風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

ともだち

2008-03-31 23:42:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
ある日の夜、夕食を終えてから、Uさんを呼んで、二人で西の浜に行った。

そして、Uさんに自分の思いを打ち明けた。
好きになったこと。心の苦しみのこと。つきあいたいこと。ずっと考えていたことを、自分自身に語るようにUさんに話した。


ダメだった・・・


Uさんにとって、僕は、キビ刈りで知り合ったよき仲間であり、そして、道は違っても、挫折と喜びと悩みを経験した者同士と言う事だった。

とにかく自分の気持ちは全て打ち明けた。
ダメだったにしても、良い友達としての付き会いが始まった事になった。
Uさんも喜んで受け入れてくれた。そして握手をした。

「Kくんは十分に良いものを持っているよ。あまり自分を責めないで、『ダメだ、ダメだ』と言わないほうがいいよ。そう言う事が心にどんどん溜まってきて、本当にダメになってしまうから・・・」
と言うのが、僕の一番心に残る言葉だった。

そうか、そうだったのか。
古い劣等感を捨てて、もう少しのびのび生きてもいいのかな?と感じている。

寮に帰り、T君に言った。
彼は残念そうに僕を見ていた。

スッキリしたが、でもフラれるというのはやっぱりつらい。

いまはポッカリと穴が開いたような感じがして、苦しさが残る。
ま、いずれこの傷も癒えるだろう。



翌日、昨夜の事が強烈にブリっかえしてきて、飯ものどを通らなかった。
フラれたと言う事がものすごくつらくて、悲しくて涙が自然に出てきてしまった。
どうしようもないので、テーブルから外れて、自分の寝床に行って落ち着くまで泣き崩れた。

この日は働いた。目一杯働いた。
そうすれば吹っ切れるかもしれないと思ったから。

キビを倒し、葉っぱを取り、キビを積み上げるこのキツイ作業を夢中でやっているうちに、気が楽になってきた。
T君が心配そうに、しかし、どこか面白そうに
「だいじょうぶッスか~?」
と聞いてきた。
「今はダメ。落ち着くまでもう少し時間がかかりそうだよ。」
と言っておく。

苦しい。苦しいんだけど、言って結果が出たから楽になった。
残念だったけど、でもいいじゃないか。
自分にとって大きく前進できたじゃないか。

Uさんのこと

2008-03-30 23:11:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
単調でひたすらキツいキビ刈りの日々を過ごしていると、思考回路がシンプルになってくる。

今までは、何かとゴチャゴチャ考えて、いつもモヤモヤした感じで生活していた。
それが、激しい肉体労働をすることで、体が疲れているので、余計な事を考えなくなる。
食って、寝て、働いて、また食って、寝て。

頭で考えるのではなく、体で感じるというか、少し野性的な感覚に近いかもしれない。
うまい、まずい、きれい、汚い、嬉しい、悲しいと言ったように、喜怒哀楽がはっきりする。


さて、キビ刈り隊の中でただ一人の女性のUさんは、人柄が良く、笑顔がとても素敵な人だった。
かなりの行動派で、ボランティア活動で、アジアやアフリカに行った事があるそうだ。
自分と歳が同じだったので、親近感もあった。
休憩時間や仕事の後に話をしたりするうちに、彼女には彼女の悩み、絶望、喜び、があり、目標に向かって突き進んでいこうとする姿に惹かれていった。

キツイ作業の合間に見せてくれる、Uさんの笑顔は本当に良かった。
キビ刈り隊のマドンナ、クバ傘が似合うモンペ姫・・


そのうちに、Uさんの事で頭がいっぱいになってきた。
どうやら恋をしてしまったらしい。
実の所、恋をするのは本当に久しぶりだった。
胸から込み上げてくる、息が苦しくなるようなこの気持ち・・・
こんな事になるとは、全く夢にも思わなかった。

感情がシンプルになっているので、Uさんの事を思うと、ドキドキして眠る事すら出来ないほどだった。
Uさんは、2月に波照間を離れてしまう。
もう二度と会えないかもしれない。
波照間を出る前に、結果がどうなろうとも、思いは伝えておきたい。
言わないで後悔するより、言ったほうが良いに決まっている。

