カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

「天から下り」神学講座『イエス・キリストの神』(その5)

2017-03-06 23:41:43 | 神学

 2017年3月6日の神学講座は春の大雨にたらられ、参加者は20名いかなかったでしょうか。ベネディクト16世著 里野泰昭訳『イエス・キリストの神 ー 三位一体の神についての省察』(2011)の第2章に入りました。この章は4節からなっていますが、今回はその第1節「天から下り」が説明されました。第2節は「そして人となった」、第3節は「父と同一本質」、第4節は「聖書にしたがって復活し」、と題されています。
 この第2章は基本的に三位一体論の説明ですが、第1節は「天から下り」と題されています。つまり、ニケア・コンスタンチノープル信条のキー概念が節の題名になっているわけです。第1節の内容としては、「天」の概念と、「下る(降る)」の意味が、ダニエル書第7章と、ヘブライ書第10章を使って、論じられます。黙想会の講話とはいえ、ラッチンガーの考え方の特徴が良く出ている節です。

 三位一体論は、信仰宣言としては3つの祈りの中に明示されている。①使徒信条 ②ニケア・コンスタンチノープル信条(訳書はニカイアと表記) ③洗礼式の信仰宣言 だ。この三つはどの祈祷書にも含まれている。「主の祈り」と「アヴェ・マリアの祈り」(昔の「聖母マリアへの祈り」と「天使祝詞」はもはや用いられない)とともに、欠かせない祈りだ。
 ラッチンガーは、「(ニカイア)信条の新しい翻訳は「天からの下降」についてのこの言葉を省いています」(65頁)というところから講話を始める。えっ、省いているって何のこと? われわれがいつも唱えているニケア・コンスタンチノープル信条には「・・・主は、わたしたち人類のため、わたしたちの救いのために天からくだり、・・・」と書かれている。使徒信条には「・・・陰府(よみ)に下り・・・」とある。ちゃんと書かれているではないか。どうもこれはドイツ語の信条の新しい翻訳では省かれていて、ラッチンガーはそれはけしからん、この文言は重要で必要なものだ、と言おうとしているようだ
 ところで、「天から下り」での「天」とはなんなのか、「下る」とはどういうことなのか。下り先は、新共同訳では「陰府」と訳されているが、昔は「古聖所」とか「リンボ」(Limbo,ラテン語でLimbus)と呼ばれていたものだ。下るとは行為なのか、陰府とは場所なのか。

