神学講座は、今日2月1日は、F・カー著『二十世紀のカトリック神学』の第10章「カロル・ヴォイティワ」に入りました。極寒の月曜日にもかかわらず参加者は20名を軽く超えていました。だが男性は4名のみで、講演会はまるで婦人会の例会みたいな雰囲気でした。なぜ、高齢女性は神学に興味を持つのだろう。どなたか教えてください。
さて、ヴォイティワです。一般的には、在位27年、初のポーランド生まれの教皇、ヨハネ・パウロ二世として知られている。「空飛ぶ教皇」と言われたヨハネ・パウロ二世はエキュメニズム運動の旗手として知られている。多くの国を訪ね、多くの宗教指導者と交わった。そのため、かれがヴィオティワとして優れた神学者・哲学者であったことはあまり知られていないようだ。次のベネディクト16世が教皇としてよりは神学者として名を馳せていたのに比べればその神学的影響力は少しは劣るのかもしれないが、かれは個性的な神学者であったようだ。従って本書の著者F.カーは、教皇としてのヨハネ・パウロ二世の活躍が、かれの神学者としての基板の上にあったことを明らかにしようとする。つまり、教皇としてのヨハネ・パウロ二世はヴィオティワの神学の特徴の理解なしに全貌を把握できないと考えているようだ。
教皇としてのかれの活動は結局はエキュメニズムにつきるといえそうだ。日本に来られたのもついこの間の出来事のように思える。あの激しいほどの教会一致運動への思い入れは、かれの終生の課題であった「教皇庁改革」のためであったという。他宗教の理解と協力を使って教皇庁を改革しようとした。これが数度のわたる暗殺の危機を招いた一因であろう。神学的に言えば、「教皇制」と「司教制」の対立の解決なしに、プロテスタント・正教会などとの教会一致は難しいということは誰の目にも明らかだからだ。結局は俺たちカトリックが一番数が多くて、強くて、偉いのだから、おまえ達は俺たちのところへ来い、つまり教皇が一番偉いのだ、という考え方が消えない限り、教会一致など夢のまた夢であることを、ヴォイティワは知っていたのだと思う。
さて、ヴォイティワの神学である。かれの神学は結局はトマス主義ではない点に最大の特徴があるようだ。十字架の聖ヨハネに関する学位論文のメンターはシェニュと同様にラグランジュだったという。反動的神学者と名の通っていたラグランジュのもとで勉強したのだからトマス主義の影響が無いとは思えないが、非トマス主義こそヴィイティワの神学の特徴のようだ。著者カーはかれの神学を「現象学・主体性論」に基づいていると特徴付けている。J・マリタンやM・シェーラーの強い影響を読み取れるという。かれの主著『行為するペルソナ』(1978)では、神を「対象」として語ることを拒否しているという。回勅『信仰と理性』もポスト・デカルト的な主体性論が強いという。
かれのペルソナ論はとても興味深い。「ペルソナとは、環境に反応し、他者と相互に影響し合い、常に既に<世界の中>にある存在である」(279頁)と言っている。つまり、ペルソナは「唯我独尊的なものではなく、決して内部に孤立させられ得ない社会的な存在である。」これは社会学でいえば社会的行為論である。ただ、「行動主義的な」ペルソナ概念は無神論的だからとらないという。行動主義は無神論だからだめだというのはちょっと論理が飛躍しているが、ペルソナが社会的存在であることを強調するのはヴォイティワの特徴なのであろう。また、このような主張は厳格なトマス主義者には受け入れがたいものであったろう。
かれの現象学への傾斜は、かれの神学的人間論と呼ばれる神学の分野にもみられるという。具体的には「身体の神学」とよばれる。具体的には、婚姻や性差についての神学である。婚姻性論とは、男女間の婚姻と、キリストと教会との婚姻、とをパラレルに論じることを意味する。離婚や堕胎・中絶に関する教会の教えはこの文脈におかないと正しく理解できないという。H神父様は「神の自己譲与」説がこの二つを結びつけていると説明された。例えば、「教会はキリストの花嫁」だから、「異性間の」結婚は教会とキリストの一致を示す秘跡のしるしとなるという説明である。こういう議論はカトリック信者にはなるほどとうなずける説明だが、信者以外の者には、キリストと教会との婚姻、なんてなんのこと、と理解できないのではないだろうか。H神父様もいまだ残存する婚姻神秘主義論には「参った」という感じであった。
著者カーは、本論文を不思議な文章で結んでいる。「教皇の逝去と共に、その教えはまもなく忘れ去られるものである。」これは、ヴィオティワのエキュメニズム論、教皇制論、神学的人間論などは長続きしないという意味なのであろうか。具体的には、フェミニズム運動、解放の神学、宗教的多元主義、などの新しい神学的課題にヴォイティワの神学では応えられない、ということなのであろうか。
H神父様は、ヨハネ・パウロ二世の神学の特徴は「神の自己譲与]論にあるという。ごの言葉の神学的意味および理解は、次章「ヨゼフ・ラッツィンガー(ベネディクト16世)」や、現フランシスコ教皇様の考え方の特徴を知る重要な論点なので、次回改めて考察してみたい。
また、社会学を学んだことのある者としての印象で言うと、ヴォイティワのペルソナ論は、まるで晩年のT・パーソンスの「社会的行為論」を彷彿させるものだった。これはこれで、パーソンスに「超越性」への視点があったのか、実証主義にとどまっていたのか、という難問につながるのでここでは深入りできない論点だが、近代社会科学の認識論がこれほどまでにトマス主義的な存在論から遠く離れてヴォイティワの神学に影響を与えていたことに、ただただ驚くのみである。
