風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

サークル「コロポックル」の人たちと 1

2010-09-18 20:22:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月11日

一昨日、昨日と波照間のキビ刈りで知り合ったSEちゃんを始め、その子の所属する大学生サークル「コロポックル」の人達に会い、楽しく、本当に楽しく会話した。

おっとこれを書いている矢先、お巡りさんだ。
今、自分は出町の橋の下でテントを張っている。いやドキドキした。
まあ、最近神戸で小学生が首を切られて捨てられた事件などあったので、お巡りさんに見られても仕方ないなと思っている。
ここは京都のド真ん中だから。
とても優しい人だったので良かった。
「無理せんと、気をつけえや。」と最後に。



以前、ここで浮浪者に対する暴力事件があったらしい。

さて、話を戻して、梅小路機関車館で長居してしまったので、時間が押してしまい、コインランドリーに行ったら、コロポックルのミーティングの時間が間近に来てしまった。
銭湯に行きたかったのに・・・

京都大学の校門をくぐったが、恥ずかしいったらありゃしない。
時計塔の下の木にSEちゃんを見かけ、その周りにそれらしき人達が居た。
こんにちわー、と挨拶し合った。

『大学生だ・・・キャンパスだ・・・』

SEちゃんがある程度自分の事を話してくれたらしく、とても馴染みやすい雰囲気があり、内心ホッとした。
校舎に入り、18:30頃ミーティングが始まった。
新入生の道具の買出しの事や、今年の夏休み北海道における行動計画の事が主な議題。
30人位いただろうか。
なかなかプランがまとまらないが、そんなものさ。
ミーティングを重ねる事で出来上がっていくものだから。

21:00頃一応お開きとなった。
どっかで飯を食おうと言うことになり、居酒屋へ。
コロポックルは、原則として割り勘であるが、自分はお客さんだからと言うことで、おごってくれた。
使える金が9000円を切った自分にとっては、本当にありがたい事だった。
皆20~22歳の言わば弟や妹みたいなものだ。
自分の妹も22歳(1997年当時)だ。

かなり控え目な飲み会だったので、もう一軒、K君のすすめで天下一品と言うラーメン屋に行くことにした。
この時はS君とT君と自分の3人だ。
かなりクセのあるラーメンらしい。

注文して、出てきたラーメンは、スープがドロリとしているが、味はアッサリしていてとても美味しい。
密度の濃いスープを飲み干すのは難しい。いったいどうすればこんなドロッとしたスープになるのか分からない。
白色のスープだが、とんこつでは無いらしかった。
ともかく初めての感覚であった。一杯550円。

K君と別れてS君の住むアパートに今晩は泊めさせてもらった。
S君はとても話しやすい人だった。

かなりの旅人で、ネパールをトレッキングしたり、最近は日本100名山全登頂をやり出し、北海道の山もかなり登ったようだ。

自転車や250ccオフロードバイクなど移動手段は選ばない。
気持ちの良い好青年だった。
写真も見せてくれた。
「自分のは、記録的なもので、そんなにうまくないですよ。」と言っているが、なかなかどうして、きれいに撮れていた。

彼は冒険などの本が好きで、いろんな本を教えてくれた。
旅とは出会いだ。
SEちゃんに出会った事で、こうして現役の学生達と話をする事が出来たのだ。

深夜4:00位まで話していただろうか。

梅小路蒸気機関車館へ

2010-09-08 21:57:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月10日

11:00~11:20
伏見稲荷を見る。
鳥居の数と言ったら・・・。
ほとんど隙間無くビッシリと立てられている。
奉納者は全国各地津々浦々。


深泥池の公園にて昼。
のどかで平穏な時を過ごす。
しかし、公園は草ぼうぼう、ゴミが散乱している。

14:00
梅小路蒸気機関車館
小学生の時に夢見た蒸気機関車。
日本に汽車を保存している所があるのは知っていたが、それがどこかはつい最近まで知らなかった。
波照間で知り合った京都に住む大学生のE子ちゃんの貸してくれたガイドに、なんとそこが京都市内にあるのを知った。
そして、ついに今日来る事が出来た。

かつて、日本を走りぬいた代表的な汽車が17輌、そして今も稼動できるものが6輌ここに居た。


C62 2つばめ、D51 なめくじ、皆居た。涙が出そうになった。
プレートはピカピカに磨かれ、クランクやロッドは整備士達が油で手入れをしていた。


飛行機、特に戦時中の物は日本国内に状態の良い実機はほとんど存在せず、あったとしてもハリボテみたいに悲しい状態だが、汽車に関しては日本も捨てたもんじゃない。
1日に3回、「スチーム号」と名づけられた8623号機が生きてる姿を見せてくれる。

