風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

フェリー「なみのうえ」の事

2009-01-20 22:12:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
ラッタルを上げる係りの船員さんが、一仕事終わってたまたま近くに立っていた自分に話しかけてくれた。
大型船の燃料消費は膨大で、鹿児島から那覇までで200~300万円かかってしまうらしい。
ドラム缶1本分を約6分で燃焼させてしまう。

積んでいる燃料は2種類あり、A重油とC重油を使い分けるそうだ。
C重油は大海を航行する時、A重油は寄港・接岸など細かいエンジン操作が必要な時に使われる。
つまりA重油の方が油としてのグレードが上と言う事になる。
C重油はかなりドロッとしているらしく、一度温めて溶かしてからエンジンに送り込む。
そのため、排気煙もそれだけ煤が多いらしい。

船具について。
係留ロープは1本50万円。(どのくらいの長さでこの値段なのかは不明)

装置について
この船には、ローリング(横揺れ)を抑えるフィンスタビライザーという物がついてる。1枚1億円(!)だそうだ。

あと、喫水線下がなぜ赤いのか。
これはサビ止め剤の色らしい。
また、かつて有毒と言われていた理由も分かった。
海草や牡蠣、貝などが付着するのを防ぐ為に、水銀の入った塗料が使われていたからなのだった。
船底にそういうものが付着すると、それだけ抵抗になるから、速度が出ないし、燃費も落ちる。

現在の塗料には環境汚染に対処して水銀は入っていないらしい。
因みにこの塗料は1斗缶で5万円で、船底の塗り替えで1000万円かかるらしい。
船舶品と言うのは何から何までコストがかかるものらしい。

「なみのうえ」のエンジンはディーゼルで、9000馬力(520回転/分)2基搭載。
つまり18000馬力。
最高速力24ノットで、巡航速度は20ノット。
接岸の際、港の人が係留ロープを引っ掛けるのが1回5000円~1万円。
コンテナは1箱10万円ではきかない上、潮で腐食しやすいからさほどもたないらしい。

まあ、何から何まで高価である。

最後の夜、そして船上にて

2009-01-14 22:06:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年5月21日

沖縄における最後の夜。

今日は天気が良かったし、その割りに涼しくて過ごしやすかった。
友人宛に小包を送る。

波照間のキビ刈りで稼いだお金が頼りの残りの旅。

帰路に着くまでお金が足りるか不安である。
無駄使いは一切できない。

でも、就職して落ち着きたいとは思わない。
もっといろんな事を知りたい、見たい。
自分はあまりに何も知らな過ぎる。

旅での心配事。
磨り減ったタイヤの事、金欠、カメラのフィルム。


5月21日
5:40分にアラームが鳴ったが、そのまま澄ましていた。
7:00に目覚めた。
涼しくて、実に気持ちの良い朝だった。
昨日買ったロールケーキで軽く朝食を取り、早速テントの撤収にかかった。
相変わらず荷物の多さにはため息が出る。

一人旅が再び始まったが、前と違い人に声をかけることが出来るようになったので、昨年とは比べ物にならぬほど楽しい旅になりそうだ。

フェリー「なみのうえ」は、2年前(1997年当時)に就航した新しい船だ。


船の上でポツンと外を眺めていた女性に声をかけてみたら、けっこう喜んでくれて、おまけに同年の子だった。
旅先で生年月日が近い人に会うのは、米原キャンプ場で会ったOKB君以来だ。

彼女は沖縄で看護士をしていて、有給を取って与論島へ1泊旅行との事。
友人2人での旅行。
2人とも色白で、美人だなと思った。

沖縄の言葉を教えてくれた。
かりゆし
めんそーれ→ いらっしゃい ようこそ

サバニ→ 漁船(木造の小さい船)

ウサガミソーレー→ めしあがれ どうぞ

フラー
ノーパー
ゲレンゲレンパー→ すべて「バカ」の意味

マーサン→ 美味しい

パタイ→ 死ぬ

クヮッチーサビラ→ いただきます

クヮッチーサビタン→ ごちそうさま

ミ→ 目

ティー→ 手

ヒサ→ 足

クンダ→ ふくらはぎ

ガマク→ 腰

頭→ チブル

チブルヤミーン→ 頭が痛い

アガ!→ 痛い!

波照間の方言とは全く違うので、興味深かった。 

瀬底島

2009-01-13 22:01:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
女の子チャリダー2人と、与那国の船で出会った女性カメラマンを那覇港で見送った後、特に急ぐ事も無かったので、のんびりと瀬底島に向かう事にした。

途中、石切り場があって、ダンプカーがガンガン走っているので、ホコリがブワーッと巻き上がってたまったものではなかった。

何時間か走ったあと、瀬底島ビーチに到着した。
数時間も連続してバイクに乗ったは久しぶりだったので、尻がしびれた。

ビーチの近くに、テントを張るのに良い広場があり、実際数張りのテントがあった。
立派なシャワーとトイレの小屋もある。


1997年5月19日
午前かなり激しい雨。
頭痛が激しい。
しかし、テントを打つ雨音はなぜか快かった。
テントで寝転びながら、パンなどを食べる。
午後には雨は上がり、頭痛も薬で何とか治まった。
数人の友人宛てに手紙。
タバコを吸う友人に、沖縄タバコのHI-TONEとVioletを2箱ずつ購入。

