(1)価値としての労働力
物財生産にあたり最低限必要な資源は労働力である。労働力はそれ自体が財であるが、労働により自然物を財にする。それゆえに少なくともその労働力は、生産地から消費者に自然物を運搬することにより、その自然物を物財に変える。例えば生産者は、鉱石や魚介類を生産地から消費者の元に運搬し、それを生産物とする。この場合にその運搬労働が生産工程であり、運搬した物財が生産物である。ここでの物財生産数は、運搬した物財数に等しく、その運搬した物財の全体は、運搬労働を担った労働力の生活に等しい。それゆえに生産者からすれば、その運搬した物財全体は、運搬労働を担った労働力全体に等しい。調達困難な自然物であれば、その困難に応じて増大した労働力の全体が物財と等価になる。相変わらずその等価が示すのは、運搬した物財の全体と運搬労働を担った労働力全体の人間生活の等価である。そしてその人間生活は、人間生活に必要な全物財量に等しい。経済学で商品に追加労働を加えることで商品価値が増すことをもって、商品に対する投下労働で増加した価値を付加価値と呼ぶ。しかし拾ってきた自然物にもともと価値は無い。結局その自然物に投下した「拾ってきた」と言う労働行為が自然物に価値を付加する。そうであるなら、別に付加価値と言わずとも、価値の実体は、最初から投下労働力である。
(2)投下労働力の按分値としての物財単価
物財は或る全体量を持ち、その全体の構成部分となる一定量を物財の単位にする。価値面において物財の全体量は、その取得のための投下労働力量を自らの価値とする。同様に物財単価も、物財一つ当たりに投下した労働力量と等価になる。上記例における物財単価も、物財一つ当たりに費やした運搬労働力と等価になる。それは物財全体を運搬した労働力全体を、物財数で按分した値である。逆に運搬後の物財価値量は、物財数に物財単価を乗じた値となる。つまりここでの価値量と物財数は、10進数と12進数の違いと同様に、単位規模が違うだけの異なる量表現にすぎない。ただしここで生産者が期待する労働価値論は、投下した労働力が支配する価値量である。そのような価値量は、生産者が無意味に費やした労働力を含む。しかしそれは投下労働価値説ではなく、支配労働価値説にすぎない。投下労働価値説における価値は、物財の再生産に必要な労働力量を言う。ただどのみちここでの説明では、投下労働価値説と支配労働価値説の相違も現れない。
(3)物財の価値単位としての消費物財量(必要物財量)
労働力は生産した物財を別の消費財と交換し、人間生活を営む。もし労働者が直接に物財を消費するなら、物財はそのまま労働者の生活資材であり、人間生活そのものである。この人間生活の大きさは、消費物財量として現れる。それは一労働者の人間生活の大きさを表現する一つの定量として現れる。それゆえにこの消費物財量は、物財の価値単位となる。もちろん労働力が生産物財量を全て消費するなら、消費物財量は一人当たりの生産物財量と何も変わらない。すなわち “(消費物財量/労働力数)=(生産消費物財量/労働力数)” である。そうであるなら消費物財量ではなく、生産物財量が物財の価値単位であっても良い。しかし生産物財量は、消費物財量より多いことあれば、少ないこともある。しかし生産物財量と違い、消費物財量は人間生活の最低限の定量を持つ。それゆえに価値単位は生産物財量ではなく、消費物財量である。それは人間生活の最低限の定量なので、必要物財量と言っても変わらない。価値単位としての必要物財量は、物財の価値を表現する。簡単に言えばそれは物財の価格である。
(4)余剰生産物としての純生産物
生産物量は、少なくとも労働力の人間生活に必要な資源量以上である。それが労働力の人間生活に必要な資源量よりも多いのであれば、その差分は、余剰生産物として現れる。この余剰生産物は、余剰の人間生活を可能にする。しかしこの余剰生産物の量は、そのままでは単なる物財数である。それがどれだけの余剰の人間生活を体現するか知るには、それを価値単位に換算する必要がある。もちろんその人間生活の量が表現するのは、余剰生産物全体の価値である。この余剰生産物は、生産者の人間生活に消費される必要を免れている。それは生産工程における純粋な生産物であり、純生産物として表現される。上記までに登場した生産要素を一覧表にすると、次のようになる。
[物財生産工程における生産要素1]
(5)剰余生産物搾取による純生産物の生成
