玉野の1枚

随時玉野の紹介をします。

歴史街道散策続き

2011年05月28日 05時33分10秒 | 日記
 今日は昨日の続きで、両児山(標高50m程度)について。 両児山は八浜町の中心街にある小山である。その昔は児島湾に浮かぶ島だったとか。
 戦国時代は備前の国に属し、港町で栄えた交通の要衝だった。麓には宗蔵寺(1577年)、金剛寺(1474年)蓮光院(1785年)の3か寺が並んである。そして山頂には八幡宮、快神社、御崎神社が並んで立っている。
 天正時代(1582年)には八浜城があり、備前の国主の名代で宇喜多与太郎基家が麦飯山陣取る毛利軍との戦いで戦死している。(その時基家18歳だったそうだ。)
 
 

山頂にある八幡宮
            

歴史街道散策

2011年05月27日 14時12分25秒 | 日記
八浜散策の続き。 前にも載せたが、6月19日(日)10:00に玉野市の八浜市民センターを出発5時間かけて歴史を体感していただく。
八浜の街並みは室町時代に街を形成し、大正時代までは結構栄えていたそうだ。 明治44年自転車所持台数がある。 八浜町71台、日比町44台、宇野村38台。
人力車は八浜町13台、日比町、荘内村、宇野村各8台だったそうだ。


藤原元太郎(元衆議院議員)氏の邸宅が街並みの記念館としてある。
        

玉野歴史街道「八浜の街並み」を歩いてみよう

2011年05月24日 18時06分41秒 | 日記
6月19日(日)10:00~八浜を歩くツアーが計画されています。参加費500円弁当は1,000円で注文できます。 申し込みは玉野市観光協会。
八浜地区は古く安和2(969)年に仁和寺法勝院目録に仁和寺荘園として開発とある。そして時代は下り、天正10(1,582)年 宇喜多与太郎基家が八浜合戦で戦死。この年の6月に織田信長が京都の本能寺で光秀に討たれている。
宇喜多与太郎基家が陣を張った両児山(手前右の小山)から毛利方が陣取った麦飯山(左上)を望む。


 今の時期は干拓地で麦がきれいに色付いている。キリンビールになるそうだ。
 訂正:ここで栽培されている麦(2条大麦)はアサヒビールモルト(滋賀県)でアサヒビールとなるそうです。