松山市東方町にある常夜燈9基のうちの残り3基の紹介です。
(養下池の土手の常夜燈について加筆しました。H27.8.5)
7つめ、柿木集落の常夜燈。東方町1797番地あたり。
六丁集会所の十字路、東西に走る道を東へ向かって500メートルくらい。
柿木の常夜燈は、道の左側の角に建っていて、いい目印になります。
竿石の下にあるはずの台石はコンクリートの基礎と一体化しているのかも。
この常夜燈の写真は東向きで撮影しています。同じ位置から振り向いて西を見ると…
この道が六丁集会所に続いています。砥部町方面の山並みが見えます。
久谷地区は伊予郡砥部町と東温市に挟まれています。
8つめ、政友集落の常夜燈。また東を向いて、その先、150メートルほど行くと、
道の右側に政友集会所があります。
このブロック塀の中、前庭の角に建っています。
大きな笠石ですが、その上にペタンと載っている感じの平たい玉石です。
東方町、最後の9つめ。
政友集会所のところを南北に走っている道を南へ進みます。500メートルくらいのところにある、大きな住宅団地:もちの木団地の入り口を左に見ながら通過すると、池の土手が2つ、3つ、見えます。大きな池です。
そう、最後の常夜燈は集落にはありません。ため池の土手にあるんです。
あれかな??
車では近づけません。歩いてなら・・・?
行けそうな感じ。。。正面左側が養下池(ようかいけ)の土手。右側は長生池の土手。
あー 残念。
7月のこの日は草が伸びてて、草むらに踏み込んだとたんに「ガサッ」と音が! 蛇かも。。。危ないので装備なしでは常夜燈の近くへ寄れません。
あー、土手の上に常夜燈が見えるのに。。。
9つめ、養下池の土手の常夜燈の貴重な写真。
どういう経緯で池の土手に常夜燈があるのか、聞き合わせてみなければ。。。
(以下、8月5日に加筆)
荏原公民館長さんが地域の方に聞いて調べて教えてくれました
「あの辺は昔は金毘羅さんへ行く『金毘羅街道』だったそうだよ。だから常夜燈に金毘羅さんの「金」の字が彫ってあるんだって。」
…そうか、車のない時代は道も今と全然違うところを通っていたのかも。養下池は館長さんが子どものころにはすでに今の様子だったそうで、もっともっと昔に作られた稲作用のため池です。池の土手を歩いて金毘羅さんへ行くのは分かりやすい道だったのでしょう。
最後に、常夜燈まつり担当が冬季に撮影した周辺の写真を披露
養下池の土手の常夜燈の近くへ行ってみたい方は、どうぞ、草の枯れている時期にお越しください。この写真は北西向き。右側に、もちの木団地が見えています。
「久谷の里山(写真のページ)」で紹介されているマップです。(「小石」「政友」「養下池」等、少々、手直しさせていただきました)
以上で東方町の9基の常夜燈の位置が確かめられました。
次回は津吉町の常夜燈(3基)を紹介します。
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