旧時代の共産主義は、革命論の前提として次のことを念頭に置いていた。それは、産業の国有化こそが所有の分断を克服するための物理的基礎だと言うことである。それと言うのも、産業国有化の実現は資本私有の撲滅に等しく、その実現において人口の構成員間における所有をめぐる対象認識の分裂も克服されると単純視されたからである。そしてそのことは、基底還元的に次のような共産主義者たちの楽観と連携していた。それは、産業の国有化が完遂するなら、その物理的基礎において資本主義的イデオロギーも世代を経て自然消滅し、共存共栄の新しい人間社会が勝手に生まれてくると言う楽観であった。レーニンの革命論の場合、この前提が持つ予断の度合いはさらに独自な形に先鋭化していた。彼においても産業国有化の実現は資本私有の撲滅に等しいのだが、さらに資本私有の撲滅は資本家からの資本収奪に等しく、資本家からの資本収奪は暴力革命に等しかった。もちろんここでの暴力革命の必然性は、次の事柄に規定されている。それは、資本家が私有資本を自発的に国家へ禅譲することなどあり得ないと言う当たり前の事柄である。だからこそ彼は、第二インターにおける議会改良主義を似非共産主義として非難し、ロシアにおける暴力革命の実現に固執した。結果的に彼において共産主義への自動遷移の物理的条件は、産業国有化から革命の実現それ自体へと入れ替わることになった。そのことが意味するのは、次のことである。すなわち彼において共産主義社会実現の基礎に現れているのは、まず革命の実現と防衛であり、次に産業国有化だということである。言い換えるならそれは、産業国有化が革命を実現するのではなく、革命が産業国有化を実現すると言う発想であった。しかしそのように産業国有化を革命に劣後させることは、革命主体が産業を私物化することへと容易に連携する。そして実際に革命後のロシアでは、共産党官僚による公的資本の私物化が発生した。つまり暴力革命唯一論においてレーニン主義は、実質的に産業国有化の本来の意義をないがしろにし、そこに国有化の虚偽的幻影を混入させたわけである。それでも彼が暴力革命唯一論を正当化し得たのは、いかなる形であるにせよ、産業国有化が人間社会の共産主義への自動遷移に繋がると彼自身も思い込んでいたからにほかならない。すなわち、産業の国有化が完遂するなら、その物理的基礎において資本主義的イデオロギーも世代を経て自然消滅し、共存共栄の新しい人間社会が勝手に生まれてくると、彼もまた楽観していたのである。言い換えるならそれは、彼においてロシア共産主義の堕落が、半永久的事象ではなく、革命後の過渡的混乱としか見えていなかったと言うことである。ただしそのことは、レーニンが次のことを全く理解していなかったことを同時に表現する。すなわちそれは、共産党による産業の私物化を排除する条件として、政治システムとしての民主主義が必然的に要請されることへの無理解である。レーニンにおけるこの点の無理解は、ロシア革命における産業国有化をせいぜい法制度上の形式的実現だけに留まらせ、実質面における産業国有化の実現を不可能にした。結果的に革命ロシアは、共産主義へと自動遷移することも無く、共産党による人間支配の収容所体制へと固形化することとなった。
革命後のロシアにおいてレーニンは、もっぱら政治的な事柄の全てを革命に従属させようとしていた。しかしそれでも彼は、革命後の戦時共産主義政策において共産党による専横の限界を自覚せざるを得なかった。例えば、産業の軍隊化を要求するトロツキーに対して、レーニンは軍隊式経営がロシア経済の自発的発展にそぐわないと反発したようにである。レーニンは政治面で一切の市民的自由を許さなかったのだが、経済活動の自由を許容していた点で、他の共産党指導者との比較で見ると、よほど後代のゴルバチョフや鄧小平に近い。そもそもソ連における私的資本の廃絶は、レーニン死後のスターリン時代に実現した誤った政策である。出る杭を叩き殺すような恐怖社会では、私的資本の廃絶は人間的自由を死滅させる。国民の生存保証をしない恐怖世界では、生活財の喪失が直接に肉体死を意味するからである。