さしあたり余剰生産物としての純生産物は、物財の生産量と消費量の増減から現れる偶然の産物である。それは消費物財量cLに対する生産物財量xの相対的な増大で生まれる。しかしcLに対するxの増大、またはxに対するcLの減少が余剰生産物を可能にするなら、余剰生産物の取得者も自然発生的な純生産物の出現を待つ必要も無い。彼は生産数xを増やし、必要資源cLを削ることで余剰生産物を生み出せば良い。ところが単純再生産にある生産工程の場合、生産数を増やすための労働力は不足している。cLに対するxの増大は、やはりxの自然増に期待せざるを得ない。もちろん或る種の技術革新は、xの増大を実現する。しかしその技術革新は運まかせであり、結局xの自然増と大差が無い。またもっぱら技術革新は、或る種の資源蓄積や協業システム、あるいは道具、機械のような物財として現れる。それは生産工程に対して生産工程開始前に投下される賦存物財として現れる。それは単純再生産にある生産工程にとって、生産工程から遊離した余剰生産物である。しかし余剰生産物は、拡大再生産によって生じる。拡大再生産の始まる前に余剰生産物は現れるのは、順序が逆である。このような事情から最初の余剰生産物は、剰余生産物搾取から生じる。すなわち拡大再生産は、cLのxに対する減少から始まる。生産者にとって剰余生産物搾取は、運まかせを必要としない技術革新である。その余剰生産物は、労働者の人間生活を削り取って生まれる。それを可能にするのは、余剰生産物を意図的に発生させる致富欲である。その致富欲が前提するのは、余剰生産物を取得する搾取者の特権的地位である。上記表における純生産物の出現を、cLの減少から示すと次のようになる。なお余剰生産物rを減じた物財生産物数x、つまり(x-r)を下記でx-で表現している。同様に一労働力あたりの余剰生産物rを加えた一労働力あたりの消費物財量c、つまり(c-r/L)を下記でc-で表現している。
[物財生産工程における生産要素2(労働力の必要物財量cの減少)]
なお減少した労働力の必要物財量c-は、その減量値がそのまま人間生活の必要物財量だと扱われるなら、もうc-ではなく、ただのcである。そしてそれが正規の労働力の必要物財量cに転じると、x生産の必要物財量c-Lも正規のcLに転じる。それはc-を格上げることで、相対的にxを格下げる。内実的にその物財生産は、以前に必要だった投下物財量を必要としない。それが実現するのは、単純に言うと物財の値下げである。この一連のc-の格上げにより、純生産物量(x-c-L)も(x-cL)となる。つまり純生産物量は、ゼロに転じる。上記の拡大再生産は、一時期的に労働者を貧困化させただけで、純生産物を生成できなくなる。それは拡大再生産の終焉であり、単純再生産を再興させる。このときの物財の値下げは、貧困化した労働者の恵みとなる。ただ上記と同形式の拡大再生産が持続するなら、労働者の貧困化も同じく持続する。しかし支配者と違い、支配される者は搾取規模の拡大を望まず、支配者に対して安定した搾取を期待する。この支配者と被支配者の双方の思惑が、支配者による定量搾取を実現する。それが実現するのは、余剰生産物の拡大再生産ではなく、定量の余剰生産物を必要生産物に含む形の単純再生産である。ここでの定量の剰余生産物は、労働者の人間生活を維持するための必要経費の如く現れる。
(2023/12/03)
続く⇒第四章(2)不変資本導入と生産規模拡大 前の記事⇒第三章(6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
数理労働価値
序論:労働価値論の原理
(1)生体における供給と消費
(2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
(3)供給と消費の一般式
(4)分業と階級分離
1章 基本モデル
(1)消費財生産モデル
(2)生産と消費の不均衡
(3)消費財増大の価値に対する一時的影響
(4)価値単位としての労働力
(5)商業
(6)統括労働
(7)剰余価値
(8)消費財生産数変化の実数値モデル
(9)上記表の式変形の注記
2章 資本蓄積
(1)生産財転換モデル
(2)拡大再生産
(3)不変資本を媒介にした可変資本減資
(4)不変資本を媒介にした可変資本増強
(5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
(6)独占財の価値法則
(7)生産財転換の実数値モデル
(8)生産財転換の実数値モデル2
3章 金融資本
(1)金融資本と利子
(2)差額略取の実体化
(3)労働力商品の資源化
(4)価格構成における剰余価値の変動
(5)(C+V)と(C+V+M)
(6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
4章 生産要素表
(1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
(2)不変資本導入と生産規模拡大
(3)生産拡大における生産要素の遷移
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