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唯物論者

唯物論の再構築

数理労働価値(序論:労働価値論の原理(4)分業と階級分離)

2023-04-02 13:30:01 | 資本論の見直し

(2e)分業と階級分離

(2e1)分業と商業利益

 環境供給と自己自身供給の間の交換と違い、市場における生産者間の物財供給は、交換の双方にとって物財の等価数量比が不明瞭である。それゆえにここには交換における差額略取の可能性が生じる。しかし差額略取が可能となるためには、余剰供給が実在しなければいけない。単純に各個人において総計一致だけがあるなら、余剰供給も無い。その場合に差額略取はただの強奪として現れ、強奪は他の生産者を餓死させる。逆に余剰供給が実在するなら、差額略取は商業利益として実現する。この場合に差額略取だけで生活する商人が実在可能となる。ただこのような商業の捉え方は、商業一般を単なる詐欺集団に扱うものである。そして商業は人間の生活行動の業務分化の過程で生じる分業の一つであり、詐欺ではない。分業は第一に、等価交換の両辺に異なる直接的消費財の生産者を配置し、その消費財の交換を通じて双方の生活をより効果的に実現する。分業は第二に、等価交換の一方に直接的消費財の生産者を配置し、他方に生産に必要な間接的消費財の生産者を配置する。いずれの形態においても分業は、その消費財の交換を通じて双方の生活をより効果的に実現する。

(2e2)分業の根拠、および自由

 第二種の分業がもたらす間接的消費財は、各種生産のための道具である。そして商業サービスも、この間接的消費財に含まれる。ここで間接的消費財の生産者が労働に従事するのは、総計一致の必要に従う。単純に言えば、働かなければ生活できない現実に従う。ただしそれらの分業を可能にするのは、やはり余剰供給である。すなわち余剰供給が、直接的消費財の生産者の一角から間接的消費財生産が分化するのを可能にする。なおここで言う余剰供給は、生体維持のために消費されない無駄な供給を指す。またそのような必要のために消費される余剰供給は、そもそも余剰ではない。もともと生体において分化は、機能の必要で生じるよりも機能の無駄から生じる。生体は機能分化の必要があっても、機能分化のための余裕を持たなければ、機能分化できない。余剰供給が無ければ、供給と消費の総計一致から放逐された人間は餓死する。言い換えれば経済的余裕だけが人間の自由を可能にする。したがって余剰供給の存在が最初に用意する分化は、労働せずに消費する一群の自由な個人である。それら一群の個人が果たす労働は、余剰供給に対応する余剰消費だけである。それが分業として現れるのは、一部の個人が集団から分離した後の出来事である。そして商人の登場も、この後の出来事に含まれる。

(2e3)余剰消費

 先述の需給全体式1が表現するのは、最低限に生体を維持する生活である。その個人の全体は、自己自身の供給と自己の消費に限定されている。その全体の内容は、消滅と復活を繰り返す可変部分だけで構成される。しかしその中でも可変部分の全体は固定している。この区別は可変的な自己自身と区別される個人の固定的な自己を形式的に擁立する。その形式的自己は、固有な自己を自己自身と区別するのは、供給と消費の区別だけである。そして余剰供給が供給を消費と区別する。それは前提として供給(K+L)を必要消費Nより下回らせることができない。そこで先述の需給全体式1は次にようになる。

 環境供給量K+自身供給量L≧自己消費量N  …需給全体式2

ちなみに先の2C4)で指摘したように環境供給Kと自己自身供給Lは、同じものである。したがって両者を区別する繁雑さを避けるなら、上記式はさらに次のように集約すべきである。

 自身供給量L≧自己消費量N    …需給全体式3

さらに供給が常に自己自身による供給であり、消費が常に自己による消費であるなら、わざわざ供給について「自己自身供給」、または消費について「自己消費」と強調するのも繁雑である。やはり両者の記載を簡略するのなら、さしあたり上記式も次のように簡略記載すべきである。

 供給量L≧消費量N      …需給全体式4

一方で余剰は、まず供給の余剰として余剰供給である。しかしそれは消費されなければただの廃棄物である。したがって余剰はそれを消費する個人を必要とする。余剰はその消費を媒介にして、初めて余剰供給として現れる。この余剰供給は、それを消費する個人を通じて余剰消費Nrに転じる。余剰消費Nrは次のように導出される。

