賑わい創出 2011年02月23日 10時17分53秒 | 日記 瀬戸大橋の開通から交通体系が大きく変わり、宇野港は人流港として変わろうとしてい。平成9年から宇野港第1突堤を中心として「港フェス」を開催。2日間で○万人の人出で賑わう。今年は5月21日(土)・22日(日)に開催予定 帆船が寄航し賑わう宇野港 そして、毎月第2日曜日には宇野駅前の公園で「宇野港ゆめ市場」も開催。知名度も徐々に・・・高まっている。
宇野港の整備 2011年02月23日 09時49分25秒 | 日記 昭和63年4月瀬戸大橋開通により、78年間続けていた宇高連絡船が廃止。同時にJRも四国への動脈からローカル線に変わった。国策として宇野港の改修があり、宇野港田井地区(通称田井新港)も約160億円を費やし-12mのバースが完成。平成元年から供用開始している。 田井新港のRORO船 平成18年3月には宇野港第1突堤-10mも完成し、日本最大の客船飛鳥Ⅱも寄航した。
大転換時代 2011年02月22日 08時58分27秒 | 日記 宇野~高松間は一時間かけてゆっくり船の旅をしていたが、車社会が到来した。昭和63年4月10日1兆1200億円の巨費を投じて瀬戸大橋が完成。 宇野~高松間の連絡船は4月9日の最終便を持って78年間の幕を下ろした。
連絡船時代3 2011年02月21日 08時42分04秒 | 日記 宇野~高松間の輸送量も増加傾向にあり、連絡船も大型化が必要になった。昭和41年~42年にかけて伊予丸、土佐丸、阿波丸、そして49年には讃岐丸と3,000トン級の連絡船が相次いで就航した。 1961(昭和36)年には車社会に突入し岡山~宇野間の国道30号線が国道フェリー就航により高松まで30号線がつながった。 四国フェリーも宇高航路に就航24時間眠らない港として繁栄
連絡船時代2 2011年02月20日 15時24分52秒 | 日記 明治43年から始まった連絡船 宇野~高松航路で昭和22年7月に紫雲丸(1,449t)が就航した。姉妹船として、23年には眉山丸、鷲羽丸も就航。 この写真は2度の大事故後「紫雲丸」改め「瀬戸丸」として就航している。 この写真は、産業振興ビル1階に展示されている宇野駅の模型です。瀬戸丸を中心に移しました。