そして自由の死滅は、人間から社会貢献のための活力を奪い取る。社会にとって有益な事柄は、往々にして権力者にとって不利益なことである。物言えば唇寒い世界で、誰が真面目に外部世界と向き合うことができようか? 当然ながらそのような社会では、本来の建設的な意味での労働も死滅する。と言うのも、人間の社会参加の一般的な形態は、商品の生産流通行為としての労働として現れるからである。結果的に収容所国家では、まず権力者にとって無害な機械的定型作業だけが労働として蔓延し、次にその労働は無気力な腐臭を放つようになる。いわゆる親方日の丸である。スターリンは、農業を含めて国内の私的経営を片っ端に国有化し、最後に逮捕した路上のタバコ売りをもって国内の資本家の絶滅を世界に喧伝した。ところが実際には国家資産を食い物にし、私物化する共産党幹部が、事実上の資本家としてロシア全土に隈なく君臨していた。もちろんその親玉とは、スターリンその人であった。ただし彼らは、王侯貴族のような資本家的贅沢をしていた訳ではない。共産党のトップが率先して蓄財に励む現代中国と比較するとスターリン時代のソ連は、文革時代の中国にはるかに近い。密告を通じて秩序維持する型の全体主義社会の場合、そのような贅沢三昧は逆に自らを危険に導く行為にすぎないためである。基本的にソ連時代の官僚の贅沢とは、自己に優越する敵対者を排斥する以外には、むしろ何もせずに自らの社会的地位を維持する権利としてまず現れている。密告を通じて秩序維持する型の全体主義社会では、何もしないことこそが人も羨む一番の延命行為だったわけである。もちろんこのような官民あげて無責任な国が、自律的な経済的文化的発展を遂げることなどあるべくもない。路上のタバコ売りの最後の逮捕をもってソ連は、既に自ら死滅の途についていたわけである。
ロシア共産主義の挫折が示したのは、次のような寂しい現実である。それは、法制度上の形式的な産業国有化が、人口における所有の分断の克服に対して必ずしも有効ではないことである。ソ連における産業の国有化は、産業資本の所有者を私的資産家から国家官僚に移し替えただけで終わっており、国有資本をめぐる私的権利の争いを終焉させることはできなかった。これに対する補足革命の必要性は、古くはトロツキーに始まり、社会主義国家における階級闘争の継続などとフルシチョフや劉少奇など中ソのトップが直々に呼びかける形でフレーズを変えながら、毛沢東の文革に至るまで繰り返し歴史の中で現れてきた。ところがこれらの提起された補足革命は、官僚による産業の私物化に対する有効な回答を用意しておらず、いずれも形を変えただけの同じ陣営内の権力闘争の一形態に留まっていた。毛沢東が始めた文革にいたっては、革命を成就した官僚たちによる国家の私物化は、完全に革命前を凌駕している。そして20世紀末を迎える頃になってようやく民主主義を標榜したゴルバチョフが登場するわけだが、自ら積年溜め込んできた怨みの血の重さに耐えきれずに、結局ソ連は民主化の効果を計測する間もなしに瓦解した。今ではプーチンによる愛国型独裁のもとでロシアは、かつて行われていた暗黙の国家資産の私物化を、明白な個人私有へと置き換えつつある。しかし見方を変えるならこれらの寂しい結末は、逆の形で実質面における産業の国有化の実現可能性を示唆するものである。すなわちそれは、法制度上の形式的な産業国有化が無くとも、法制的な行政指導を通じ、資本家が私的取得する企業利益を、労使双方に適正に分配し得る可能性である。言い換えるならそれは、共産主義黎明期にサン・シモンやオーウェンらが挑戦して挫折したユートピア型共産主義、または第二インターでカウツキーやベルンシュタインらが提起した修正主義を復刻させる可能性である。もちろんここでは、修正主義に対するレーニンによる批判を持ち出すまでもなく、理不尽な地代請求に苦しむ庶民感覚から見ても、資産家による私的所有を是認し服従せざるを得ない厳しい現実は、暴力革命以外に解消不可能の如く見えるかもしれない。しかし中ソを筆頭にした共産主義国家が犯した歴史的失敗を見る限り、このような修正主義の復活への期待は不可避である。
