まず、荏原地区・東方町にある2基を紹介します。
ひとつめ、東方町341番地あたりの井関集落にある常夜燈。(荏原公民館-井関分館の近くです)
久米方面から久谷大橋を渡って久谷地区に入り、1㎞程度進み、県道207号線の旧道との三叉路を左斜め前に続く旧道へ。さらに南進。荏原小学校前を通過して、見通しの悪い五差路を左斜め前へ入り、もう少し南進。道の左側に三島神社。ちょっと先で道が三叉路になっていますが、左斜め前の旧道へ入ってもう少し南進。そのあたりが井関集落。そこの左手に消火栓と一緒に立っています。
(もっと遠景で撮ろうとしたら近くの家のお風呂を焚く煙が漂ってきて撮影困難に)
弘化3年(1846年)建立。
この文字の意味については「久谷の里山(写真のページ)」から解説を引用させていただきます。
≪以下引用≫
石に「金」「三」「石」という文字が見られる。
「金」は金比羅さん、「三」は三島神社、「石」は石鎚さんを意味する。これ以外に、「氏」があるがこれは氏神さんのこと。
そういったものを大切にして家内安全や組内の安全を願ったものであろう。
常夜灯は、本来、石に刻まれている金比羅山、三島神社、石鎚山、氏神さんの方向に向けられていた。
なるほど、ただの街灯ではないんですね。
ふたつめ、東方町204番地あたりの矢谷集落にある常夜燈。
井関の常夜燈のあったところから、旧道をさらに南進して県道207号線と合流するところ。
(県道207号線の右手に御坂川がありますが、その向こうに久谷中学校が見える辺りの道の左側です)
旧道と新道が合流するところに、よく見えるように立っています。
天保4年(1833年)建立。
県道を窪野町方面へ走っていると、よく見える場所に立派に建っているので、常夜燈に関心を持つきっかけになる、矢谷の常夜燈です。
石に掘られている文字を見やすくするための絵を準備しました。(常夜燈担当)
久谷地区に点在する常夜燈。近くを通ったときはチラッと気にして見てみてください。引き続き、2基~3基ずつ、紹介していきます。
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