カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

集会祭儀かみことばの祭儀かー典礼研修会に出て(2)

2019-02-13 09:19:35 | 教会


「ミサはどうやってできているの? ーミサのそれぞれの部分についてー」

 K師の第一講は興味深い手順で進められた。まず話のテーマをクイズ形式で会衆に問われ、その答えに解説を加えていくという形式だった。師の講演は親切丁寧で印象深かった。講演中、師の周辺を小さな子供が声を上げながら数人遊び回っていたが、師は気にする様子でもなかった。師は典礼委員会の委員長とのことだが、温厚な人柄のゆえに典礼を巡る難しい争点をまとめ上げていけるのであろう。

 師の問いは三問。

問1 主日のミサのおこなわれる「場」を4個あげよ
問2 主日のミサを4つの「場面」で表せ
問3 「開祭」に含まれるのはなにか
問4 主日の「言葉の典礼」に含まれるのはなにか

 私は「場」とか「場面」という問の意味というか言葉が理解できなかったのでなにもできなかった。問3,問4は信者なら誰でもわかってはいるのだろうが、わたしは文字で書き出せと言われると困ってしまった。典礼委員にとっては書けて当たり前のことなのかもしれない。

 さて問1である。ミサを共にあげる上で特に意識しておかなければいけない「場」とは何か。答えは、①祭壇 ②朗読台 ③司式者の席 ④会衆の席、なのだという。わたしは内陣とか聖櫃を思い浮かべたが、どうも違うようだ(1)。K師は、今回は特に④の会衆の席を大切にしたいと言っておられた。

 問2の答えは、開祭・言葉の典礼・感謝の典礼・閉祭(派遣)とのことだった。どうもミサの柱を「場面」と表現するらしい。典礼の言葉は難しい(2)。

 K師によると、第二バチカン公会議が典礼の改訂に当たって大切したポイントは三点あるという(3)。①新しい奉献文 ②式次第の簡素化 ③新しい聖書朗読配分。

 この方針の下に生まれた「総則」(第二版)第8項によると、ミサでは「二つの食卓」が用意され、信者はそこで教えられ、養われるとある。つまり、「神のことばの食卓」と「キリストのからだの食卓」であり、それが「ことばの典礼」と「感謝の典礼」なのだという。ミサが食卓である、つまり食事をするテーブルである、という理解は日本文化の中にも徐々に浸透しつつあるようだ。
 k師は、今回は、つまり今年は、「開祭」と「ことばの典礼」をとりあげ、来年は「感謝の典礼」と「閉祭」をとりあげるという。つまりこの研修会は二年連続ということらしい。

 ここから本題で、師はまず「開祭」の各項目を詳しく説明された。ここで、念のために前回ふれたミサの4つの柱、または「場面」を復習しておこう。

 ①開祭: 入祭の歌・挨拶・回心・あわれみの賛歌・栄光の賛歌・集会祈願
 ②ことばの典礼: 第一朗読・答唱詩編・第二朗読・アレルヤ唱・福音朗読・説教・信仰宣言・共同祈願
 ③感謝の典礼: 供え物の準備・奉納祈願・感謝の祈り・叙唱・感謝の賛歌・奉献文・記念唱・交わりの儀・主の祈り・平和を願う祈り・平和のあいさつ・平和の賛歌・拝領
 ④閉祭: 派遣の祝福

 ここでは、開催前の「沈黙」の重要性、入堂と入祭の歌の目的、などなど各式次第を説明された。わかりやすい説明であった。

 問4の「ことばの典礼」も流れに沿って詳しく説明された。特に、第一朗読は福音朗読に合わせて選ばれること、答唱詩編は第一朗読に合わせて選ばれること、福音朗読は「耳で聴く」ことの重要性を強調しておられた。信仰宣言も最近は、ニケア・コンスタンチノーブル信条ではなく使徒信条が唱えられるようになった背景の説明も興味深かった(4)。

 午前の部の第二講はO師による「開祭ー私たちのミサがはじまるー」であった。特に資料が配られなかったので要約しづらいが、師の午前の部の講演は午後の部に比べるとよくわからなかった。午後の部は言葉の典礼についての詳しい説明でとてもわかりやすかったが、午前の部の話はまとまりがなかった。なにかその場の思いつきで話しておられるようで、話題があちこちに飛び、まとめようがなかった。要は開祭は信徒の参加という意味で重要ですということだったようだ。「存在の重み」という言葉を多用しておられたが、その具体的中身ははっきりとはつかめなかった。また、第三形式のミサをあげる司祭がいるがあわれみの賛歌は重要だと強調しておられた(5)。どれも典礼委員には通じる話題なのだろうが、残念ながらわたしにはついていけなかった。

 午後の部の話は次稿にまわしたい。

注1 最近のお聖堂では聖櫃が目には見えないところに置かれている教会もあるという。小聖堂とか壁の裏とかに置かれるらしい。藤沢教会でもどこに聖櫃があるのかわからなかった。赤いランプもみつからなかった。十字架も天井からぶらさがっているだけで、目のやり場がなかった。カトリック教会のプロテスタント化は思いのほか急速に進んでいるのかもしれない。
注2 典礼論は聞くところによれば神学校でもあまり人気のない科目らしい。実際、司祭の中でも典礼論に興味を示す人は少ないらしい。教会の2000年の歴史の中で典礼はあまりにも複雑になりすぎてしまったからであろう。
注3 どれも興味深いテーマだが、K師は詳しくは説明されなかった。「キリストと我らのミサ」には、奉献文は4つ載っている。通常は第三奉献文が使われるようだが、司祭はどのようにして使い分けているのだろうか。やっとでた『第二バチカン公会議公文書改訂公式訳』または『典礼憲章』をみてもよくわからない。
注4 第一朗読・第二朗読のあとの「神に感謝」という文言は、集会祭儀やことばの祭儀の場合、「奉仕者」も唱えるのか、唱えてはいけないのか、という質問が質疑応答の時に、出た。細かい話ではあるが、総則第三版はまだ承認されていないということで明確な答えはなかった。通常のミサ式文では奉仕者と書かれている。また、福音朗読の後の、「主は皆さんとともに」「また司祭とともに」の部分は、英語ミサでは、"The Lord be with you" "And with your spirit" となっているが、日本語では「あなたの聖霊とともに」は日本語としてはなじまないという説明は興味深かった。「うまく訳せない」とおっしゃっていた。
注5 ミサ典礼書にはミサの形式として第一・第二・第三形式が載っている。どういう違いがあるのかわたしには詳しいことはわからないが、O師がこれほど言及するのだからなにか議論がなされているのかもしれない。

 研修会会場

 

                     

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