風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

フェリー飛龍で

2008-12-16 23:56:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年5月15日
有村海運のフェリー「飛龍」。
とにかくきれいな船だ。




飛龍は全室寝台仕様で、その割りに値段は安い。
2等寝台にも各部屋にシャワーとトイレが付いている。
これはすごい。

琉球海運の「えめらるどおきなわ」は、重油臭いし汚いし2等料金で雑魚寝は仕方無いにしても、シャワー室が付いているのに使う事ができなかった。

これで1000円程の差しかないのだから、絶対飛龍の方が良い。
乗って良かった。

8:15出航。
予定より45分遅れだった。

ようやく自分も動き出したなというのが正直な所。

きれいな船内で、ルンルン気分になりながら、あちこち見て回った。
広いロビー。
船である事を忘れさせる。


米原キャンプ場で一晩話した、2人の女の子チャリダーの一人と船内で会ったので、近くのソファに座って、旅話などをした。

「飛龍」は、名古屋→大阪→石垣島が主な航路だが、台湾にも行く。
2人は台湾に7日間行っていた。
台湾はとても暑かったようだ。
テント泊はせず、全て宿に入って過ごしたそうだ。
一泊1500~2000円くらいらしい。
彼女は小さいスケッチブックに絵を描いていた。
色鉛筆で着色してあって、描いた場所について感じた事などが書いてあった。
楽しかった様子がにじみ出ていた。

12:00頃、宮古島の平良港に入港。
一時下船可能と言う事で、せっかくだからと船を降りて、ちょこっと港の近辺をブラブラして船に戻る。

欄干から船の搬入口を見たら、ママチャリの旅人らしき人が。

おお、気合入っとるなァ。

船は少し遅れて出航。

19:00頃、船内アナウンスで食堂が開くというので、これもせっかくだからとヤシガニ博士と食べに行った。
メニューも船の食堂としては割とあって、金がもっとあったら、定食でも食べたいなと思った。
その中から、700円のカレーを食べる。
サラダにゼリー、福神漬けにカレーと言う内容。
なかなか美味しかったと思う。

行きに乗った琉球海運の食堂のメシは食べなかったが、あまり美味しそうでなかったし、高いので食べる気も起きなかった。

夕食を終え、部屋に戻り、那覇入港までの時間も近づいてきたから、手荷物を片付けた。
しばらくしてロビーに行き、そこの窓から外を見たら那覇の街の光が見えた。

21:00を回り、入港するので準備してください、と言う内容のアナウンスがある。
荷物をまとめ、ロビーで待つ。

女の子の2人組チャリダーもロビーに来た。
今夜はどこで泊まるのか?と聞いたら、適当な公園でテントを張ると言う。

「良かったら一緒にどうですか?」
と言ってくれたので、そうすることにした。
地図を見て、場所を決め、後で現地で会う事に。

那覇港に入り、本島の土を踏む。
5ヶ月振りの大移動だ。

出発

2008-12-14 10:56:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年5月15日

5ヶ月振りである。
長かった八重山での生活。
AUさんと逢わせてくれた波照間島。
僕に生きる事の楽しさを教えてくれたジュンさんや西表の加藤さんなどの個性あふれる人達。

色んな思い出を作ってくれた八重山の島々に感謝。

朝の5:30頃目覚めた。
米原キャンプ場ともお別れだ。

僕は人や土地から別れる時には、なるべく
「さようなら」
は使いたくないと思っている。
「それじゃ、またね。」
の方が、好きだから。

しかし、今日は「さようなら」という言葉が頭に響いていた。

さようなら、って言うのは、僕の中では、もうここには二度と来ない、その人とは二度と会わない、という決別的な意味を持っている。

本当はそんなに重い意味の言葉ではないのかもしれないが・・・

自分はいつの間にか、この言葉にそういう意味を与えていた。

ではなぜ、今、自分の頭の中で「さようなら」と響いているのか?
滞在期間が長かったから?
過去の消極的過ぎた自分に対して?


さて、パッキングは昨夜すでに終えていたから、6:15頃出発する事にした。
辺りはまだ薄暗い。
皆がまだ眠っているキャンプ場の中で、エンジンをかける。
7号棟に行き、テントの外からZ君にあいさつした。
テントの中から眠そうな声で
「K君本当に行っちゃうんだ。気をつけてね。」
と言ってくれた。

米原を出た。

於茂登トンネルをくぐり、通い慣れた道を走る。
辺りの風景を見まわした。
特に何も考えてはいなかった。

6:50分頃には港に着いた。

良い船だと評判が高く、あこがれていた有村海運の「飛龍」に乗れるのだ。
とてもきれいな船だ。

ターミナルにはキャンプ場で知り合った、豊橋のセロー乗りの「ヤシガニ博士」がいた。
キャンプ場にいる時に彼が獲ったヤシガニ。


彼とのんびり雑談しながら待っていた。
そろそろかな、と言う事で船の搬入口までバイクを走らせた。

そうしたら、米原で一晩話した2人の女の子チャリダーがいた。
彼女達とは、自分が与那国に行く前日の夜にOKB君とちょこっと話しただけだったが、向こうは自分の事を覚えていてくれて、手を上げてあいさつしてくれた。

