風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

兵庫県に入る。そして植村直己冒険館へ

2010-08-31 23:27:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月7日

8:25
柳茶屋キャンプ場出発。 晴れ。

9:55~10:35
七釜温泉公衆浴場にて風呂。180円。
湯船の湯は熱すぎて入れなかった。
湯の熱さは、北海道函館のだるま湯といい勝負。
湯量は豊富。

12:30頃
但馬空港
積極的に航空イベントを開催しているので、どんな所なのかちょっと興味があった。
天井から巨大な複葉水上機の模型が吊り下げられていた。
かなり精巧に出来ている。
フットペダル付きの本格的なフライトシミュレーターゲームもあったが故障中だった。
残念。
13:00出発。

13:30
植村直己冒険館

主にエベレスト登山や、北極圏犬ぞり旅行の時の品が多い。
とは言っても膨大な量だった。
F2のチタンモデル「ウエムラスペシャル」もあった。
ラジウスストーブもあった。
書庫には冒険物の本も豊富で閲覧は自由。


植村直己冒険館は、鳥取砂丘と同じく、兼ねてから訪れたいと思っていた展示施設だ。
冒険館は細長い形をしていて、ガラスとコンクリート打ち放しのモダンできれいな建物だ。
帯広の氷雪の家を見たときは、そのショボさにどうしようと考え込んでしまうほどだったが、こちらの整った設備を見て、ホッとした。

入場料は510円。
きれいな受付のお姉さんが2人。
入り口のすぐ右側で13分程の記録映画をやっている。
犬ぞりに乗りながら、激しくブレる8ミリの映像や、白と青の北極の風景の美しさに息をのむ。
ただ走っているのではない。
体を張って地球と対話している感じがした。
僕の原付旅など、植村さんの壮大な旅に比べたら、足元にも及ばない。

植村さんはやっぱりすごい人だった。来て良かった。

展示スペースは、壁一面に装備品が掛けられ、大きく引き伸ばされた写真と解説で展示されている。
幾つかの箱には穴があり、それを覗くと植村さんの8ミリによる記録映像が流れていた。
ソリからテントを取り出し、立てるシーンと、テントの中で肉を食べているシーン。
キビヤックを美味しそうに食べている写真が印象的だった。

本によく登場するプリムスの大型ラジウスストーブも、想像したよりは小さかった。
ぜひ欲しいと思った。
それを見て思ったのは石垣島の米原や波照間でキャンプを共にしたOKB君のマナスルはちょっと汚かったなぁと言うことだった。(笑)

自分の位置を星や太陽を使って測る六分儀ってどんなもんなんだろう。
植村さんはこれをマスターするのに随分苦労されたらしいけども、そんなに天測って難しいのかな?

ヒマラヤの蒼の空と神々の山に行きたい。
登るのはちょっと無理だけど、目の前で見たくなった。
手が興奮で汗ばんだ。

図書館は冒険やアウトドア関係の本が充実していて、見ごたえがある。
いくつか購入したいなと思った本があったので、題名と著者、出版社をピックアップした。
なんだかんだで2時間も滞在してしまった。
でもこれで良いと思った。
満足したから。


雨の日のテント

2010-08-29 22:53:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月5日

早朝4:00頃、雷雨。

ラジオを付けたら、ラジオ深夜便の人生読本と言うのをやっていた。

ただ生きるのではない。
毎日の小さな事にも、あたりまえと思っている事にも発見があると言う。

世の中に雑用と言う物は無いのだとか。
雑だと思って煩わしくするから雑用になるのであって、それさえも喜びと感謝をもってすれば、それは素晴らしいことなのだ、と。

世の中の物で見えないものがある。
それは愛というものだ。

これは、人をどんなに解剖しても出てはこない。
しかし、それは確実に存在するし、それを与え続ける事でそれはますます大きく広がり、例え個人の肉体は滅びても、それはずっと残るものである、と言っていた。

