5.通貨政策
労働価値論では、需給関係が商品価格を規定すると見るのを錯覚に扱う。商品価格を規定するのは、その再生産に必要な労働力量であり、労働力の再生産に必要な生活資材の塊の大きさが労働力の大きさを規定する。商品価格がその再生産価格を上回る場合、それは商品の供給増と需要減に連繋し、商品価格がその再生産価格を下回る場合、それは商品の供給減と需要増に連携する。また商品価格は、自らの再生産に必要な労働力量の増減に応じて、その再生産費用を増減させる。どのみち需給関係は、商品価格をその再生産価格に収斂させる役目を果すだけで、商品の再生産価格を決定する立場にいない。もしくは副次的に商品の再生産価格を規定するだけである。そしてこの商品価格と同じ理屈は、通貨価値にも該当する。ただし通貨価値を規定するのは、労働力の大きさそのものである。なぜなら貨幣は等価物であり、その表現するものは労働力だからである。すなわち本来の等価物は労働力であり、貨幣はその単なる代理品にすぎない。もちろんこの労働力の大きさを規定するのは、労働力の再生産に必要な生活資材の塊の大きさである。通貨価値が必要生活資材塊の大きさを上回る場合、それは通貨の供給増と需要減に連繋し、通貨価値が必要生活資材塊の大きさを下回る場合、それは通貨の供給減と需要増に連携する。また通貨価値は、労働力の再生産に必要な生活資材塊の大きさの増減に応じて、その大きさを増減させる。どのみちここでも需給関係は、通貨価値を必要生活資材塊の大きさに収斂させる役目を果すだけで、必要生活資材塊の大きさを決定する立場にいない。もしくは副次的に必要生活資材塊の大きさを規定するだけである。 一方で近代経済学は、労働価値論と違い、このような需給関係が商品価格を規定するという勘違いを、勘違いとみなさない。その経済学の理屈は、さらに通貨供給量の増加が直接にマネーフローの増加になるとの勘違い、および金利の低下が市中の通貨供給量の増加になるとの勘違いへと組み合わさり、金利操作を通じた小手先の経済政策に国家を終始させる。そしてその経済政策が景気改善をもたらさなければ、国家に無制限の金利の低下を進めさせ、さらには無制限の通貨供給量の増加を仕向けるようになった。しかしそれが本当にマネーフロー増加へと連繋するかどうかは、肝心の経済実体の再構築を進めないのであれば、かなり怪しい話である。バブル崩壊後の日本では、市中金利は公定金利に連動して低下せず、長期に渡る低金利政策でも消費は増えなかった。それどころか銀行の貸し渋りや貸しはがしを通じて、むしろ闇金利は高騰を続けた。そして増加した通貨供給は、もっぱら貨幣の死蔵に終り、マネーフローは増加しなかったからである。おまけに不況克服のために政府が進めた経済改革は、労働力市場の自由化と銘打った各種の労働者保護規制の撤廃である。もちろんその目指したものは、雇用環境の劣化による国内人件費の低廉化であった。国内人件費の低廉化は、不況克服の方向性として妥当な選択である。しかしその実現は、雇用環境の劣化を通じて行なわれるべきものではない。雇用環境の劣化が正当な経済政策であるなら、教育や医療、年金などの全ての国民福祉の分野を切り捨てることも正当な経済政策になる。なるほどそのような経済政策を実現すれば、途上国並みの国内人件費の低廉化も夢ではないかもしれない。しかし国民の総貧困化をもって景気回復の成就と考えるためには、労働者の貧困化をよそにして富裕化する一つの階級の立場に立つ必要がある。また実際にその事を示すかのようにこの政権は、雇用環境の劣化政策を改革路線と位置付け、改革に対抗する側を既得権益に固持する抵抗勢力とみなした。当時の国民は政権が示した「改革」の文字を勘違いし、この雇用環境の劣化政策を受け入れた。国民が後から気づいたことは、自分たちが富裕化する階級の側にいなかったことである。もちろんこの政策は、景気回復を実現していない。しかし政権側は、景気回復を実現したと吹聴している。実際にはその後のどの政権も、日本経済の構造的不況が続いているのを自覚しており、景気回復をしなかったのは歴然となっている。今ではこの政策は、日本に格差社会を確立させた悪行として理解されている。この悪行は、労働力市場の自由化において旧時代の中間搾取を復活させただけであり、実際には国内人件費の低廉化にも失敗している。