唯物論者

唯物論の再構築

補足4:商人資本

2010-11-16 18:01:54 | 資本論の見直し
商人資本の利潤もまた剰余価値である

 資本論において価格は、独占商品などの特別剰余価値実現のケースを除いて言えば、価値の現象形態にすぎない。商品価値は商品の再生産に要する労働力量であり、貨幣生産に要する労働力量を基準にして商品価値を表現したものが商品価格である。したがってその基本的見解は、商品価格と生産費用を等価とみなすものでなければいけない。一方で一般に利潤は、販売収入から生産費用を減じた分とみなされている。マルクスの言う俗流経済学では、利潤が持つこの外観により、商品価格と生産費用は等価ではなく、その差額が利潤になると考えていた。しかしそこには、人々がなぜ価値量の等しくないものを交換し、わざわざ利潤を特定の相手に献上するのかという謎が残った。商品交換が可能であるためには、交換する双方が互いに同等の利益を得ていなければおかしいはずである。つまり商品交換は、等価交換である必要がある。これについて剰余価値理論では、特定量以上の販売商品量を金額換算したものとして、この利潤を説明した。特定量とは生産のために支出した金額に相当する商品量である。つまり利潤とは、必要経費の残余なのである。言い直すと、資本主義とは資本家による剰余総取りの仕組みなのである。ともあれこの説明により剰余価値理論は、商品価格と生産費用を等価にするのに成功し、等価交換であっても利潤が発生するという謎を解決した。

 にもかかわらず資本論の第三巻で示されている価格理論には、この商品価格と生産費用の両者の関係に混乱が持ち込まれている。それは自らが非難し た俗流経済学の見解に、マルクス自身が飲み込まれていると言っても良い。第三巻で商人資本が得る利潤の分析を見ると、購入価格に利潤を上乗せする形で 販売価格を決める外観に、肝心のマルクスが捕らわれている。そこに剰余価値理論を見出すのは困難である。せいぜい想定した販売価格を割り込んで販売しても、購入価格を割り込まない限り、利潤が残ると言い張るのが関の山である。マルクスは、商人資本が産業資本から価値以下で商品を購入したと誤魔化すことで、等価交換を維持しようとしている。しかし商人資本が価値以下で商品を購入したとすれば、すでに等価交換は成立していない。このような論理的後退は、彼自身の剰余価値理論の破壊であり、労働力価値論の破壊に等しい。このようなマルクスの混乱のもとは、流通費が空費であり、商人資本における剰余価値は不可能であるという思い込みにある。この思い込みのせいで、マルクスは商人資本が得る利潤の説明に、旧来の利潤論を事実上復活させている。実際にはすでに示したように、空費としての流通費カテゴリーは存在せず、また商人資本と産業 資本を区別すること自体が不可能なのである。

 商人資本における剰余価値の実現例を以下に示す。

 例証にあたり想定する可変資本減少の前の資本主義社会の状態は、先行ページで想定したものと同じである。(==>過剰供給vs利潤減少 [例証で想定する資本主義社会の初期状態])

貧者A・B・Cの必要生産物(=労賃)および必要労働時間貧者A・B・Cの剰余生産物(=利潤)および剰余労働時間貧者A・B・Cの生産物全数および総労働時間
3人分の生活資材1人分の生活資材4人分の生活資材
18時間6時間24時間

可変資本比率 100%
人間生活維持に必要な労働時間 6時間
利潤率 33.33%


商人資本における剰余価値の実現例

 最初の想定での労働生産性を1.5倍向上させる。このため想定5の内容を以下の想定5bに変更する。

 想定5b) 8時間で1人の貧者は、2人分の生活資材を生産する。

 上記変更の想定5bと想定1の貧者数に従えば、全工程の生産物全数は6商品となる。しかしこれだけでは先行ページ(過剰供給vs利潤減少)と同一の変更内容と結果になるので、加えて最初の想定での生産工程を分離して、貧者の労働内容を特化させる。このため想定6の内容を以下の想定6cに変更する。

 想定6c) もとの資本構成の66.66%を第一工程部分、33.33%を第二工程部分に分離する。
        第一工程は第二工程の存在を前提にして未完成の生活資材を生産し、第二工程は第一工程の存在を
        前提にして完成した生活資材を生産する。
        したがって第二工程の資本構成に、第一工程の生産物が不変資本部分として現れる

 上記の想定6cに従えば、想定5bの内容も以下の想定5eになる。

 想定5e)  第一工程と第二工程の貧者数は、各々2人と1人である。
        第一工程では、8時間で2人の貧者が6人分の未完成の生活資材を生産する。
.        第二工程では、8時間で1人の貧者が6人分の完成した生活資材を生産する。
        したがって2人分の未完成の生活資材は、1人分の完成した生活資材と等価となる。

