風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

旅の最後

2010-10-21 21:34:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月16日

本栖湖からは家に直行できるまでの距離だったが、家に帰って家族に会うのがとても嫌だった。
また、本栖湖からはあまりに順調に走ってしまったので、自分の中でアッサリと旅を終わらせるのが妙にためらわれたのだ。

IB君に泊めさせて欲しいと電話をしたら、OKになったので、ホッとして彼の所へ向かった。
もしダメだったらまた河原でテントかなと思った。

IB君とは派遣会社で知り合い、工場で一緒の現場に居た仲間だった。
彼はデザインの専門学校の夜間学生だった。
猛烈に宿題が出るので、火の車らしい。
グラフィックデザインでもしたいのだろうか。
あまり突っ込んだ話はしなかったが。


朝、彼の家を出発。
座架依橋で別れ、ちょっとウロウロした後、海老名へ。
STさんのジムニーにメモを挟み、帰路へ着く。
9:40
メーターは27609.3kmだった。


50cc日本一周の旅これにて完了。
ベンリイCD50よ、ありがとう。
金を稼いだらすぐ修理してやるからな。ちょっと待っててくれ。

家が見えて、まず気付いたのが外壁が塗り替えられてたこと。
バイクを入れ、庭から居間を覗いたら母がちょいと驚いた顔をして、そして帰ってきたか、という顔をして窓を開けた。

旅は終わった。
後片付けをしなくてはならないと思うととてもめんどくさい。
家に帰るのがとても恥ずかしく、逃げ出したいくらいだ。

バイクが壊れなければ、そのまま北海道にでも行ってしまいたい気もする、と言うのはウソで、次のステップ徒歩日本縦断への新たなスタートが切られたと思った。

・・・・え?まだやるの?・・・・


総走行距離 23273km
ガソリン消費量 324.12ℓ



=== 原付日本一周記  完 ===

あと一歩・・・旅をふり返る

2010-10-20 17:23:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月15日

本栖湖にて


・・・間に3週間の中止期間を挟む形で、約1年間に及ぶ日本一周50cc原チャリの旅はもうすぐ終わりをむかえる。
僕の荒んだ気持ちを、50ccで走るというパフォーマンスによって打開しようとしたが、ただ走って他の地へ行くだけでは何の意味もない事を知り、北周りの前半を終えた。

間に2級建築士の図面試験があったが、わずか2週間の要領の悪い勉強で合格するはずもなく、2級建築士の夢は夢で終わる。
合格・不合格に関係なく、心の整理がついたところで後半の南周りが始まった。
この時点で、まさか南の果ての島でバイトをする事になるなど心の片隅ににも上らなかった事だ。

秋から冬にかけて寒かったが、南で何かありそうな予感がしていたので、例え一人でもそれほど寂しい気持ちは無かった。
いや、でも心のどこかではきっと寂しかったのかもしれない。
無理矢理自分にウソをついていたのかもしれない。

南へ下るにつれ、何だか面白いヤツらがチラホラと姿を出し始めた。
ほとんどの連中が夏の北海道行を経験しているのも面白い傾向だ。
一癖あるやつらは何かとへき地に集まってくると、この時はじめて分かった。

ひょんな事から、うわさの石垣島の米原に行く事になり、それが僕の後半南周りの最も大きな、そう、僕の生きる道の転換点だったと今も強く感じている。
米原で金を使い果たし、この近辺でバイトをしなくては絶対に帰れない状態まで自分を追い込んだのも、単に旅費を稼ぐ以外に「何か」を期待した為だと思っている。
ではその「何か」とは何か。
一重に自分の精神的、内面的な変化の事だったのではないかと思う。
出来るなら生まれ変わるほどの以前の自分とは全く異なる自分への変化。
時々聞こえる鹿の鳴き声を聞きながら、静かな湖畔で、もうすぐ終わりを迎える旅を振り返った。