最後の15:30の出発を見た。
乗車は一回200円。
わずか数百メートルではあるが、レールが敷かれており、シリンダーや動輪が生き物のように動く様を目の当たりにした時は、思わず目が潤んだ。

純粋に商売で物を運ぶ機械としては、確かにあまりに能率の悪い時代の産物だろうが、そんなの抜きにして、日本の黒い汽車はカッコいい。
またまた2時間も居てしまった。
お土産も良いものばかりで、お金がないのがとても残念。
今度来れたらスチーム号に乗り、ステッカー(440円)、メダル(300円)を買おう。

そして動く映像でスチーム号の姿を撮りたいものだ。
しかし、汽車と言うのは、ものすごい量の水と石炭を使うんだなと思った。
そして燃えカスの処理なんかもしなくてはいけないのだ。
機関庫の一部は煤で黒くなっている所もある。
16:15出発。
16:30~17:45コインランドリーで洗濯。550円。

京都・奈良に入る

2010-09-03 21:20:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月8日

晴れ。
9:25養父市場近くの運動場公園の空き地より出発。

13:32京都駅前通過。

昼飯は奈良市内の餃子の王将。
餃子180円。

唐招提寺、薬師寺、そして法隆寺へ。


ここ数日、「見る」旅がとても充実しているなと思う。
「出会う」旅は、道を通り過ぎてゆくライダーの何人かと手を上げたあいさつくらいのものだ。
鳥取のを過ぎた辺りから、国道9号線はけっこうライダーが多い。
バックパッカーもいたが、道中歩くのに夢中みたいだった。
近い将来、自分もあんな格好をして歩くのかな、と走りながら想像してみた。

バイクが時々、カキン、カキン、とイヤな音を立てる。
またスポークが折れたかなと見てみたが、それはなかった。
しかし、すでに3本は折れているから他の所に無理がきて、キシんでいるのかも知れない。心配だった。

昨日、テントを張り終えた時に、点検と注油をした。
チェーンにたっぷりとチェーンオイルを吹き付ける。
クラッチワイヤにも、ブレーキへの連動部にも。
エンジンオイル量を見てみたが、半分くらいに減っているが、粘度も割合あるし、汚れ具合もまあまあ。何とかなるだろう。

一番心配なのはやはり後輪だ。
タイヤ溝もツルツル、スポークが全部折れたらどうしようと思うと気が気でないが、金が無いから、どうしようもない。
早く帰らなきゃと思う反面、家に帰りたくないというのもある。

さて、京都に入った。市街地に入るのは3年振りだ。
あの時は、専門学校の同級のY君と一緒だったが、あまり楽しい旅行とは言えなかった。
道に迷わないようにと、しっかりと道路の案内板を確認し、走った。
おかげでスムーズに通過できた。
今日は日曜日。観光客がいっぱいだ。外人も多い。
駅はギラギラのガラス張りの大きな建物に生まれ変わっていた。
巷ではけっこう話題になっていたようだが、思えば約1年、僕は外に出っぱなしで、映像のニュースを見る割合がとても少なく、どんな事が起きているのか分からない。
ラジオでは物の姿は見えないから。

店に入ると、関西弁だ。
生の関西弁である。子供もしゃべっている。
あたりまえか。
関東の自分にとっては珍しいと思って聴いてしまうのだ。

京都を通り過ぎて、奈良へ。
京都と奈良の距離は、関東に例えると、厚木から新宿へ行くような感覚だ。距離にして40kmくらいか。

法隆寺が見たかった。
そして薬師寺。西岡常一棟梁が手がけた五重の塔を見たかった。
空は曇ってきた。車が多い。

山陰から京都方面に向かうにつれ、一日走り終えると、顔は排気ガスで黒く汚れる。
顔を拭くとタオルがとても汚れる。
良い気持ちはしない。

まず薬師寺。
拝観は500円。高くも安くもないが、今の自分にはこの金額はつらい。
外から見るしかなかった。
しかし、西岡氏の見事な仕事は、塀の外から見ても良く伝わった。
今は無き西岡氏に深い敬意を表す。

次は法隆寺だ。
高校の時に見そびれて、見たいと思い続けてから7年も経ってしまった。
それがついに見ることが出来る。
16:45
ああ、やっと来れた。
そこは駅とバス停のすぐ近くだった。
これなら電車で来てもつらくは無い。

バイクはこう言う時に良い。
停める場所には困らない。
寺は17:00に閉門してしまうので、人は少なかった。

世界最古の木造建築。1000年もここに建ち続け、風雪に耐えてきた偉大な文化遺産。
その姿はとても美しく、力強かった。
その存在感は、チベット山々や植村さんの冒険などと同じく心にキーンと突き刺さる。