 H神父様はここですぐに本文の解説に入る前に、使徒信条、ニケア・コンスタンチノープル信条について詳しい説明を始められた。使われた資料は 阿部仲麻呂著『使徒信条を詠む』(2014)である。ここでそのすべてを紹介する紙幅はないが、とても興味深い説明であった。
 使徒信条 Apostles' Creed (Symbolum Apostolorum)は2世紀から3世紀にかけて練り直されていき、現在の形になったのは8世紀頃らしい。使徒信条の元となった「古ローマ信条」は迫害者たちから自分たちを守り、洗礼を授けるときに使われた儀式文に使われたという。カト研の皆さんには言わずもがなですが、日本語の「信条」は「信仰告白の祈り」という意味で、使徒信条は構造を持っている。前半は三位一体の神への信仰告白で、①神 ②イエス・キリスト ③聖霊 を信じる、となっている。後半は教会への信仰告白で、①聖なる普遍の教会②聖徒のまじわり③罪のゆるし④からだの復活⑤永遠のいのち、を信じる、となっている。しかも興味深いのは、「信じる」主体は「単数形のわたし」であって、「わたしたち」という複数形ではないということらしい。ニケア・コンスタンチノープル信条では、本来、主語は複数形で、信じる主体は「わたしたち」であった。つまり二つの信条では主体が異なっていたらしい。もちろん現在では(カトリックでは)ニケア・コンスタンチノープル信条の信じる主体は単数形だ。もっとも、東方教会では今でも複数形らしいが(ギリシャ語)、西方教会〈ローマ、カトリック)ではラテン語に訳すときに単数形に切り替えて、使徒信条との整合性を優先させたという。
 日本語訳で見ると、使徒信条では主語が単数形か複数形かははっきりしないが〈日本語だからはっきりしなくともわかるが)、ニケア・コンスタンチノープル信条では「わたしは信じます」とはっきり単数形になっている。単数形か複数形かの違いの神学的意味はわたしにはわからないが、もっと興味深い話は、使徒信条が教会外からの迫害に打ち勝つために元々からギリシャ語で口伝えで伝承され、主に洗礼式で自分の信仰を宣言するために作成されたものらしい。だから使徒信条は「洗礼信条」とも呼ばれるらしい。他方、ニケア・コンスタンチノープル信条は325年のニケア公会議で宣言された信条が、381年の第一ノンスタンチノポリス公会議において内容を補足・洗練されたうえで決定されたもので、「公会議信条」とも呼ばれるらしい。ニケア信条とか、コンスタンチノープル信条とか簡単に呼べば良いのにと思うが、なぜわざわざ二つの公会議の名前をつけるのか、なにか理由があるのだろうがわたしにはわからない。名称よりむしろ興味深いのは、このニケア・コンスタンチノープル信条が決定された経緯だ。阿部仲麻呂氏は、使徒信条とは異なって、「教会内の分裂を解決するために」宣言されたのだという。つまり、313年のミラノ勅令 Edict of Milan でキリスト教がローマ帝国で公認(認定、これもいろいろな説明が可能だろうが)されたあと、キリスト者同士の見解の相違を調停する「信仰理解の基準」として制定されたのだという。使徒信条が外敵から自分を守るための祈りなのに対し、ニケア・コンスタンチノープル信条は内部分裂を阻止するための祈りだ、ということのようだ。
 現在のごミサでも、いつ頃からか、10年ほどは経つのではないか、使徒信条の代わりに、ニケア・コンスタンチノープル信条を唱えるようになった。使徒信条なら短いので誰でも暗記しているが、ニケア・コンスタンチノープル信条は暗記はとても無理なほど長い。わたしの所属教会ではラミネート張りのお祈り文が用意されている。「平和を願う祈り」と「司祭の召命を願う祈り」も長いので、使徒信条に戻りたいところだ。