13:05
本栖湖畔出発。
スポークの折れ新たに1本発見。
これで6本目。寄り道は中止。家へ直行する事にする。

16:35
IB君に電話。
この後久しぶりに家に電話。しかし不在。
17:10
IB君宅着一泊させてもらう事に。

旅の終わりに近づく

2010-10-03 18:06:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月13日

滝木キャンプ場出発。

12:30~13:30
岐阜県の365号線沿いのコンビニで昼食とルート選定をしていた時、ふと空を見上げたら、太陽周りを囲むようにリング状の虹が出来ていた。

これはその時に描いたスケッチ。

14:20~14:57
「ユートピア」にて風呂。350円。

19:00
矢作川沿いにてテントを張る。

6月14日
8:50出発。
今朝、新たに後輪のスポーク1本の折れを発見。
心臓が高鳴る。これで5本目だ。

写真では4本が折れた時の記録のみ。

冒険と無謀は違う。
しかしこれは一種の賭けだ。
あともう少し。ガンバレベンリイCD50。
カーブの時はなるべくバイクを倒さないよう、なるべく後輪に横の力をあたえないよう心がけ、速度を一定に保ち、かつ均等に後輪が転がるように努める。
歯抜けになった後輪に均等もクソもないのだが・・・。

12:20~12:47
362号線沿いの河原で昼食。

17:22道の駅とみざわ。

18:50本栖湖着。湖畔にテントを張る。
この日の走行距離301.3km。

天竜川の源流まで行きたかったが、地図を見ていて、今のベンリイ号の状態では行けそうも無いのであきらめ、昨年通った天下の国道1号線を通る事ににした。
しかし、何から何まで1号線を通るのもつまらないので、バイクには申し訳ないが、違うルートを走ったりもした。
301号線や52号線ではヘアピンカーブや急勾配多く、冷や汗ものだった。
しかし、何とか本栖湖にたどり着く事が出来、良かったと思う。
「家」への輪郭が強くなってきたのは否めない。
また、AYさんの思いも強くなってきた。
いや、それだけではない。
IB君、STさん、TKNさん、ABさんなどなど、知り合った顔ぶれが強く頭に浮かんでくるようになってくる。

しかし、今日はとんでもなく走った。(※50cc原付バイクとしてはの意味)
新潟の暗中雨天の時の次に走ったのではないか。
計算したら、300kmを超えた。
街中の国道走行は、白バイがウヨウヨだし、車も渋滞し、信号がやたらに多くてイライラする。
おまけに空気も悪い。
暑さも沖縄のような天然の暑さではなく、人工的に作られたような、よく言われるヒートアイランド現象的な暑さなので、気持ち良くない。
ツーリングでは国道街中を走るものではないなとつくづく思った。

さて、本栖湖まで来れば、帰還まではもう射程圏内だ。
何とかなりそうだ。
しかし、最後まで気を抜かずに走り通そう。

1年がかりの日本一周の旅が、なんとか完成できそうな所まで来た。
いろんな事があって、これを忘れる事の方が難しいだろう。

全く別の人格になるほどに変わる事はなかったが、かなり心の中はリフレッシュする事は出来たと思っている。
ただ、社会復帰の前に何だか旅にハマリそうで、そこら辺が微妙なところ。
その選択はどちらも不安であり、楽しみである。

今(1997年当時の事)パッと頭に浮かんでいるやりたい事を書いておこう。
○カリフォルニア州にあるセコイアの木の森に居る、地球上で最大の生き物「シャーマン将軍」に会いたい。
○スミソニアン、チャンプリン、プレーンズ・オブ・フェイムへ行きたい。
○ヒマラヤの山々を見たい。
○日本縦断3000kmを歩く。そして、写真がメインではなく、スケッチを主にやりたい。着色は主に色鉛筆。そして、日本一周で行きそびれた所へ、この時に行こう。
○ヨーロッパゴシック建築探訪の旅。主に鉄道で。
○ドイツ、バッハ探訪。オルガン探訪。
○ギターを弾けるようになる。
○20代の僕のエネルギーの保存。創作。
○中型バイクの免許を取る。