雷でラジオに時折雑音が入り、激しい雨がラジオの声を掻き消そうとしたが、耳元にラジオを寄せて聞き入っていた。

AYさんの考えている事とよく似ていた。
そして、自分も考えるけども、時々目先の事にとらわれて忘れてしまう。

ラジオを聴いて、ハッと目が覚める思いだった。
与え続ける事。
そうだ、そうだった。

今日は午後晴れてきたが、このまま滞在した。
食糧はあるので心配ない。


大山と鳥取砂丘を見る

2010-08-28 17:59:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月4日
今日は曇りと雨のため、走るのは休み。
テントに入りっぱなしで、カメラのカタログを見たり、本を読んだり、絵を描いたり、また、木彫りをしたり。
狭いテントの中で、これだけ充実した時間を過ごせるようになったのも、長旅のせいか。

午後には晴れてきた。
ここ(新屋の砂浜のこと)は、米子空港が近くにあり、自衛隊のC-1が離着陸を繰り返している。


6月5日
朝7:00頃目が覚める。
モヤっているが、天気は良い。
フライシートに結露。
朝飯を食べようと、コッヘルを開けたら、蟻がわんさか。
蟻を取り除き、食べた。

8:35出発。
植田正治写真美術館前に来る。
入場料は800円。中には入らず。

高松伸設計のコンクリート打放しの建築もカッコ良いし、中にも面白そうな仕掛けがあって、今度来たら絶対入ろう。
(2010年8月現在まで、その目的は未だ果たせず)

この美術館はとてものどかな所にあって、気持ち良かった。
美術館の向かいの彼方には、中国地方の最高峰大山が堂々とそびえる。


11:00
大神山神社前。


大山は火山だったらしい。
地元の中学生らしき団体が、遠足だろうか、たくさんいた。
ジャージ姿が懐かしい。
大山という文字がとてもシンプルに感じ、自分の住む神奈川にも同じ名前の山があったので、妙に惹かれるものがあった。
神奈川の大山とは違い、かつて火山だったと言う事もあって、頂上付近は荒々しくそして威厳があった。
注※この当時、自分は大山を「ダイセン」と呼ぶとは知らず、「オオヤマ」だと勘違いしていた。恥ずかしい限りだが、日記そのままを載せておくことにした。

14:12
鳥取砂丘。
日本で最大級の砂丘。
中学生の時に、学習辞典や地理の本などで見て、いつかこの目で見たいと思っていたものが、今、ここにあるのだ。

自分のイメージは、もっとダダッ広いものと思っていたが、本で見た写真がそういう風に撮られていたからであろう。

砂漠、と言うよりは、シットリと潤った広い広い砂浜と言った方が合っていると思った。
海のある砂漠ってのは変だ。
しかし、観光屋はラクダを使って、2000円で乗せるサービスなどしていて、あくまで「砂漠」として売り込んでいるのかあ?と思った。

前に見える、巨大な砂の丘に行くことにした。
こうしてここに来れたのが嬉しくてしょうがない。

でも、今の僕は一人っていうのが寂しく感じてしまう。


写真を何枚か撮った。
丘は結構な勾配で、30メートル位はあったろうか。
少し息が上がる。
海からの風で、砂の波模様が出来ていて綺麗だったが、陽がまだ高いので、見え具合はあまり良くなかった。
斜陽になったらきっとメリハリがついて写真映えしそうだ。