 余剰消費量Nr=供給量L-消費量N     …余剰消費式1


(2e4)余剰人員の成立

 もし消費の余剰Nrが一人あたりに必要な消費財の総量Nmに等しければ、少なくとも一個人の自己自身が必要な消費財を得られる。このときにその個人は、供給における自己自身の消滅を免れる。この消滅を免れた可変的な自己自身は、集団の固定的な自己となる。それは生活維持の必要から遊離した自由な個人であり、余剰人員である。以下はその余剰人員が現れるための条件式になる。また余剰人員の成立に伴い上記需給全体式4にもそれが反映する。なお自己のための余剰消費Nrが消費全体Nから分化すると、元の全体の必要消費Nが明確に自己自身のためだけの必要消費Nyに転じる。

 余剰消費量Nr≧個人消費量Nm      …余剰人員成立の条件式
 供給量L=消費量N
     =必要消費量Ny+余剰消費量Nr
     =個人消費量Nm×人数M      …需給全体式3


(2e5)供給全体における生活維持の必要部分と自由部分

 余剰人員の登場は、集団内部を生活維持のための必要部分とそうではない自由部分に分離する。そこで各部分の供給は、個人の生活維持のための必要消費Ny、生活維持から外れた余剰消費Nrの各部分の消費に対応して次のように分離する。

 必要部分自由部分全体
人数 必要人数My余剰人数Mr人数全体M
供給必要供給Ly余剰供給Lr供給全体L
消費必要消費Ny余剰消費Nr消費全体N

自由部分の余剰供給Lrは、供給Lから分離した余剰供給である。さしあたりこの自由部分の供給は、自由部分を含めた集団全体の生活維持を補完する。この消費に対応した供給の分離は、供給全体を次の形に生活維持の必要部分と自由部分に分離する。下記式右辺前項の必要供給量Lyは生活維持のための必要消費量Ny、後項の余剰供給量Lrは生活維持から外れた余剰消費量Nrに対応する。

 供給量L=必要供給量Ly+余剰供給量Lr  …供給全体の内訳式


(2e6)自由部分消費の固定化

 分離した自由部分の消費に上記の余剰人員の成立条件式を反映すると、需給全体式3は次の二式に分離する。

 必要供給量Ly=必要消費量Ny=個人消費量Nm×必要人数My  …必要部分の消費財総量式
 余剰供給量Lr=余剰消費量Nr≧個人消費量Nm×余剰人数Mr  …自由部分の消費財総量式

自由部分の供給は、もともとの充当された余剰消費に加えて自らの供給で肥大可能である。一方で自由部分に充当された余剰消費は、自由部分にとって既にその取得を権利とする。それゆえにここでの必要部分による消費財の提供も、既に任意ではなく譲渡である。その譲渡の形式は、強制と供物の両方として現れる。また自由部分が生体において果たす役割が、このような譲渡を可能にする。自由部分は集団内の決め事や調停、祭祀の宗教行事を行い、対外的な戦いで生体を統率する。その自由部分が果たす役割は、直接的な生活維持行動から分離した間接的生業である。この生業分離が、生活維持行動の全体を二部門の分業に分ける。上記の消費財総量式の分立は、この数理表現である。


(2e7)余剰供給の増大

 ここでの自由部分はまだ、必要部分が譲渡する余剰消費で生活する劣位個体である。言い換えれば自由部分は、必要部分のための手段、さらに言えば道具に留まる。それは必要部分を補完し、必要部分にサービスを提供する。それは必要部分の存立を前提し、集団全体の余剰供給があればそれを自己の消費に充当する。ところがこの自由部分の初期劣位は、その役割の形式的優位に矛盾する。その集団の統率者としての役割は、自由部分に必要部分を支配させ、むしろ必要部分を自らの劣位に措く。その背景には、道具なしに存立不能な必要部分の現実がある。すなわち今では統括者が無ければ、集団全体が存立できない。その集団における必要部分と自由部分の関係は、生体における肉体と意識の役割分担と変わらない。すなわち生命体が一度意識を得たなら、その生命体は今では意識なしに自らを存立できない。そしてその集団を統括する役割が、自由部分に権力を与える。この自由部分に与えられた権力は、自由部分の横暴を可能にする。その横暴は、自由部分が取得する余剰消費の増大に向かう。そのための余剰供給の増大手法は、供給に占める環境供給分Kの増大、自己自身供給分Lの増大の二系統で可能である。その二系統の増大手法は、以下の余剰供給の絶対的増大と相対的増大の二方向に現れる。ただしもっぱら環境供給の増大には自己自身供給の増大を必要とし、自己自身供給の増大には環境供給の増大を必要とする。したがって余剰供給の増大には、実際には二系統が両方とも使われる。なお先に環境供給Kと自己自身供給Lの同一を確認したが、ここでは増大方法を区別するために環境と自己自身の区別を復活させて記載した。