さて、ヴォイティワです。一般的には、在位27年、初のポーランド生まれの教皇、ヨハネ・パウロ二世として知られている。「空飛ぶ教皇」と言われたヨハネ・パウロ二世はエキュメニズム運動の旗手として知られている。多くの国を訪ね、多くの宗教指導者と交わった。そのため、かれがヴィオティワとして優れた神学者・哲学者であったことはあまり知られていないようだ。次のベネディクト16世が教皇としてよりは神学者として名を馳せていたのに比べればその神学的影響力は少しは劣るのかもしれないが、かれは個性的な神学者であったようだ。従って本書の著者F.カーは、教皇としてのヨハネ・パウロ二世の活躍が、かれの神学者としての基板の上にあったことを明らかにしようとする。つまり、教皇としてのヨハネ・パウロ二世はヴィオティワの神学の特徴の理解なしに全貌を把握できないと考えているようだ。
教皇としてのかれの活動は結局はエキュメニズムにつきるといえそうだ。日本に来られたのもついこの間の出来事のように思える。あの激しいほどの教会一致運動への思い入れは、かれの終生の課題であった「教皇庁改革」のためであったという。他宗教の理解と協力を使って教皇庁を改革しようとした。これが数度のわたる暗殺の危機を招いた一因であろう。神学的に言えば、「教皇制」と「司教制」の対立の解決なしに、プロテスタント・正教会などとの教会一致は難しいということは誰の目にも明らかだからだ。結局は俺たちカトリックが一番数が多くて、強くて、偉いのだから、おまえ達は俺たちのところへ来い、つまり教皇が一番偉いのだ、という考え方が消えない限り、教会一致など夢のまた夢であることを、ヴォイティワは知っていたのだと思う。
さて、ヴォイティワの神学である。かれの神学は結局はトマス主義ではない点に最大の特徴があるようだ。十字架の聖ヨハネに関する学位論文のメンターはシェニュと同様にラグランジュだったという。反動的神学者と名の通っていたラグランジュのもとで勉強したのだからトマス主義の影響が無いとは思えないが、非トマス主義こそヴィイティワの神学の特徴のようだ。著者カーはかれの神学を「現象学・主体性論」に基づいていると特徴付けている。J・マリタンやM・シェーラーの強い影響を読み取れるという。かれの主著『行為するペルソナ』(1978)では、神を「対象」として語ることを拒否しているという。回勅『信仰と理性』もポスト・デカルト的な主体性論が強いという。
かれのペルソナ論はとても興味深い。「ペルソナとは、環境に反応し、他者と相互に影響し合い、常に既に<世界の中>にある存在である」(279頁)と言っている。つまり、ペルソナは「唯我独尊的なものではなく、決して内部に孤立させられ得ない社会的な存在である。」これは社会学でいえば社会的行為論である。ただ、「行動主義的な」ペルソナ概念は無神論的だからとらないという。行動主義は無神論だからだめだというのはちょっと論理が飛躍しているが、ペルソナが社会的存在であることを強調するのはヴォイティワの特徴なのであろう。また、このような主張は厳格なトマス主義者には受け入れがたいものであったろう。
かれの現象学への傾斜は、かれの神学的人間論と呼ばれる神学の分野にもみられるという。具体的には「身体の神学」とよばれる。具体的には、婚姻や性差についての神学である。婚姻性論とは、男女間の婚姻と、キリストと教会との婚姻、とをパラレルに論じることを意味する。離婚や堕胎・中絶に関する教会の教えはこの文脈におかないと正しく理解できないという。H神父様は「神の自己譲与」説がこの二つを結びつけていると説明された。例えば、「教会はキリストの花嫁」だから、「異性間の」結婚は教会とキリストの一致を示す秘跡のしるしとなるという説明である。こういう議論はカトリック信者にはなるほどとうなずける説明だが、信者以外の者には、キリストと教会との婚姻、なんてなんのこと、と理解できないのではないだろうか。H神父様もいまだ残存する婚姻神秘主義論には「参った」という感じであった。
著者カーは、本論文を不思議な文章で結んでいる。「教皇の逝去と共に、その教えはまもなく忘れ去られるものである。」これは、ヴィオティワのエキュメニズム論、教皇制論、神学的人間論などは長続きしないという意味なのであろうか。具体的には、フェミニズム運動、解放の神学、宗教的多元主義、などの新しい神学的課題にヴォイティワの神学では応えられない、ということなのであろうか。
H神父様は、ヨハネ・パウロ二世の神学の特徴は「神の自己譲与]論にあるという。ごの言葉の神学的意味および理解は、次章「ヨゼフ・ラッツィンガー(ベネディクト16世)」や、現フランシスコ教皇様の考え方の特徴を知る重要な論点なので、次回改めて考察してみたい。
また、社会学を学んだことのある者としての印象で言うと、ヴォイティワのペルソナ論は、まるで晩年のT・パーソンスの「社会的行為論」を彷彿させるものだった。これはこれで、パーソンスに「超越性」への視点があったのか、実証主義にとどまっていたのか、という難問につながるのでここでは深入りできない論点だが、近代社会科学の認識論がこれほどまでにトマス主義的な存在論から遠く離れてヴォイティワの神学に影響を与えていたことに、ただただ驚くのみである。