ある日、仕事が終わって寮に帰ってナタを研いでいた時に、T君にこの事を打ち明けた。
17歳と若くて弟みたいで話しやすかったから。
彼も喜んで聞いてくれた。

彼も彼の彼女の事で悩んでいた。
この事を話した事で、T君とも一歩親しみが増したと思う。

ハーベスター登場

2008-03-29 22:46:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
畑によっては、キビ倒しに「ハーベスター」という農業機械を使う事があった。
ゴム履帯のついた、戦車みたいな機械だ。
人によっては「バリカン」とも呼んでいた。

これは、東京から波照間に移住してきた、STさんがカブでやって来て、機械を動かしていた。
製糖工場から機械を借りたと言う事で別料金になるそうだ。

休憩時間に、ちょこっと座らせてもらう。


ハーベスターの時は、ウネに沿ってキビが倒されるので、手刈りの時とちょっとやり方が変わる。
その時に書いたメモがこれ。


ハーベスターが畑に入りやすいように導入場所を作るのだが、これをマクラ刈りと言った。
道路に面した畑の端3メートル区画だけ刈っておく。

機械だけにたちまちキビを倒していく。
同じ面積で手刈りより数倍早い。
しかし、曲がったキビなどには相性が悪く、粉々に粉砕されてしまう事があるので、必ずしも機械が良いというわけではないようだった。

西の浜の夜に

2008-03-28 22:22:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
キビ刈りが始まってから何日か経った。
皆ともうまくいっているので安心だ。

作業の疲労のせいか、指の関節が腫れた時の様な変な感じ。
グーパーが素早く出来ない。
ペンを持つのもだるい。
聞いてみると、皆もそうだという。

OMさんが、ひと通り皆の特性を知ったようで、係りを決める。
元自衛隊員のOさんはさすが体力があり、現場の隊長に任命される。
Sさんは、年長と言う事で、寮長に任命される。
波照間キビ刈り隊が形になってきたと言うことかな?

因みに自分は、弁当当番。
と言っても、作るのではなく、毎日石垣島から高速船で配達に来るのを港まで取りに行く。
波照間には弁当屋とかコンビニがないのだ。(1997年当時の話です。さすがにコンビニは現在も無いです。)

新たに2人入ってきた。
大阪から来たOG君と、横浜から来たKKさん。
OG君は2ストのオフ車乗りで、ぶっきらぼうで礼儀知らずな感じ。
KKさんはチャリダーで、明らかに自分より年上だ。


仕事が終わったある夜に、皆で西の浜で星空を見に行った。

17歳のT君は、親に捨てられて、親戚に育てられたそうだ。
ずいぶん大変な思いをしてきたようだ。
若さもあるだろうが、好奇心と生きる力がみなぎっている感じ。
キビ刈りが終わったら西表へ行き、その後台湾から東南アジアへ行くのだそうだ。

Uさんは自分と同年と言う事もあって、話せる人だ。
おっとりしているが、芯の強さがある女性だなと思った。
教員の免許を取るために、2月で帰ってしまうとのことだった。

なんだかんだと話しているうちに、またこのメンバーで何年後かに会おうという事になった。
いつにしようか?と言っていたら、何となく2000年の1月31日に決定。


その後、2000年になって再びこの西の浜に来たが、来れたのは自分とSさんの二人のみだった。
Uさんからは事前に来れないという連絡をもらっていた。
他の人達は今どうしてるかなあ?なんてSさんと暗闇で話したものだ。

キビ刈り

2008-03-27 23:12:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
覚悟はしていたが、やはり農作業はきつい仕事だ。
雨が降ってしまうと、さらに体力を消耗する。
長靴の底に葉っぱの混じったドロがまとわり付き、ダンゴみたいになってしまう。
歩きにくいのなんのって。
服がドロドロになってしまうので、雨合羽を着ているのだが、これがまた非常に蒸れる。シャツもズボンも汗でビッショリになる。

さて、始めの頃の1日の収穫高は、7人で3.5t。
OMさんが言うには、5tは刈らないと合わないそうである。
今でも一杯一杯なのに、目標には程遠い。
半端でなくキツい。

仲間とは割合うまくいっているのが救いだ。
日が重なるにつれ、疲労がたまってくる。
絶対に辞めるわけにはいかないので、ナニクソと精神力で踏ん張る。
しかし、傍から見ていると、今にも倒れそうで、顔が青ざめていたという・・・
後でOMさんから聞いたが、こいつ本当に続くだろうか?と思っていたそうだ。