(2e7a)余剰供給の絶対的増大

 環境供給を増大するためには、従来方法の環境世界からの供給取得方法を超えた取得能力の増大、または供給取得方法の改善が必要である。ここでさしあたり供給取得方法の改善を無視すると、取得能力の増大が環境供給の増大のために必要となる。その単純な方法は、必要部分が行う環境世界からの供給取得の時間的空間的増強である。それは必要部分の肉体的酷使により実現される。それは供給全体(K+L)を増大し、消費全体(Ny+Nr)を増大させる。この増強にあたり必要部分の消費財量Nyが変わらなければ、自由部分の消費財量Nrは増大する。ここで環境供給の増大分をKαで表現すれば、余剰供給の増大は余剰消費式1を次のように変える。これにより自由部分の消費財量Nrは、旧来の余剰消費を超えた消費を可能にする。なおこの方法は、次の自己自身供給の減少と違い、消費の減少を伴わない。すなわちさしあたりそれは、直接に自己自身の必要部分を損耗させない。しかし必要部分の肉体的酷使は、どのみち必要部分の損耗に帰結する。

 余剰消費量Nr=環境供給量K+自身供給量L-消費量N+環境供給増大分Kα  …余剰消費式2
        >環境供給量K+自身供給量L-消費量N            …旧来の余剰消費

(2e7b)余剰供給の総相対的増大

 自己自身供給の増大は、自己自身の増大が必要である。しかし必要部分の肉体も個体数も急激に増大するものではない。つまり自己自身供給の増大はできない。しかし自由部分の目論見は、総量としての自己自身供給の増大ではなく、自由部分に対する自己自身供給の増大である。それゆえに自由部分の横暴は、自己自身供給分Lの内訳(Ly+Lr)に占める必要部分Lyを人為的に減少し、必要部分Lyを減少させる。この増強にあたり必要部分の消費財量Nyは減少するので、自由部分の消費財量Nrは増大する。自己自身供給の減少分をLαで表現すれば、余剰供給の増大は余剰消費式1を次のように変える。これにより自由部分の消費財量Nrは、旧来の余剰消費を超えた消費を可能にする。なおこの方法は、前の環境供給の増大と違い、自己自身消費の減少を伴う。すなわちそれは、直接に自己自身の必要部分を損耗させる。それは集団における必要部分に貧窮と飢餓をもたらす。

 余剰消費量Nr=環境供給量K+自身供給量L-(消費量N-自身供給減少分Lα) …余剰消費式3
        >環境供給量K+自身供給量L-消費量N            …旧来の余剰消費


(2e8)自由部分からの間接的必要部分の分離

自由部分の初期劣位とその役割の形式的優位の矛盾は、自由部分における役割の対立となって自由部分を内部分裂させる。その自由部分の一方は、自由部分が本来担っていた必要部分の補完とサービスを行う部門に純化する。それは自由部分における可変部分と供給者の再分離でもある。そして自由部分の他方を成す消費部分は、余剰消費を享受する不労部分に純化する。ここでの前者が果たす役割は、必要部分を補完する本来の自由部分である。それゆえにその生産する生活消費財も、資本構成において固定部分を成す。そして当然ながらその自由部分も、余剰消費に見合う役割を果たす。それゆえにこの自由部分の消費は、既に余剰消費ではない。それゆえにこの新たな必要部分は、自由部分でありながら、自らを供給者に純化する。ところが逆にその有意が、この新たな必要部分を自由部分から放逐する。そしてこの純化した供給者を放逐することで、自由部分は自らを余剰供給の消費者に純化する。とは言えこの新興の必要部分は、既存の必要部分とも区別される。それは直接的消費財の生産ではなく、間接的消費財の生産を行う。要するにその間接的消費財は道具であり、手段にすぎない。しかし新旧の必要部分は、生活消費財の生産における目的と手段として相互に依存し合う。これにより集団における経済行為は、以下の三部門に分離する。