 この変更で、1日の商品生産での生産物と労働時間の内訳は、第一工程と第二工程でそれぞれ次のようになる。

(第一工程:可変資本2人) 
貧者2人の必要生産物(=労賃)および必要労働時間貧者2人の剰余生産物(=利潤)および剰余労働時間貧者2人の生産物全数および総労働時間
4人分の未完成生活資材2人分の未完成生活資材6人分の未完成生活資材
=2人分の生活資材=1人分の生活資材=3人分の生活資材
10時間40分5時間20分16時間


(第ニ工程:可変資本1人+不変資本(=未完成生活資材6人分))
貧者1人の必要生産物(=労賃)および必要労働時間不変資本に充当する必要生産物および必要労働時間貧者1人の剰余生産物(=利潤)および剰余労働時間貧者1人の生産物全数および総労働時間
1人分の生活資材3人分の生活資材2人分の生活資材6人分の生活資材
1時間20分4時間2時間40分8時間


 上記の第一工程と第二工程の内訳を分離しない場合、両工程は単純に同一作業工程上にあるものとなる。資本論の記述でも、分業を協業の発展形態に扱う。この意味では、工程ごとに資本を分割しない方が本来の内訳の姿でもある。逆に二つの生産ラインを分割しない方が、社会全体の必要可変資本量を理解するのに有利である。この場合、第一工程で作成した不変資本を第二工程で消費し尽くすものとして表示から除外できる。結果的に次のような内訳になる。

(第一工程と第二工程の内訳の統合)
貧者3人の必要生産物(=労賃)および必要労働時間貧者3人の剰余生産物(=利潤)および剰余労働時間貧者3人の生産物全数および総労働時間
3人分の生活資材3人分の生活資材6人分の生活資材
16時間8時間24時間


 貧者3人の1日の労働は、6人分の生活資材を生産している。つまり貧者3人の商品生産は、自分たち3人と富者1人の社会全体の需要を満たすだけでなく、単純な見方で良ければ、剰余生産物を3人分の生活資材に増加した形の単純再生産状態に拡大再均衡している。つまり労働生産性向上のおかげで富者は、以前より3倍の服を着込み、3倍の食事をし、3倍の家に住めるようになった。ちなみに全工程で見た場合と工程を分けて見た場合の可変資本比率・貧者一人当たりの必 要労働時間・利潤率・剰余価値率および貧者一人当たりの労働生産性・労働生産性向上率は、次のようになる。

全体第一工程第二工程
可変資本比率  50%  100%  25%
人間生活維持に必要な労働時間 4時間5時間20分1時間20分
利潤率  50%   50%  50%
剰余価値率 100%   50% 200%
労働生産性 2商品 1.5商品  6商品
生産工程分離による労働生産性向上率 1.5倍 1.125倍 4.5倍


なお富者が本当に裕福になるためには、上記の想定に加えて、次の想定7bを必要とする。

 想定7b) 富者は、1日あたり貧者3人分の生活を行う。

 上記の想定をしないと、もともと4人だけのこの資本主義社会だと、需要が4商品、供給が6商品の需給不一致が発生する。つまり、富者が6商品を市場に出しても、4商品だけが売れるだけであり、2商品が売れ残る。富者の手元に実体化する利潤は、相変わらず1人分の生活だけである。したがって富者は、裕福になるのに失敗する。ただしその場合でも資本主義も経済危機に陥るわけではなく、富者の恒久的な貧者支配も可能である。
 なお第一工程だけが生産性を向上した場合、または同じ事であるが、第一工程生産物の寿命が伸長した場合、剰余生産物が未完成の生活資材として現われる可能性がある。その場合、富者は未完成の生活資材を商品市場から引き取って消費するしかない。
 また富者の贅沢消費は、貧者の消費節約と違い、実行するのは簡単である。過剰供給と必要生産物量の需給ギャップに恐慌の原因を求めるのは、無意味である。想定7bに対応する資本主義が行う需給ギャップの克服方法を別の箇所(==> 過剰供給vs必要生産量)で述べる。

 上記に示した第二工程部分は、第一工程にとってすれば、第一工程生産物の単なる流通部面である。言い換えれば、第一工程の資本が産業資本だとしても、第二工程の資本は産業資本ではなく、商人資本である。したがって端的な場合、第一工程完了時点での生活資材の未完成とは、第一工程の現場に生産物が放置されていることだと了解してもらえば良い。言い換えると、第二工程を商品の単なる空間移動工程と了解してもらえば良い。上記内容が示すのは、商人資本における利潤もまた剰余価値だと言うことである。つまり商人資本における利潤は、マルクスの説明とは違い、産業資本の剰余価値を掠め取ったものなどではない。(2010/11/16 ※2015/06/29 ホームページから記事を移動)


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資本論の再構成
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           ・・・ 過剰供給vs利潤減少
           ・・・ 搾取人数減少vs利潤減少
           ・・・ 機械増加vs利潤減少
           ・・・ 過剰供給vs必要生産量
           ・・・ 労働力需要vs商品市場
           ・・・ 過剰供給vs恐慌
           ・・・ 補足1:価値と価格
           ・・・ 補足2:ワークシェア
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           ・・・ 補足4:商人資本
           ・・・ 補足5:貸付資本
           ・・・ あとがき:資本主義の延命策

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