しに遠目に…
(大阪市立美術館に向かう道には、その時にちなんで「フェルメールの小径」という名前がついてます)
初めて会ったのは、もうかれこれ20年以上前です。「青いターバンの少女」と言う題名の方が一般的だった頃に、東京の上野の…たぶん国立西洋美術館で見たと思います…昔過ぎて記憶が…
「真珠の耳飾りの少女」と言い出したのは、2003年に上映された映画からでしょうか?たしか同名の小説を映画化したもの。
私にとっては「青いターバンの少女」という方が今でもしっくりきます。
話がそれましたが、私が初めて日本で見た頃は、フェルメールの名はあまり知られておらず、わたしとて大学の美術史の講義で知りました。ネットのない時代ですから、フェルメールの作品の写真を多く見ることもなく(しかも白黒だったりします)、この絵に至っては、教授の熱弁で知りました。(オランダの美術館で人知れず出会った彼女は実に美しく~的な…)
そういう具合に有名になる前でしたから、その時は人っ子ひとりいない閑散とした美術館で彼女を独り占め。今思うと贅沢な時間でした。かなり長い時間対面しました。
きっと今週末からの東京や秋の神戸ではまた混雑するのでしょうね
でも行きますけどね、私は
今思うと、学生時代から結婚するまでの間に多くの美術館でたくさんの絵を見たことが今の自分のパスティーシュという技法の基礎になったのだと思います。当時は今ほど美術館は商業ベースではなく、名作がじっくりと見れました。もちろん海外にも行って本物をたくさん見ました。
まだ描いていない、いいえ、描きたい名画が私にはたくさんあります。
最後の個展から2年近く経ちました。いろんな展示会に参加させてもらってそれなりに楽しかったのですが、そろそろ個展がしたいです。ほんとに…
頑張んなきゃ!ですね。
http://motoaki.jimdo.com/
個人的な都合と重なっているため長時間の在廊はしませんが、何回かは顔出しをするつもりです。
こんな不肖の私の代わりにうちのペンギンたちは、毎日皆様とのすてきな出会いを心待ちにしています。
どうぞ足をお運びくださいませ
ミニ絵画展・京都には、東京からたくさんの作家が参加されています。関西の作家も存知あげない方がたくさんいます。
逆を言うと私のことを知らない人もたくさんいるだろうと思います。
そこで自己紹介を兼ねて「真珠の耳飾りの少女×ペンギン」を再度描きました。
これで3回目、今回は大変小さい作品です。
真珠の耳飾りの少女を初めてパスティーシュしたのは2004年の初個展の直前、次が2009年の京都・東京巡回展の直前。今回も展覧会の直前、つまり一番最後に描きました。私にとってはとても思い入れのある大切な作品です。ぜひミニ絵画展・京都にてご覧下さい。
折しもちょうど本物が今週末には東京に、秋には神戸に来ますよね
実は私はこの「真珠の耳飾りの少女」には日本で2度会ってます。
2回目は2000年の春、社会現象にもなった例の大阪市立美術館です。長蛇の列に並んで見ました。人の頭越しに遠目に…
(大阪市立美術館に向かう道には、その時にちなんで「フェルメールの小径」という名前がついてます)
初めて会ったのは、もうかれこれ20年以上前です。「青いターバンの少女」と言う題名の方が一般的だった頃に、東京の上野の…たぶん国立西洋美術館で見たと思います…昔過ぎて記憶が…
「真珠の耳飾りの少女」と言い出したのは、2003年に上映された映画からでしょうか?たしか同名の小説を映画化したもの。
私にとっては「青いターバンの少女」という方が今でもしっくりきます。
話がそれましたが、私が初めて日本で見た頃は、フェルメールの名はあまり知られておらず、わたしとて大学の美術史の講義で知りました。ネットのない時代ですから、フェルメールの作品の写真を多く見ることもなく(しかも白黒だったりします)、この絵に至っては、教授の熱弁で知りました。(オランダの美術館で人知れず出会った彼女は実に美しく~的な…)
そういう具合に有名になる前でしたから、その時は人っ子ひとりいない閑散とした美術館で彼女を独り占め。今思うと贅沢な時間でした。かなり長い時間対面しました。
きっと今週末からの東京や秋の神戸ではまた混雑するのでしょうね
でも行きますけどね、私は
今思うと、学生時代から結婚するまでの間に多くの美術館でたくさんの絵を見たことが今の自分のパスティーシュという技法の基礎になったのだと思います。当時は今ほど美術館は商業ベースではなく、名作がじっくりと見れました。もちろん海外にも行って本物をたくさん見ました。
まだ描いていない、いいえ、描きたい名画が私にはたくさんあります。
最後の個展から2年近く経ちました。いろんな展示会に参加させてもらってそれなりに楽しかったのですが、そろそろ個展がしたいです。ほんとに…
頑張んなきゃ!ですね。