 第一部門…直接的消費財の生産を行う必要部分
 第二部門…間接的消費財の生産を行う必要部分
 第三部門…生活消費財の生産から遊離して余剰消費を享受する自由部分


(2e9)必要部分からの自由部分の再分離

 自由部分における内部分裂と同様に、必要部分に余剰供給が生じれば、それに対応する可変部分と固定部分の再分離が、必要部分の側にも生じる。この第一部門における新興の第三部門の分化は、旧来の第一部門において再発した自由部分の分化である。したがっていずれの分化も余剰供給の増大を条件にして生じる。その固定部分は、先の新興の必要部分が既存の必要部分に合流しないのと違い、新興の自由部分として既存の自由部分に合流する。さらにこれとほぼ同じ第三部門の分化は、第二部門の中でも生じる。それゆえにこれら三部門の分化は次の樹形図のような分化を辿る。なお統率者としての役割を果たす職務は、第二部門に含まれる。しかし余剰消費から切り離れた第二部門の生活は、第一部門と同様に個体あたりの消費財に拘束される。その生活的不自由は、専門職としての統率者を第三部門に屈服させる。それどころかむしろその屈服と隷属は、第二部門の統率者の職務でさえある。

部門全体┬第一部門┬第一部門┬第一部門…
    │    │    └第三部門…
    │    └第二部門┬第二部門…
    │         └第三部門…
    └第二部門┬第二部門┬第二部門…
         │    └第三部門…
         └第三部門┬第二部門…
              └第三部門…

(2e10)集団の権力支配の確立

 もともと必要部分から分離した自由部分は、必要部分に必要な道具を生産し、それ自身が必要部分の道具である。このことは自由部分から分離した第二部門においてさらに顕著になる。その道具の姿態は、農耕器具や船舶などの工作形態でも良いし、木材や鉱物のような資源形態でも良いし、流通や家内労働のようなサービス形態でも良い。したがってその道具にはさらに部門全体の統括職務や軍事組織さえも含まれる。それらは労働生産物であり、同じ労働生産物として第一部門の労働生産物と交換される。そしてその交換により第二部門は、第一部門と同等の必要部門となる。ここでの第一部門と第二部門の差異は、消費財の生産に対して直接的であるか間接的であるかに従う。しかしその差異は相対的であり、むしろ第二部門の登場に応じて第一部門は、例えば農業や漁業、あるいは牧畜業として純化する。一方で第二部門における統率者は、第一部門と第二部門の必要部分の全体を統括する。そしてその限りの権力を持つ。他方で第一部門の補完業務が第二部門に移行するに伴い、第三部門の業務内容は空虚になる。この第三部門の空虚を埋めるのは、第一部門と第二部門に対する優位だけである。それゆえに第三部門は、さしあたり自らの業務を部門全体の統括職務や軍事組織を目指す。しかしその第三部門の業務も、部門全体の維持にとって必要であるなら、それは第三部門ではなく既に第二部門である。それゆえに第三部門は、やはり無内容な絶対権力を自らの本分とする。その純化した姿は、部門間の序列の頂点に立って有効な生産活動を一切行わない支配層である。第二部門の統率者は第三部門の従僕たることを自らの職務とし、第三部門の絶対権力の現実的な力を成す。支配を職務とする第二部門の統率者、および自力支配を目指す第三部門は癒合し、集団全体の支配機構が完成する。


(2f)各部門の消費財総量式

 第三部門は第一部門から分離して、第一部門に必要な生活消費財の残余を独占する。さらにこの残余の内から第三部門は第二部門を分離して、第二部門に必要な生活消費財の残余を独占する。一方で供給の全ては、価値単位としての個人消費量Nmに転じる。そこで各部門の消費財総量式は、次のようにまとまる。
なお表記記号を次のようにしている。
 ・左大文字 N:消費、L:供給、M:人数
 ・右小文字 f:第一部門、w:第二部門、
       r:剰余(fr:第一部門対応分、wr:第二部門対応分)
       m:価値単位(一人あたりに必要な消費財)

