今日は憲法記念日で、大船教会で開催された講演会に出てきた。テーマは、「聖書 聖書協会共同訳ーー回顧と展望」で、講演者は日本聖書協会の岩本潤一氏、主催者は「栄光同窓カトリックの会」であった。出席者は、われわれのように栄光学園とは関係のない人も含めて50人ほどはいたであろうか。このテーマの講演が憲法記念日の今日にぶつけて開催されたのは特別なにかを意図したものではなかったようだ。むしろ同窓会を開いたという印象で、和気藹々の集まりであった。
講演者の岩本氏は上智大学大学院の哲学を修了し、現在は日本聖書協会所属。今回の「協会共同訳」聖書の翻訳・編集の事実上のマネージャーの方だったようで、8年にわたる今回の新しい聖書作りのほぼすべてを見てこられた方のようである。
今日は、氏が書かれた論文「『聖書 聖書協会共同訳』ーー回顧と展望」を参加者に配布された上で、要点をさらに詳しく説明された(1)。議論の運びは実証的で極めて興味深く、内容も深いものであった。論文の構成は大きく4部にわかれており、どれも内容が濃い。。第一部は1987年の新共同訳と今度の協会共同訳との共通点と違い、第二部は翻訳プロセスの整理、第三部は翻訳そのものの特徴について、第四部は今後の課題、となっている。
さて、この講演は、さきにわれわれカト研のメンバーのN氏、K氏とともに、柊(ひいらぎ)神父様を町田の修道院にお訪ねして、翻訳に携わった柊暁生神父様から伺った話の背景となるものであった。このときわれわれは本当に驚いた。柊神父様がご自分のパソコンの画面に、ヘブライ語の原典・新共同訳の日本語訳・翻訳註解書そしてご自分の訳文を一度に表示されて説明されたが、どういう仕組みになっているのかが全く分からなかった。今日の岩本氏の話で、これは「パラテキスト」という全く新しい翻訳支援ソフトというかアプリを使ってたものであることがわかった(2)。
また、柊師は、カトリック側から出た旧訳の翻訳担当者21名中のひとりであるだけではなく、「翻訳者兼編集委員」という重要な任務を担っておられていたことも知った。師は翻訳の仕事に没頭しすぎて体調を崩し、いまは姫路に移られたようだが、元気を取り戻されたであろうか。また師をかこんでみなでわいわいやりたいものである。
さて、岩本氏の論文に戻ろう。実は、この聖書協会共同訳事業の趣旨と経緯については、二つの重要な冊子がすでにでており、その概要については知られている。ひとつは、聖書刊行前に出版された『聖書 聖書協会共同訳ーー特徴と実例』であり、もう一つは昨年12月の刊行後に出された『聖書 聖書協会共同訳について』である。ともに聖書協会の出版で、前者は無料で、後者は100円で、キリスト教系書店で容易に手に入る。この岩本氏の論文はこの後者の冊子をより詳しく説明されたもののようである。
今回の新しい聖書は多くの特徴を持っているが、最大の特徴は何と言っても「スコポス理論」だろう。「礼拝で朗読される聖書を目的(スコポス)にした翻訳」で、意訳か直訳かの争いを乗り越えている(3)。また翻訳期間はざっと8年(準備期間は8年)で、新共同訳の18年より短い。翻訳者たちも30年前の新共同訳は30代の若い人たちが中心だったが、今回は50代が主体の翻訳作業だったようだ。次稿から少し詳しく見てみよう。
注
1 この論文はまだ未公開のようだが、きわめて資料的価値が高いと思われる。いずれしかるべきところで公表されるだろうが、ここでは著作権をおかさない範囲で要点を紹介しておきたい。
2 30年前の新共同訳の時は、翻訳は原稿に手書き、青焼きをつかって資料を作成していたという。今回の翻訳は、パソコン時代の、インターネット時代の翻訳なのだ。今度の聖書は、私はリズミカルでしかも切れがあり、読みやすいと思うが、活字が小さく読みにくいというひともいるようだ。いずれ大型判や、引照・注のつかない小型判が出版され、もっと読みやすくなるかもしれない。
3 実際には、聖公会のように「試行」している教会もあるようだが、カトリック教会では、「聖書と典礼」は相変わらず新共同訳を使っている。司教協議会はまだ新しい協会共同訳を使うとは言っていない。しばらくは様子を見て判断するのであろう。