竹富島、そして八重山脱出の決意

2008-12-13 21:18:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年5月14日

竹富島に行った。
往復券を買った。1100円。
船は30分毎に出る。出航すると10~15分程で着いてしまう。

港に着くと、やたら観光の車が客を待っていて、これを見たら意地でも歩いてやろうと思い、一人ズンズンと歩き出した。

今日も天気は良く、10分も歩くとたちまち汗が吹き出てきた。
サンエーで買った1.5リットルのコーラがみるみる減っていく。

竹富島集落
コンクリートで出来た展望台からの眺め。
白い道、サンゴの岩を積み上げた塀、赤い瓦屋根に漆喰。
いわゆる「沖縄らしい景色」というやつです。


星の砂があるというカイジ浜に行ったが、砂は見つからず。
地図に「ンブフル」という変わった地名がある。
なんでも、水牛の鳴き声が「ンブフル」と言っていたのが、そのまま地名になったのだとか。
日陰で休む水牛


ハイビスカス


浜から東桟橋まで砂浜伝いに猛烈に汗をかきながら歩いた。
「ビー玉」と呼ばれるガラスの浮きや貝などなどを拾いながら歩いた。
とにかく暑かった。

コーラはすでに飲み尽くし、ビジターセンターで空きビンに補充した水はコーラ臭かった。

どの島にも言えるが、浜に打ち上げられる漂流物がとにかく多い。
「ビー玉」はガラス製のもあるが、もっとも多いのはプラスチック製のやつだ。
そしてペットボトルがものすごく多い。
台湾や韓国から流れてきたのだろう。
漢字だらけの物や、ハングル文字の物もあった。

14:15発の船に乗り、竹富の1日観光を終える。
明日のフェリーの切符を買い、八重山を「脱出」する準備を整えた。

まだ、行った事のなかった、伊野田キャンプ場と、バンナ公園も見た。

米原キャンプ場に戻り、片付けを始めた。
サボさんもここを出て、西表の加藤さんの所に行くらしかった。

普通は、暗くなったらテントを張るのに、今回は逆だ。
なんだか妙な気分だった。

Z君のいる7号棟へクマさんと行った。
「K君本当に行っちゃうの?」
と何度も聞かれた。

その夜、Z君とクマさんと自分の3人で将来の夢を語り合った。

クマさんは、みんなの心に残る絵を描きたいと言う事と、童話を創りたいという事だった。

Z君は、10年、20年後に再びこの3人でどこかで会いたいと言う事。
そして、オリンピックに自転車で出場したいと言う事。
それから幸せな家庭を作りたいという事。

僕は、100年後、さらにその後に、ああ、こんなオルガンを作った人がいたんだ、と言うオルガン作りになりたいと言う事。
自分の好きな飛行機を自由に操って、世界の空を飛んでみたいと言う事。

何だか、現時離れした夢だが・・・

チビチビと、水で薄めた泡盛を飲んで、夜は更けていった。
テントは畳んでしまったから、唐人墓(とうじんばか)の東屋か、ターミナルにでも行こうかと思ったが、西表へ出発したサボさんの残したブルーシートのフライの下で野宿することにした。

クマさんと自分の2人で、キャンプ場の売店のテーブルに腰掛けて、恋話などした。
自分が波照間でAUさんを好きになった時のように、日増しに好きになっていく様子、好きな女性が目の前にいると、ドキドキしたりする気持ちは同じようで、とても親近感が湧いた。
深夜まで話して、その後眠る。


燃料フィルター交換

2008-12-13 14:11:51 | 日々雑記
ジムニーを知り合いから譲ってもらって早8年。
JA71後期型は初年度登録が昭和63年だから、20年前の車です。

整備基準では、燃料フィルターの交換は4万kmごととなっているのですが、整備記録簿には、一度も交換の記録がない。
てーことは、18万kmに至る今まで無交換だったわけです。


走行に重大な影響はないですが、でも少々はあるかもしれない。
気分的によろしくないので、部品を注文して自分で交換。
ボルト締めなので、作業自体は簡単でした。

んで、取り外したフィルター。


どんな状態なのか、中味を見たくなった。
中に入っているガソリンが揮発して安全になるまで、しばらく屋外で放置。

カシメてあるので、鉄のこでカット。
んで、中味とご対面~。


うひゃ~汚いですね~。
本来、波々になっている所は白色なんですが。
さすが20年、18万km分のガソリンを通していただけに茶色くなってます。

驚くほど高価な部品ではないので、今度からはちゃんと交換してあげましょう。

与那国を出る

2008-12-12 22:28:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年5月12日

もうちょっと与那国に居たかったが、仕方無い。
祖納に福山海運の事務所はあるが、出港日は港でも切符を買う事ができる。
原付+人で5200円。

朝10:00出航。
晴れた空の下の海は、いっそう青が鮮やかに見えた。
そこへ飛び魚が、海面をヒラリと飛んでいた。
いつ見ても面白い。

「ゲロ船」は、揺れもほとんど気にならず、行きと同じMXの旅人さんとバイクの話をして過ごし、15:10頃、ほぼ定刻通りに石垣島に着いた。
そして、自分は米原キャンプ場に帰った。

サボさんは、島に住む知り合いの為に、木で家型のポストを製作していたが、それも完成していた。

自分は2号棟にテントを張った。

クマさんは、まるで何かに取り憑かれたように、激しいタッチでクレヨン画を描いていた。
シマ(泡盛のこと)を飲み、音楽をガンガン聴いて、自分のテンションを高めて描く姿は圧巻だ。