やっぱり来てよかった。
僕も何か作る時、深く人の心に残る物を作りたい。

今回はここに来るのが遅くなってしまい、境内には入れなかった。
また来るよ。


兵庫県に入る。そして植村直己冒険館へ

2010-08-31 23:27:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月7日

8:25
柳茶屋キャンプ場出発。 晴れ。

9:55~10:35
七釜温泉公衆浴場にて風呂。180円。
湯船の湯は熱すぎて入れなかった。
湯の熱さは、北海道函館のだるま湯といい勝負。
湯量は豊富。

12:30頃
但馬空港
積極的に航空イベントを開催しているので、どんな所なのかちょっと興味があった。
天井から巨大な複葉水上機の模型が吊り下げられていた。
かなり精巧に出来ている。
フットペダル付きの本格的なフライトシミュレーターゲームもあったが故障中だった。
残念。
13:00出発。

13:30
植村直己冒険館

主にエベレスト登山や、北極圏犬ぞり旅行の時の品が多い。
とは言っても膨大な量だった。
F2のチタンモデル「ウエムラスペシャル」もあった。
ラジウスストーブもあった。
書庫には冒険物の本も豊富で閲覧は自由。


植村直己冒険館は、鳥取砂丘と同じく、兼ねてから訪れたいと思っていた展示施設だ。
冒険館は細長い形をしていて、ガラスとコンクリート打ち放しのモダンできれいな建物だ。
帯広の氷雪の家を見たときは、そのショボさにどうしようと考え込んでしまうほどだったが、こちらの整った設備を見て、ホッとした。

入場料は510円。
きれいな受付のお姉さんが2人。
入り口のすぐ右側で13分程の記録映画をやっている。
犬ぞりに乗りながら、激しくブレる8ミリの映像や、白と青の北極の風景の美しさに息をのむ。
ただ走っているのではない。
体を張って地球と対話している感じがした。
僕の原付旅など、植村さんの壮大な旅に比べたら、足元にも及ばない。

植村さんはやっぱりすごい人だった。来て良かった。

展示スペースは、壁一面に装備品が掛けられ、大きく引き伸ばされた写真と解説で展示されている。
幾つかの箱には穴があり、それを覗くと植村さんの8ミリによる記録映像が流れていた。
ソリからテントを取り出し、立てるシーンと、テントの中で肉を食べているシーン。
キビヤックを美味しそうに食べている写真が印象的だった。

本によく登場するプリムスの大型ラジウスストーブも、想像したよりは小さかった。
ぜひ欲しいと思った。
それを見て思ったのは石垣島の米原や波照間でキャンプを共にしたOKB君のマナスルはちょっと汚かったなぁと言うことだった。(笑)

自分の位置を星や太陽を使って測る六分儀ってどんなもんなんだろう。
植村さんはこれをマスターするのに随分苦労されたらしいけども、そんなに天測って難しいのかな?

ヒマラヤの蒼の空と神々の山に行きたい。
登るのはちょっと無理だけど、目の前で見たくなった。
手が興奮で汗ばんだ。

図書館は冒険やアウトドア関係の本が充実していて、見ごたえがある。
いくつか購入したいなと思った本があったので、題名と著者、出版社をピックアップした。
なんだかんだで2時間も滞在してしまった。
でもこれで良いと思った。
満足したから。


雨の日のテント

2010-08-29 22:53:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月5日

早朝4:00頃、雷雨。

ラジオを付けたら、ラジオ深夜便の人生読本と言うのをやっていた。

ただ生きるのではない。
毎日の小さな事にも、あたりまえと思っている事にも発見があると言う。

世の中に雑用と言う物は無いのだとか。
雑だと思って煩わしくするから雑用になるのであって、それさえも喜びと感謝をもってすれば、それは素晴らしいことなのだ、と。

世の中の物で見えないものがある。
それは愛というものだ。

これは、人をどんなに解剖しても出てはこない。
しかし、それは確実に存在するし、それを与え続ける事でそれはますます大きく広がり、例え個人の肉体は滅びても、それはずっと残るものである、と言っていた。

雷でラジオに時折雑音が入り、激しい雨がラジオの声を掻き消そうとしたが、耳元にラジオを寄せて聞き入っていた。

AYさんの考えている事とよく似ていた。
そして、自分も考えるけども、時々目先の事にとらわれて忘れてしまう。

ラジオを聴いて、ハッと目が覚める思いだった。
与え続ける事。
そうだ、そうだった。

今日は午後晴れてきたが、このまま滞在した。
食糧はあるので心配ない。