風の声

想いつくまま

時代錯誤の相撲協会の象徴が「女人禁制」だ

2018年04月06日 | 日記
救急救命した看護師に「土俵からおりて」のアナウンスに波紋は広がっている。

舞鶴市での大相撲の春巡業で、くも膜下出血で土俵に倒れた市長への救命措置でのこと。
土俵への「女人禁制」を今も続ける相撲協会だが、さすがに謝罪したようだ。

そりゃそうだろう、看護師さんの人命救助に女人禁制もへたくれもない。

だが、相撲協会の謝罪は「アナウンスの不適切」を謝罪しただけ。
その後、土俵に塩をまいて「清め」を行った相撲協会の考えこそ、改めるべき。
「清め」と「女人禁制」には「女性が穢れている」という時代錯誤の発想がある。

それをごまかそうと、「女人禁制」は相撲の「伝統」だと言い張る。

相撲は神事ではない。
スポーツとしての公益性で法人認可をとり経営をしているスポーツ団体にすぎない。
それなのに、都合によって、「伝統」をいい、「国技」といい、スポーツだと言い換える。

もし、首相が女性になったら、優勝力士への総理大臣賞の授与は土俵下でさせるのだろうか。

かつて、数々あった女人禁制は時代と共にほとんど廃止されてきた。
富士山も高野山もそうだったが、女人禁制を廃止したからといって、何の不都合もない。
女性が「穢れている」とする間違った古臭い考え方が、恥ずかしくはないのだろうか。

そんな、恥ずかしい無知を日本の「伝統」などと言ってほしくない。

それとも、力士たちは「お父さんから産まれた」とでも言いたいのだろうか。
命を育んでもらい、命がけでお産してくれた母親の偉大さに、謙虚に感謝しろよ。

時代錯誤の角界の象徴が「女人禁制」だ。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« おくゆかしい国民性は時に罪深い | トップ | 大谷翔平、今日もホームラン! »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事