毎年10月第2日曜日には玉野市胸上地区では、勇壮な神輿、ダンジリ3台と奴行列の祭りがある。
昨夜この祭りのことを地元山陽新聞の「Tデスク」に聞いていたので見に行った。
奴が整然とが進み、若者が一生懸命に毛槍などを操っていた。その後ろを3台のダンジリが続くが、途中から神輿が参加した。 この神輿はとても勇壮で、時に観客に向かって猛スピードで突進してくる。すごい迫力で、一瞬たじろぐ!!この神輿をセーブするのが、奴やダンジリを担当した33歳以上の卒業生。赤面、青面といい、うまくセーブしていた。時には激しいいざこざがあるそうだ。
翌朝、八幡宮を訪ねたところ、お供えをしてくれた一軒一軒にスーツを着込んだ青年が2人一組でお礼に回っていた。
この祭礼は備前池田藩3代目継政のころから続いており、江戸、明治と2回大火にあっているが、漁師町の意地で今も続いている。
また、平成16年の災害で、地域200戸のうち4分の3が浸水、50戸は床上であり、総代たちは祭りを中止しようと話し合ったが、若者たちが、この苦しい時期ほど祭りは大切と声をあげ総代たちも納得したそうだ。(T宮司に話を伺った。)
玉野市にこんな素晴らしい祭りがあったことを知らなかった。 もっとPRしなければと強く思っている。
昨夜この祭りのことを地元山陽新聞の「Tデスク」に聞いていたので見に行った。
奴が整然とが進み、若者が一生懸命に毛槍などを操っていた。その後ろを3台のダンジリが続くが、途中から神輿が参加した。 この神輿はとても勇壮で、時に観客に向かって猛スピードで突進してくる。すごい迫力で、一瞬たじろぐ!!この神輿をセーブするのが、奴やダンジリを担当した33歳以上の卒業生。赤面、青面といい、うまくセーブしていた。時には激しいいざこざがあるそうだ。
翌朝、八幡宮を訪ねたところ、お供えをしてくれた一軒一軒にスーツを着込んだ青年が2人一組でお礼に回っていた。
この祭礼は備前池田藩3代目継政のころから続いており、江戸、明治と2回大火にあっているが、漁師町の意地で今も続いている。
また、平成16年の災害で、地域200戸のうち4分の3が浸水、50戸は床上であり、総代たちは祭りを中止しようと話し合ったが、若者たちが、この苦しい時期ほど祭りは大切と声をあげ総代たちも納得したそうだ。(T宮司に話を伺った。)
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この祭りを広く知ってもらうため、岡山県観光連盟の「おかやま旅レット」に「秋祭り」として掲載をしております。
見てやってください。
「おかやま旅ネット」に掲載しております。