上記でも触れたようにレーニンにおける暴力革命唯一論は、産業の私的所有者たちから公的資本を暴力的収奪することによってのみ、産業国有化が実現可能であると言う現実により基礎づけられている。しかし彼の暴力革命唯一論は、この一点だけに基礎づけられているわけではなく、国有化した産業の私的所有への逆行を阻止する上でも要請されている。旧来の産業の私的所有者たちの反逆において、一旦国有化した産業が資産家に払い下げられた場合、労働者は再び資産家の足元に屈服することとなる。労働者階級がこの事態を阻止するためには、かつての産業の私的所有者たちの反逆をあらかじめ不可能にするための労働者独裁が要請される。そしてこの労働者独裁を実現するのに最も単純明快な方法とは、やはり暴力革命なのである。労働者独裁を実現せずに産業国有化を実現した場合、その産業国有化の効力は常に、議会政治の不安定な勢力均衡の上に置かれてしまう。例えば議会で共産党が過半数を制したときに産業国有化が実施され、共産党が過半数を得られなかったときに国有化された産業が元の所有者に返還されるとしたら、議会における共産党の台頭それ自体が国家における正常な経済活動の大きな支障として現れてしまう。そもそも選挙のたびに猫の目が変わるように公的資産の所有者がコロコロと変わる事態など、法制上の手続きを考える以前に、そのような事態を想像すること自体が面倒である。このようなことでレーニンは、既存の資産家たちのための政治体制の上に労働者階級の政治体制を接ぎ木することなど不可能だと考えていた。ところがこのようなレーニン主義の想定は、相変わらず旧時代の共産主義における産業国有化を前提にした革命論、および産業国有化に対する楽観に支えられている。だからこそ彼は、その産業国有化の永続的実現の条件として労働者独裁を必須にしたわけである。しかし先に見たように、法制度上の形式的な産業国有化の実現が産業国有化の実質的実現を意味しないのであれば、このような労働者独裁も暴力革命唯一論ともどもにその必要性が無意味化してしまう。すなわち労働者階級の前には、暴力革命を要さずとも最初から、地道に既存の議会政治において多数派になることにより、法制的な行政指導を通じ、企業利益の資本主義的取得を、共同体的分配へと転換する道が開いていたわけである。そしてこのことは同時に、レーニン主義的な二段階革命論の必要性も無意味化させる。レーニン主義以前の二段階革命論では、生産機構の進展に呼応する形で封建社会が民主主義、さらに社会主義へと革命を通じて社会が成熟する様を想定していた。このナロードニキ流の二段階革命論に対してレーニンは、次のような改変を行う。それは、最初に封建貴族、次に資本家のそれぞれの階級を順繰りに武装解除して政治権力から引きずり下ろす革命論である。日本共産党の場合だとこの二段階革命論は、最初に米帝、次に国内資本家のそれぞれの支配から順繰りに日本の政治を脱却させる形の革命論に置き換えている。なるほど労働者から見れば、封建地主や資本家などの搾取者の数が減ることは望ましい話である。また筆者も、地代や労働者派遣におけるピンハネのような封建秩序に基礎づけられた前時代型の中間搾取を、資本主義的搾取の廃絶に先行して廃絶すべきだと考える。しかし法制的な行政指導において企業利益の共同体的分配の実現を目指す場合、封建地主や資本家のような搾取者にどのような種類や数量や内訳があり、どの順序でどの搾取者と対峙すべきかと言うことに実際にはそれほど大きな意味は無い。例えば米帝の植民地状態の下でも日本を福祉国家にすることは可能である。筆者も日本は独立すべきと考えているが、憲法9条改正の見通しが無い状態で、しかも中国の赤色帝国主義化が懸念される現在では、むしろ米帝の植民地状態に日本が置かれていることに有利な点が多いのも事実なのである。そしてこの事実こそが、国政における日本国民の左翼陣営に対する積極的不支持、および消極的な恐怖と不安を醸成している。 (続く)
(2015/05/30)
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