 第一部門消費量Nf=個人消費量Nm×第一部門人数Mf
          =第一部門供給量Lf-(第二部門供給量Lw+第一部門剰余消費量Nfr)
          >第一部門供給量Lf               …第一部門の消費財総量式
 第二部門消費量Nw=個人消費量Nm×第二部門人数Mw
          =第二部門供給量Lw-第二部門剰余消費量Nwr
          >第二部門供給量Lw               …第二部門の消費財総量式

上記式から第一部門と第二部門が第三部門に譲渡する消費財総量は、第一部門剰余Nfrと第二部門剰余Nwrの合計になる。そしてそれは上記の第一・第二部門の消費財総量式の不等式を含む。
 第一部門剰余Nfr=第一部門供給量Lf-第二部門供給量Lw-第一部門消費量Nf
 第二部門剰余Nwr=第二部門供給量Lw-第二部門消費量Nw
 剰余消費全体Nr=(第一部門供給量Lf-第二部門供給量Lw-第一部門消費量Nf)+(第二部門供給量Lw-第二部門消費量Nw)
         =第一部門供給量Lf-第一部門消費量Nf-第二部門消費量Nw
         >余剰供給量Lr                  …第三部門の消費財総量式


(2g)総計一致の崩壊

 もともと供給と消費の全体は、双方が一致する総計一致から始まる。したがって上記の各部門の消費財総量式を合算すると、この一致が第一部門供給総量にまとまる。

 第一部門消費量Nf+第二部門消費量Nw+剰余消費全体Nr=(第一部門供給量Lf-(第二部門供給量Lw+第一部門剰余Nfr))
                             +(第二部門供給量Lw-第二部門剰余Nwr)+(第一部門供給量Lf-第一部門消費量Nf-第二部門消費量Nw)

第三部門の消費財総量式より、第一部門供給量Lf-第一部門消費量Nf-第二部門消費量Nw=剰余消費全体Nrなので
 第一部門消費量Nf+第二部門消費量Nw+剰余消費全体Nr=第一部門供給量Lf+(第一部門供給量Lf-第一部門消費量Nf-第二部門消費量Nw)-剰余消費全体Nr
                             =第一部門供給量Lf

ところがこの合算式は一人あたりに必要な消費財総量において、第三部門の消費財総量式の不等式を含む。それが表現するのは、総計一致のずれである。

 第一部門消費量Nf+第二部門消費量Nw+剰余消費全体Nr=第一部門供給量Lf
                             >個人消費量Nm×第一部門人数Mf+個人消費量Nm×第二部門人数Mw+個人消費量Nm×余剰人数全体Mr
                              =個人消費量Nm×(第一部門人数Mf+第二部門人数Mw+余剰人数全体Mr)

ここでの総計一致のずれが表現するのは、単純に言うと、生産された消費財の無駄である。その消費財の無駄は、販路の拡大を必要とする。もし販路の拡大ができなければ、それに対応する不必要な供給は、余儀なく縮小する。ただしそれは販路の拡大が無い限りで、個体あたりに必要な消費財総量を増大させる効果を併せ持つ。したがって総計不一致は集団全体の生活に対し、供給の縮小において負の影響を与え得るし、逆に消費の増大において正の影響を与え得る。その不均衡は経済全体の運動を、各部門および部門内の異なる生産部位の力関係で決定する。

(2023/03/31)
続く⇒第1章:基本モデル   前の記事⇒序論(3)供給と消費の一般式

数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
  2章 資本蓄積
      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
      (4)不変資本を媒介にした可変資本増強
      (5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
      (6)独占財の価値法則
      (7)生産財転換の実数値モデル
      (8)生産財転換の実数値モデル2
  3章 金融資本
      (1)金融資本と利子
      (2)差額略取の実体化
      (3)労働力商品の資源化
      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
      (6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
  4章 生産要素表
      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
      (3)生産拡大における生産要素の遷移
      (4)二部門間の生産要素表
      (5)二部門それぞれにおける剰余価値搾取


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