風が吹くと、丘の稜線が砂でぼやけたように見える。
しゃがむのはカメラが砂まみれになりそうで無理だと思った。

風は海から吹いていたので、空気はべチャッとしていた。


「砂丘や・・・来たんや。」


これで、山陰で自分が見たいと思ったものは全て見れた事になる。
満足感もあるが、またいつか時間をかけて、今度は彼女と一緒に来たいな。

空いていたフィルムケース1個に砂を詰めた。

時間的にこれから移動するのは中途半端だ。
近くに無料のキャンプ場があるからそこに泊まろう。

鳥取砂丘に来た事で、僕の旅はほとんど完成したと言っていい。
旅は終わりに向かっている。

でも、家に帰ると言うと、気が進まない。

さて、街に買出しに行ったら、金ちゃんラーメンと好きやねんを久しぶりに見た。
思わず顔がニヤッとなった。
とりあえず金ちゃんラーメンの方を買うことにした。

16:30
柳茶屋キャンプ場着。
今夜は豚ばら肉丼だ。
粉末のガーリックコンソメを米に混ぜて、ばら肉と一緒に炊いたら美味かった。

鳥取を走る

2010-08-27 20:02:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月3日

晴れたので、出ることにした。
早めにパッキングを済まし、出発。7:45頃だ。

丁度学校の登校時間でもあったから、女子学生の自転車登校風景があちこちで見られ、穏やかな日本のひとときを感じる。

走っている時の朝の10:00までは実に気持ち良い。
しかし、時間が経つにつれ、だんだんとイライラしてきて、尻も痛くなって、疲れてやっと次のキャンプ地に着くと言うのがいつもパターン。


松江と境港の間に、八束町という島のような町がある。
ここにはまるで撃沈されたような、と言うか座礁したと言うか、そんな感じに朽ちた漁船が何艘もあった。
近くを歩いている人に聞いたら、小船を波から守る為に、廃船になった船体を沈めて防波堤にしている、との事だった。






それにしても不思議な光景だ・・・

ここを過ぎるといよいよ鳥取県だ。
写真家植田正治ゆかりの地。
案内板を見ると、水木しげるロードと言うのもあった。
今日はそこには行っていない。

新屋という砂浜にテントを張った。
今日はたくさん走った。
星の砂の選別でもしようかと思ったが、メシを食べたらどっと疲れが出てきたので、休むことにする。
翌日はどうも雨らしい。
しかし、天気予報はあまりあてにならん。

南から徐々に上がってきて、ここまで走ってきたが、さすがに気候の違いを感じて、とても涼しい。

山陰を走る 2

2010-08-26 18:48:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月1~3日

前回書いた日記とは多少前後しているが、日記を書いたページそのままに進めて行こうと思う。

6月1日
毘沙ノ鼻は本州最西端の地らしいが、行って見たらゴミ捨て場で、冗談じゃねえやとサッサと引き上げ、前に進んだ。

山陰は生まれて初めてだ。
ワクワクする。

梅雨も間近にせまっているので、とにかく前に進みたい。

神奈川生まれの自分にとっては、山陰はマイナーな存在に思われた。
実際走ってみると、実はのどかな風景の続く走りやすい所なのだと分かった。


信号はほとんどが点滅で、数も少ない。
傍らに建っている学校の校舎は木造だったりする。
そして瓦屋根が目を引く。

たいていの家には、シャチホコのような飾りの瓦がある。
左を見ればそこは日本海。
なかなかきれいな砂浜もある。

今日は島根の中須キャンプ場に入った。
どうやらここも無料らしい。

この前に田万川温泉に入ったのだが、ここの隣のキャンプ場も無料で、整備も良くて、どうしようかと思っていたのだが、ファミリーキャンプでうるさかったので、ここに来た次第。

田万川温泉は、最近建物が出来たらしく、とてもきれいだった。
入湯料は400円だが、タオル代込み、石鹸、シャンプーもある。

この日の夕食は豚バラ肉丼と、九州限定のとんこつラーメン。



6月2日
雨が早朝に降った。
今日は移動は休みにした。
しかし、昼頃から晴れ間がのぞき、どうしようかと思ったが、面倒くさくもあったから、そのまま動かず。
沖縄の西表島で集めた星野砂の選別と、彫刻に没頭した。

※彫刻についての記載が残っていたのだが、どんな物を作ったのかは失念。