・・・こんなところだろうか。

とにかく家に着いたらバイト探しだ。
短期に金が稼げるバイトをしよう。

飛行神社

2010-10-01 21:24:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月12日

8:50
鴨川出発 晴れ
ベンリイ号の後輪がギシギシいってとても心配。
バイク屋数件当あたるが、スポークのストックが無く修理出来ない。
荷物軽量化のため、不用品を郵便局にて送る。

12:00
八幡市(やわたし)安居橋前にて休憩。

12:00~13:50
飛行神社。入館300円。

SEちゃんのくれた京都ガイドに、八幡と言う所に飛行神社とい所があった。
2人で、どんな所だろうね?と言っていたものだ。

今日、試しに来て見て、まず入り口にドーンと置かれた、F-104スターファイターに積まれていたターボジェットエンジンに圧倒された。


奥は資料館になっていた。
境内には、プロペラや朽ちたエンジンがあり、社はまだ建て直されたばかりらしく、新しかった。
ステンレスの鳥居というのも「飛行機」っぽくて面白い。

ここは二宮忠八(にのみやちゅうはち)・・・日本の近代重航空機のパイオニア・・・に関係する所であった。
れっきとした航空のための神社であった。
歴史は思ったより古く、大正8年とのこと。
個人の私財を投じて作られた、立派な思想を持つ神社だった。
資料館は300円で、充実した冊子が付く。

ライト兄弟の成功により、この時同じくして開発しようとしていた飛行機の研究を断念し、製塩会社に方向転換したようで、展示用のガラスケースの片隅に、塩が展示されていたのには、失礼だが笑ってしまった。

飛行文庫と言うのがあって、本棚には古今の飛行に関する本がビッシリと並べられていた。
鍵がかかっていて読む事は出来なかったが、のどから手が出るほど欲しい本がたくさんあった。
ここまでくると、もうマニアだ。

展示室にはテレビがあり、オランダ国営放送のビデオが流されていた。
主題は日本のジェットエンジンの技術史のようだったが、航空機の歴史も紹介されていて、外国の番組なのに、ものすごく日本の飛行機の歴史が分かりやすく映像で見る事が出来た。
相当マニアックな記録フィルムも出ていて、目が釘付けになった。
連山の初飛行、飛燕の記録映像、99式襲撃機の機下から撮られた迫力ある滑走シーン、T-1の初飛行フィルム(白黒)などなど。
バックに流れるBGMが中国っぽくて変だった。
冒頭に自衛隊のF-1、F-4、F-15の派手なフライトシーンは何の関係があったのか定かではないが、面白かった。

忠八氏の製作した玉蟲型機を復元し、飛ばしたシーンもあって、これも面白い。
結果として、一般の人には縁遠い神社ではあるが、飛行機好きの自分にとては、非常に面白い所であった。

しかし・・・流線形のハイテク機のイメージに天照大神と白い袴というのはとてもアンバランスな感じがした。

忠八氏の飛行研究と言うのは、凡人の自分から見ても、優れた物だと思った。
明治の時に日本にこんな素晴らしい事をしていた人が居たと言うのが誇りに思える。
研究をまとめた資料が、十数冊の紙に清書されて展示してある。

カラスの降下の時の翼の角度の事が書かれていたり、飛び魚のヒレの事について書かれていたりと、観察対象が日本らしいなと思った。

僕の気を引く所は長居は必然だ。いつもそうである。
だいたい2時間は居座る。

満足してここを出発した。
国道1号線は、排気ガスがすごくてたまらない。
307号に入った。
しばらくして、たぬきの焼き物で有名な信楽市に入った。
いたる所にたぬきの置物がたくさん並べられていた。もちろん売り物である。


小さいやつは1300~2000円位。一つ欲しかったが金が無い。また来よう。
見たという満足と今度また来ようという楽しみ。
どっちも良い。

家に近づくにつれ、バイト、金の事を現実的に考えるようになった。
そして、次の旅の行動についても。

18:30
滋賀県の1号線近くの滝樹神社の隣の滝木キャンプ場着。
巨大な杉が目を引く。
設備も整っていてなかなか良い。