なぜなら人件費は低廉化せず、中間搾取のピンハネが入る事で、ただ単に労働力売買の末端に現れる最終的な労賃だけが縮小したからである。 現在の日本経済が抱えた構造的不況の基本問題は、産業の空洞化にある。この空洞化の原因は、国内人件費の高騰にある。国内人件費の高騰は、商品の価格競争において日本の製造業を対外的に劣勢に置く。結果的に安い人件費を求めて国内資本は海外に移転し、それに伴って雇用は失われる。そして少なくなった雇用を国外労働者と国内底辺層が奪い合いをする。このような日本経済の現状は、雇用環境の劣化とともに労働者の消費支出も減退させ、物価下落が進んでも商品が売れないデフレ不況の状態に扱われている。このデフレ状態を支える大きな要素に日本円の通貨高がある。円高ゆえに日本商品の国際競争力は減退し、国内生産資本は国外に脱出し、産業空洞化が進む。ただし本稿の冒頭から述べてきたように、円高そのものはこのような産業空洞化の真の原因ではない。そのことは、バブル景気に湧いた20世紀末の日本が同様の円高だったことでも示され得る。通貨価値の正体は労働力価値であり、労働力価値の正体は人間生活に必要とされる生活資材塊である。したがって円高も産業空洞化も、ともに国内労働力の対外的割高を原因にしている。結局それらは、日本における一般的な必要生活資材塊の対外的巨大化を原因にしている。そしてその巨大化の原因には、必要生活資材塊のうちに占める対外的に見て巨大な非生産的経費が鎮座している。その非生産的経費が労働力価値を冗長的に増大させ、国内労働力の対外的割高をもたらし、円高と産業空洞化を通して、日本の構造的不況を形成しているわけである。もちろんその非生産的経費とは、地代である。 資本主義の延命を目指す場合、労働力価値に占める対外的に巨大な非生産的経費の軽減は必須事項である。すなわち地代の軽減、可能であるならそのゼロ化は、日本の構造的不況の真の克服を語るために避けられない課題である。 ちなみに他国における先進国不況の対処例として、国民福祉分野の充実を通じたマネーフローの円滑化と教育への意識的な国家的投資を進めた北欧社会民主主義の成功例がある。しかし未来永劫に続く形の放射能汚染を身中に抱え、既に巨額の債務を抱えた日本が、国民からの増税への理解を得て北欧諸国の真似をできるかと言えば、社会民主主義に敵対するアメリカ傀儡勢力への国民的支持が根強いこともあり、かなり難しい方向性である。死蔵貨幣がマネーフローとして貨幣市場に現れる前に、逆に福祉増税が通貨価値をさらに膨らませて、円高と産業空洞化をさらに加速させ、現状の構造的不況を悪化させることも予想される。一方で中国や韓国の場合、必要生活資材塊の内訳に手をつけることもなく自国の低廉な労働力価格の維持に努め、もしくは意図的な自国通貨の低廉化を進め、貿易による国内経済の活性化を進めるのを優先している。しかしこれは、本稿で述べてきた通貨価値概念からすれば、自国の労働力価格の低廉化を通じた国内経済の活性化であり、本末転倒した不思議な政策である。すなわち国民の総貧困化をもって国内経済の活性化を成就させようとする奇怪な政策である。もちろんこれは、労働者の貧困化をよそにして富裕化する階級の見解であり、その政策の成功は国内における格差社会の樹立と社会不安の醸成に帰結するだけである。すなわちそれは、先進国が自ら発展途上国へと経済史的退行を目指すだけの邪道な政策にほかならない。自国通貨の低廉化誘導は、必要生活資材塊からの非生産的経費の削除を通じ、労働力の軽量化をもって実現するのが正しい道筋である。そうではない自国通貨の低廉化誘導は、通貨高の先進国の存在を前提にした政策であり、言わば自国を先進国の影に扱うものである。影は本体の存在を前提にする。影は自らを影に扱う限り、永久に本体に成ることができない。すなわちそのような国は、一見華々しいのだが、せいぜい見た目が大きいだけの永久の二流国に留まる。 なお地代の軽減、可能であるならそのゼロ化については、以前の記事で既に述べている。=>(資本主義の延命策) (2013/11/10)
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