 さて、本文に戻ろう。ドイツの「ニカイア信条」では、なぜ「天からの下降」という言葉が省かれているのか。それはこの言葉が現代人の感覚に合わないため、外されたというのだ。現代人の感覚とはなにか。ラッチンガーは3つの理由をあげ、そのおのおのを批判しながら、この言葉が持つ意味を詳しく説明していく。第一の理由は、神が天から下るのなら、神の行為は人間に依存するのか、それはおかしいのではないか、という感覚だ。第二の理由は、「天から下る」と言うとき、なにか空間的な「三階建ての世界像」が前提されているのではないか、という感覚だ。神は上の方、雲の上に住み、人間は下に住んでいる、という感覚だ。この感覚はおかしいというのがこの表現を省きたい現代人の思いではないか、というのがラッチンガーの説明だ。これはこれでもっともな話で、神話的な「天」のとらえ方は現代的ではない。
 とはいえ、ここで、H神父様は刺激的な議論を展開された。ラッチンガーの言っていることはもっともだけれど、逆に言えば、われわれ現代人はいま、天を見上げる、空をみる、ことを忘れているのではないか、といわれた。幼稚園のこどもはお祈りするとき上を見る、天を仰ぐ。下を見て、うつむいてお祈りする子どもはいない。幼稚園児や教会学校の子どもたちに絶大な人気のあるH神父様ならではの感想であった。大人の皆さんは、最近、空を見たり、星を見たり、月を見たことがありますか、と問われた。祈るとは天を仰ぎ見ることなのだ、と言われたかったのであろう。
 第三の理由が最も重要な理由に思われた。「天から下る」というのは「上から見下す」態度につながり、これはすべての人は平等だという現代人の平等観に反するからだという。現代人の平等思想に従えば、「天から下る」よりも「力あるものを王座から引き下ろす」という聖書の言葉の方がよほど感覚にマッチする。さらに言えば、現代人は、神の下降を待たずに、自分の力だけで、力あるものを引きずり下ろしたいのではないのか、とラッチンガーは言う。現代人は「人間の自由と平等と尊厳のためにすべての上を廃位することを欲する。」現代人は、「すべてにおいて平等で、固定した基準点のない世界像」におかされている。ラッチンガーはこの世界像を批判する。誰かを廃位してもかならず誰かがそこにすわる。社会学的に言えば、地位の不平等は、現代社会、いや社会そのものの変わることのない機能的特性なのだ(格差の存在は不可避だという意味ではない)。ラッチンガーは言う。だが、神が降りてきたのであれば、神は下にいるのであり、下から支えている。下に降りてきた神によって世界像も人間像も変わるという。これは神学的に言えば、「自己贈与」の議論である。現代人をむしばんでいる基準点のない平等思想を批判する考え方だ。近代社会が生み出した、または、近代社会を生み出した、平等思想をこれだけで論ずることはもちろんできないが、ラッチンガー神学の射程の深さ・長さを示す論点である。
 ここでラッチンガーはなんとニーチェ(1844~1900)を引用する。現代人はニーチェの言う「未だ確定されざる獣」だと、肯定的に引用する。訳文としては他の訳、たとえば「確立されていない動物」などいろいろあるようだが、反キリスト教の立場から「神は死んだ」と宣言し、「超人」を理想として追い求めたニーチェを引用するのだから、ラッチンガーの懐の広さには感服する。
 ラッチンガーは言う。下降について理解しようとするのならば、「天」を正しく理解しなければならない。日本語でも「天」という言葉にはいろいろな意味が付されている。ここでは「燃える柴の火」の神秘として「天」が理解される。旧約で言えば、モーゼがホレブ山で体験した神の顕現であり(出エジプト記3:2-4)、新約で言えば、マルコ12:26や、ルカ20:37などだ。要は、火は神の下降だ、という。「神は失われた者たちのところへ来る」という。
 つまり、「世界の上の階から下の階に下りてくるという地理学的な降下はありません」というわけだ。神の下降は、バベルの塔の物語においてはじめて出てくる。〈創世記10:10、バベルとはバビロンのこと)。しかしこの神は旧約全体を貫く「怒る神」だ。新約の「救済の神」ではない。そこでラッチンガーは旧約と新約から1書ずつ選んで、「神の下降」を説明していく。
(1)ダニエル書第7章における獣と人の子
ダニエル書は紀元前167年から163年の間に書かれ、内容は前半1~6章はバビロン捕囚時代を背景としたダニエルの物語で、後半7~12章は黙示文学と呼ばれるらしく、いかなる迫害のもとでも信仰者は正しく生き抜くことができると言っているという。ラッチンガーはダニエル書では「神の下降」は、神の子イエスが人の子として獣たちの間に現れたことをさすという。
(2)ヘブライ人への手紙第10章における霊的出来事としての下降
このヘブライ人への手紙は昔はパウロの書簡と言われていたが、今はその説は否定されているらしい。とはいえ、この書は神学的に高度なキリスト論を展開しているのだという。イエスは永遠の大祭司で、モーゼを超えているという考えで貫かれているという。ラッチンガーはこの書を詳しく説明しながら、イエスの下降は、自己放棄であり、自己贈与のことであるとする。つまり、「従順」こそイエスの下降の意味だという。ここでは受肉論が展開されるが、この義論は次節につながるのでここでは触れない。

 H神父様は、最後に、ラッチンガーの予型論(typology)的説明に若干疑義を挟まれた。予型論とは旧約の出来事の中にイエスの出来事を示す型の議論のことを指す。新約から、イエスから、旧約を眺めれば、イエスの「下降」を予期しているような表現に出会うのは、当然である。ラッチンガーは繰り返し旧約に立ち返り、「神の下降」を説明する。だが、それをあまりにも強調してしまうと、聖書の教えがドグマ化してしまう。むしろ、われわれが信じているのは、教義だけではなく、神を信じているのだということを忘れてはならない、と強調しておられた。H神父様らしいもっともなコメントだった。

 

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