沖縄本島上陸

2009-01-05 10:12:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年5月15日

女の子チャリダー2人は、近くの公園でテントを張ってゲリラキャンプするという。
自分もそれに加わる事になった。

5ヶ月振りに本当上陸。
国道58号線を走り、目当ての公園に向かう。
しばらくして公園に到着。
2人はすでに到着していて、テントも張ってあった。

天気は良く、自分はテントを張るのが面倒になり、ベンチで野宿。
蚊取り線香を焚いて、マットとシュラフを出し、寝支度を整えた。

宮古で見かけた、ママチャリダーのお兄さんもひょろりとやってきた。
「こんばんはー」
と、互いに言った。YMさんという。
北海道生まれで、冬は西表製糖で働いていたと言う。

荷物がとてもシンプルで、余計な物がない。
旅装備ぼ王道をいっているなと思った。

女の子チャリダーの一人はすでにテントに入って休んでいたので、3人で夜空の下でしばらく話した。

あっという間に時計は深夜1:00を過ぎていた。
フェリーの出航が早いと言う事で、お開きに。

自分は横着が祟って、蚊取り線香を焚いたくらいでは、蚊が耳元で「プーン」と寄ってきて、うるさくてほとんど眠れなかった。


5月16日
ほとんど眠れぬまま、ムックリとシュラフから出る。
日が出たところで、皆で記念撮影。


那覇港で女の子チャリダー2人の見送り。
大島海運のフェリー「あけぼの」だ。

ここで、バッタリ。
与那国島で出会ったカメラマンの女の子と再会。
片方のサンダルの鼻緒が切れて歩きにくそうだ。
「あら・・・また会いましたね。よく会いますね。」
彼女が
「そうそう、クバもちがあるんだけど食べます?もちとは違った味で美味しいから。」
そこで、それをもらった。
彼女もこの船に乗船するらしい。

程なくして船が出港した。
向こうもこちらも手を振った。


また見送りだなあ・・・
たまには見送られてみたいなあ・・・

自分はこの後、瀬底島に行くことにした。
ママチャリダーのYMさんもここに行くかもしれないという。
また会いましょうと言って一旦別れる。


フェリー飛龍で

2008-12-16 23:56:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年5月15日
有村海運のフェリー「飛龍」。
とにかくきれいな船だ。




飛龍は全室寝台仕様で、その割りに値段は安い。
2等寝台にも各部屋にシャワーとトイレが付いている。
これはすごい。

琉球海運の「えめらるどおきなわ」は、重油臭いし汚いし2等料金で雑魚寝は仕方無いにしても、シャワー室が付いているのに使う事ができなかった。

これで1000円程の差しかないのだから、絶対飛龍の方が良い。
乗って良かった。

8:15出航。
予定より45分遅れだった。

ようやく自分も動き出したなというのが正直な所。

きれいな船内で、ルンルン気分になりながら、あちこち見て回った。
広いロビー。
船である事を忘れさせる。


米原キャンプ場で一晩話した、2人の女の子チャリダーの一人と船内で会ったので、近くのソファに座って、旅話などをした。

「飛龍」は、名古屋→大阪→石垣島が主な航路だが、台湾にも行く。
2人は台湾に7日間行っていた。
台湾はとても暑かったようだ。
テント泊はせず、全て宿に入って過ごしたそうだ。
一泊1500~2000円くらいらしい。
彼女は小さいスケッチブックに絵を描いていた。
色鉛筆で着色してあって、描いた場所について感じた事などが書いてあった。
楽しかった様子がにじみ出ていた。

12:00頃、宮古島の平良港に入港。
一時下船可能と言う事で、せっかくだからと船を降りて、ちょこっと港の近辺をブラブラして船に戻る。

欄干から船の搬入口を見たら、ママチャリの旅人らしき人が。

おお、気合入っとるなァ。

船は少し遅れて出航。

19:00頃、船内アナウンスで食堂が開くというので、これもせっかくだからとヤシガニ博士と食べに行った。
メニューも船の食堂としては割とあって、金がもっとあったら、定食でも食べたいなと思った。
その中から、700円のカレーを食べる。
サラダにゼリー、福神漬けにカレーと言う内容。
なかなか美味しかったと思う。

行きに乗った琉球海運の食堂のメシは食べなかったが、あまり美味しそうでなかったし、高いので食べる気も起きなかった。

夕食を終え、部屋に戻り、那覇入港までの時間も近づいてきたから、手荷物を片付けた。
しばらくしてロビーに行き、そこの窓から外を見たら那覇の街の光が見えた。

21:00を回り、入港するので準備してください、と言う内容のアナウンスがある。
荷物をまとめ、ロビーで待つ。

女の子の2人組チャリダーもロビーに来た。
今夜はどこで泊まるのか?と聞いたら、適当な公園でテントを張ると言う。

「良かったら一緒にどうですか?」
と言ってくれたので、そうすることにした。
地図を見て、場所を決め、後で現地で会う事に。

那覇港に入り、本島の土を踏む。
5ヶ月振りの大移動だ。